横浜開港資料館から北欧レストラン・スカンデアまで
予約している大桟橋入口付近の北欧料理店スカンディアですが
早めに行ったので時間調整する為に向かいの
横浜開港資料館に立ち寄りました。
今回「異国の面影」企画展示を暇つぶしに観ることにしました。
入場料200円ですが横浜市民70歳以上の高齢者は無料で入館できます。
普段は16:00頃から立飲みで時間調整して帰宅していますが
今回は18;30まで我慢する羽目になりましたが150年前の
横浜の知らなかった歴史にふれて勉強になりました。

関内駅から横浜開港記念館 外国船員には通称ジャックといわれていた。
昼間・宵の口・真夜中・朝帰り、いつ見ても素晴らしい建物だ。

上記の4枚の写真を見て、ここが横浜だとは思えない建物にみえます。
上海租界、外灘の裏通り付近の面影のある異国情緒ある雰囲気です。
今でも上海市とは友好都市になっています。

スカンデア・レストランは創業50年以上たっている横濱を代表する
異国情緒ある港町のレストランです。
赤坂・青山・六本木・日本橋・成城・下北沢・吉祥寺・蒲田・下丸子の
店と違って高齢者から若者までの横浜市民に愛されているレストランです。
ただし一見客・観光客には二の足をふむ大きな木戸を開ける事に
ドキドキするそうです。

赤枠の矢印がレストラン入口ですがドアーを押すのに一瞬とまどう。
公益社団法人 横浜貿易協会所有の建物ですが驚くなかれ
昭和5年に建築されその後改築されながら現在に至っている。
当時すでに横浜港町を観光地にする目的で建てられたとも言われている。

スカンデアの内装は55年かけて飾られたデンマーク木彫額で飾られている。
独特の雰囲気もあり料理もスモーガスボードをはじめお勧めできます。
日本中で本格的なスモーガスボードを食べさせてくれる店は横浜だけだ。
今回、カテキン様をお迎えして大勢での会食には
初めてお目にかかった方々との交流もできてFacebookuのお友達も増えました。
彼も私も「来る人こまばず、去る人追わず」のお付き合い、
経営者同士参考になる事も多く、情報交換もでき良き友として
友情を深めていきたい。
飲みながら書いているブログ、ウイスキー瓶も予定量の1/2になった。
明日の土曜日は山手から遊びに来た孫と近くの子供の国プールにでも
連れていくかな~・・暑かったらやめて昼寝でもするか・・
博多祇園山笠を櫛田神社境内の桟敷席で観戦した。
午前3時30分に席につき午前4時45分から始まる
最終日 最大の行事「追い山」のスタートを見てきました。
早朝、七流しかつぎ山笠が5キロのコースにわたって
速さを競う「追い山」は男社会の祭りの典型だ。
最初からのスタート状況から最後の上川端通までの下記の
Youtube動画は迫力満点です。
7月15日午前4時45分から始まる
追い山の説明文章

7月13日
福岡空港に13時ホテルに到着して早速昼食に博多ラーメンで
有名なナンバーワンで食べた。家内も私もラーメンは
滅多に食べないので他店との旨さの比較はできない。
博多育ちはセッカチな人が多いのでゆで上がりが
早い細麺になっている、と説明された。
私もセッカチな方で酒の飲み方は高齢者になっても早い。
ウイスキーダブルは1分掛からないのでメチャ早い。
集団山みせを道路で観てホテルに引き上げる。
7月14日
流れ舁(か)きを城内で見る。
7月1日~15日まで博多祇園山笠の為に若者をはじめ地元関係者は
休日をとって参加しているそうです。
3泊したホテルでも故郷に帰って来た転勤した人が
ハッピ・フンドシ姿(締め込み)で朝早く出て行く姿を目にした。
7月15日
最初に書いてある文章とYoutube通りです。
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敗戦2年後の昭和23年、小学生2年生のころ福岡で生活していましたが
当時の記憶には博多山笠など記憶にはなくその日の暮らしに
終われていたのでしょう。
当時は従兄弟の兄貴と食用カエル取りに餌にする、ともガエルを
取り、ともカエルを狙って食べにきたシマ蛇を捕まえて
皮をはいで殺したりした子供のころの記憶は覚えている。
百道海岸でフンドシなしフリチンで泳いだり
近くの私立西南学院高校に忍び込んで布で出来たグローブなど
あさったりした事がある。
至る所に進駐軍がジープを乗廻しGI相手のパンパン以外の
日本人にとっては卑屈で辛い生活に追われていた
66年前の時代と現在との格差は測りきれない。
博多祇園山笠祭りを見学しています。
滞在中7月13日~15日まで北九州、福岡県博多区に鎮座する
櫛田神社の夏の祭礼の博多祇園山笠を観光。
伝統774年、国宝無形民俗文化財に指定されている伝統行事である。
私は昭和21年満州から引揚てから数回引っ越した中の一つに
博多の親戚に1年6ヶ月生活した思い出のある土地柄です。
小学校2年生のころ6歳年上の従兄弟と近くの池に食用カエルを取って
庭で焼いて食べたり、天敵の蛇を叩き殺してぶん投げたり
危険な遊びで廃坑になった石炭窟を探検したりした思い出のある博多です。
帰国後の終戦直後は食料品も少なく博多山笠祭りどころのではなく、
至る所に進駐軍の兵舎があり日本人が 萎縮した時代で祭りどころではなかった。
全く記憶にも残っていないが今回は楽しみであった。

