卒業後の人生
下記の人物はWebで公開されている
写真です。昭和38年生まれ日本の
最高学府東京大学法学部、経済学部を
昭和56年度卒業の面々です。
すでに司直のお世話になっている人も
いますが困ったことです。
我々商人は税務申告に1円単位で
申告書を書いていますが政治家は
5万円以下では申告なしとは
今回の事件で初めて知りました。
私はとても驚いています。![]()
次の人物は事件の内容がいまだに
複雑ではっきり理解できず
私の頭ではついていけません。
私も毎日(?)酔払て帰宅しますが
電車の中で座っている若い子が
ホットパンツやミニスカートで
太股を丸出ししている姿は
見るとまぶしくて困ることがあります。
目のやり場に困ってしまいます。
彼には男として同情できる立場ですが
実行しては犯罪になりますね。
腰から下は人格はありませんので
お互いに注意しましょう。
皆さん家庭環境も良く裕福な親が
家庭教師も付けて勉強させて
東大に入学したお坊ちゃんと思いますが
人生は棺箱に入るまで判りませんね。
写真の3名は見たら誰だか
判りますか?
オカマショーを見ました。
先日パン連盟組合員の友人と
香川県にいた元留学生3名で
今から20~30年前の歌謡曲を
売りにしたバーに行きました。
場所は恵比寿駅近くに有り渋谷と
違って飲食店の多い面白い所です。
入った店の名前は忘れましたが
新丸ビルにもテナント(女性専用バー)で
入っているそうです。
オカマショーですが10分ちかくの
長い動画で2人のオカマがでてきます。
月に1回のオカマショーが23:00から
始まりました。
私はオカマをナマで見たのは
初めてでした。最初はタレントの
和田アキコだと思っていました。
私も酔払っていたので男女の区別が
つかず困ったことです。
左端のオカマを和田アキコと
間違えました。
下手な芸人より見て面白く笑えました。
しかし私はオカマには興味が
ぜんぜんありません。
テレビを見ていても美川、美輪、ピー子
等々訳の解らない人種が多くなり
人気者になっていますが
私には縁遠い世界です。
今日はゴルフに行ってきます。
梅雨明け宣言はいまだにでていませんが
今日は大利根CCに行ってきます。
JGAで日本女子オープン開催が
決まり2年後の2010年なります。
企業が開催する冠オープンと違って
コースに対するメンテナンスも
厳しくすでに対策が今から始まっております。
ゴルフ場を取り巻く市町村
特に板東市は自動車の駐車場、
交通手段の整備に金がかかるので
大変だと思います。
しかしゴルフ場はオープン以来
無借金経営で36ホール
約50万坪の敷地も借地はありません。
バブル時代に入会で集めた預託金も
全額銀行預金にしてあります。
私達株主会員はその点は安心して
開催されると思っています。
33年前の日本オープン開催以来
2回目の試合に設計者の
井上誠一氏も天国で喜んでいると
思います。
ハルピンの思い出
昨日の続きです。
ハルピンにいた頃
私の父は兵隊検査で
甲種不合格であったにも拘らず
敗戦2週間前に
関東軍に徴兵されました。
親父の部隊は30半ばのロートル隊員で
最初から防空壕堀りの毎日だったと
話していました。
その後直ぐに敗戦通知をもらい
隊員全員が内地に
帰国することになりました。
大連まで汽車で行く通達があり
ソ連兵の監視のもとに
隊員全員が乗り込みました。
しかし汽車はシベリア方面に向かって
走っているのを不審に思い途中から
走っている汽車から数名で跳びおり
危ういところを脱走に成功したそうです。
大勢の隊員はシベリア行きに気づかず
シベリヤ抑留生活を長い期間しいられ
多くの悲劇が起きたそうです。
親父は奥地の満州鉄道建設に
必要な石油、マシンオイルを販売する
仕事をしていたので満州の
鉄道網を把握していたのです。
脱走後ハルピンにたどり着いて
家族と集団帰国をしたわけです。
釜山まで2ヶ月かけてたどり着き
途中多くの悲劇(残留孤児)がありました。
釜山から連合軍(アメリカ)の
軍用船と上陸用舟艇で長崎の大村まで
たどり着いてやっと日本の土が
踏めましたが法定伝染病が発生して
大村収容所に1ヶ月間束縛され
クタクタになった記憶が
鮮明に残っています。
その時の病気の抗体が
今でも体内に残っていて
なにを食べてもお腹をこわす事が
無い頑丈な胃腸になったのだろうと
勝手な解釈をしています。
今、こうして平和で格差の少ない日本で
生活できる幸せをしみじみ感じています。
ハルピンに行きます。
次回9月の考察団に参加して