今回3泊するホテル・グランド・ハイアット福岡8階から見る景色は
中洲の那珂川をはさんだ立地のよい場所です。

中洲をはさんだ那珂川付近に置いてある屋台は17:00ごろから
移動して夜店を始める。好奇心に強い私は夜の散策を予定しています。

神輿は博多近辺町にブロックされた17台が競争する男の世界です。
番外18番目は櫛田神社が出場するスケジュールになっていた。
櫛田神社はごらんの通り混み合っていた。
町の至る所に股にくい込んだフンドシ集団にであるが
嫌味に感じないのが博多の文化だ。

土居流とは7番目に登録されている土居町のお神輿
出発直前の様子です。

小学生も大人の仲間に入って居ますが親子で出場しているのでしょう。

小学校2年製も一人前にフンドシして荒縄を腰に掛けている。
彼らが二十歳前後になれば一人前になって選ばれたステータス神輿に乗る
役が回ってくるのでしょう。

出陣前の緊張した一瞬です。土居地区の神輿には数百人のフンドシ男
水をかけられ一気に神輿を担いで走りだす。

はみ出した しもの毛が気になるがこれぐらいは博多市内の公道でも許される。
小倉の無法松と同じく博多も九州男児として男の誇りがある地区だ。
神輿とフンドシが一体になって走り出す壮観な動画も取ってあるが
後日ゆっくり編集してお見せします。
BSテレビで映画ハスラー2を再度みました。
ポール・ニューマン主演「ハスラー」を観て感激した記憶があります。
それがきっかけで大森にあったビリヤード遊技場に通っていた
時代もありましたが人手不足の為に手伝っていた仕事の
合間で行くので途中で辞めてしまいました。
ビリヤードもゴルフも運動神経が敏感な人でスポーツ天性がないと
ずば抜けたスクラッチプレーヤー・ハスラーにはなりません。
スポーツ選手と言われるアスリート達の運動神経は生まれつきよい。
投げる・打つ・走る、の苦手な人には才能はありません。
話がそれましたがビリヤードはその後プレーする機会がなくなりました。
最初の「ハスラー」1961年(54年前)ポール・ニューマンが
ハスラー主役の同じ名前で老けたエディ・フェルソン役で
25年後の1986年「ハスラー2」で主演上映されました。
共演は売出中のトム・クルーズでした。
当時、長男が目黒不動前に通っていた中学生で帰宅途中に
渋谷で上映されていた「ハスラー2」を親子で観ました。
最初に観た「ハスラー」もセガレと観た「ハスラー2」どちらも感激する。
上映されたハスラー2が大ヒットしてからNHKでビリヤード教室が
出来てブームになっていました。
それがきっかけで神田淡路町で世界でも通用する最高級の
ビリヤード台一式を奮発して購入してしまいました。
当時1600ccの自家用車が買える値段に家内に叱られた事があった。
当時としてはリビングルームも余計な物を置いていなかったので
プレーできましたが天井の高さが足りずキューを立てると当たってしまう。
その為にアーティステック・ダブルクッションなどは危険で出来ない。
ほめられたことはビリヤード台組立終わって
早速プレーした中学一年のセガレの球の扱い方が素人離れしていて
ビックリして淡路亭の組立社員が「上手い筋がいい、ものになる」
ビリヤード台組立している社員もプレーが好きで選んだ
職業仕事なのでビリヤードは素人ではない。
(日本ではハスラーも居ないし飯も食えない)
その後スポーツは金がかかるので絞ってゴルフだけにして
今は家内二人のセガレを含めて全員ゴルフだけにしてしまった。

今月に入ってBSテレビで上映された1986年上映されたハスラー2は
ビデオにして残している。
ハスラー2は売出中のトム・クルーズが若手のハスラーとして登場する。
もちろん育てたのはエディ・フェルソン役のポール・ニューマン

ポール・ニューマンはジェームス・ディーンが亡くなって急きょ役が回って来た
ボクシング映画名作の「傷だらけの栄光」で実在の世界ミドル級チャンピオン
ニューヨークのイタリア移民のロッキー・グラジアーノのサクセスストーリー
ボクシング映画で「ロッキー」は彼の名前からつけられた愛称です。
22~23歳のころ観たハスラー当時若かったポール・ニューマン
とうとう引退宣言してた現在は90歳になっている。
当時のポール・ニューマンは同じ時代の俳優スティーブ・マックイーン
も「傷だらけの栄光」で端役で共演している。
ポール・ニューマンは映画中でのビリヤードのプレーは殆ど全て役者本人が
実際に行ったものとウィキペディアで書かれています。
学生時代を含めて20歳代には仕事中心で彼女もいなく映画を観に行く程度の
余裕しかなく映画を観るかボクシングを観に行くかのどちらかでした。
ブームになる前にピンボーイが居たころのボーリングに行ったが
金が続かずに途中で辞めてしまった。
百田尚樹が朝日・毎日・東京新聞を潰せについて解説
後回して民間人の百田尚樹作家が発言した
沖縄二社の新聞を含めて朝日・毎日・東京新聞を潰せから始まった。
自民党の若手勉強会での報道圧力問題失言を取り上げて
安全保障本題を後回ししている。
前回の池田信夫のブログからYoutubeで池田氏が
とても分かりやすく説明している動画です。
Facebookから貼付けしましたが池田氏の話(動画)を
聞けば内容が手に取る様にわかる。
(貼付け)
百田尚樹氏の沖縄の新聞は潰れた方が良いと
いう発言に対して、おなじみのマスコミのみなさんは
もちろん安保法案審議中の国会までもが
てんやわんやの大騒ぎです。
(貼付け終わり)