ウラジオストック、ハバロスクおよび
シベリヤに行ってきます。
ロシアは嫌いな国ですが
帰りに黒龍江省のハルピンに寄ることに
なっています。
私は7歳直前までハルピンで
育ちましたので是非よってみたいと
参加を申込みました。
記憶では父が勤めた会社のあった
キタイスカヤの交差点とロシヤ人(?)が
経営していたビクトリア洋菓子店
を覚えています。当時その洋菓子店で
食べたチョコレートの味は今でも
忘れていません。
住んでいた場所は埠頭区外国七道街
で町の中心にありました。
毎年夏になると家族でスンガリーの
川で水遊びをしたことも鮮明に
覚えています。
当時のハルピン市内はソ連革命で
亡命してきた白系ロシア人、
ドイツ、オーストラリア系ユダヤ人が
多く滞在していて
ロシア教会も記憶に残っています。
当時満州でありながら街の雰囲気は
北欧ににた建物が多く中国的では
ありません。私が初めて北欧旅行をした
33年前にデンマークの町が
ハルピンの建物に似ていて驚いた
経験があります。
5階建て(?)のフラット兼用の建物は
必ず半地下があり道路の際に明り取りの
小窓が付いていました。
ビルには門番(カローズ)がいて
中にはいると
中庭になってボイラー室が有ったり
ビルの作業員をしている満人の
使用人の子供と遊んだことも
覚えています。
今感じることは上海と同じく
租界になっている感じで
戦争に負けていなければハルピンの
桃山小学校に入ていたはずです。
箱根神社に行きました。
私が所属している
東京パン連盟工業協同組合は
毎年7月の下旬に箱根神社へ
参拝に行っています。
初めて参加した時は
まだ30代でした。
関連業者を含めて38名が参加し
有楽町の駐車場からバスで
朝8:00に出発しました。
関連業者及び当組合員相互の
親睦と慰労を
兼ねたバス旅行でもあります。
梅雨明けが間近感じられる
晴天に恵まれました。
今年は新しい参加者が多く
団塊の世代交代が
現われているのでしょうか・・・
参加者の中ではやはり私が高齢者の
仲間に入り、
時代の変化を改めて感じました。
神社に着いたとたんに
友人から携帯電話が鳴り
持ち株の香港株が暴騰している情報を
知らせてきました。
友人はついでに株価の
さらなる値上がりを祈願してくれと
頼まれました。(不謹慎)
それにしても香港株の
急激な値上がりはNY市場の値下がりに
連動しない市場になっています。
今まで買えなかった中国人が
香港株を買っているのと
世界中の投資資金が少しずつ
中国企業株を買っている為だと
推測できます。
祈願を終えて帰りは全員ヨコハマ中華街で
私が推薦する重慶本店の四川料理を
中心に堪能しました。
東京では手に入りずらい
「皮つきチャーシュウ」を
全員のお土産にして喜んでもらいました。
研修生が来日します。
東京パン連盟工業協同組合が
寧夏自治区、銀川市から初めての
研修生が来日する認定書の発行が
品川の入国管理事務所より
連絡がありました。
入国は7月末か8月初旬になる予定です。
当組合が3年間預かり申し込みの企業に
送出しいたします。
パン製造業種が3年滞在できる62職種に
追加されて63職種になったことは
当組合の成果だと自負しています。
パン業種単独で当協同組合が日本で
初めて成功したことはこれからの
全国の製パン業者が更に注目して
問い合わせも多くなると確信しています。
銀川市の料理専門学校のパン菓子卒業生で
企業に就職し日本の技術を勉強する
まじめな社員が対象です。
現地での面接試験に合格した人は
邱永漢日本語学校の教室に(銀川市)入り
日本語検定4級を目標に勉強させます。
しかし研修制度を本音と建前に使分けて
昨日まで農作業、土方人夫、漁師などしていた
単純作業員を研修生と称して制度を
悪用し日本語も勉強させず来日して
色々なトラブルを起こしております。
当組合は日本全国のパン菓子業者から
注目されるだけに研修制度の
モデル協同組合となって業界に
貢献したいと思っています。
バスから見た上海のマンション
ウランバートル視察から北京に入り
南京からバスで揚州、常州を経由して
上海に入りました。
国内線の空港付近を通りすぎて
虹橋付近からマンションが多くなり
建物の高さも25階建て以上が
多く見かけます。
南京、揚州、常州も高層マンションが
建ち並び町には活気がありました。
モンゴルの首都ウランバートルの
バラック建ての多い寂れた町と
対象にはなりません。当時ソ連の
共産主義の影響で
経済は停滞し続けています。
下記のウランバートルの動画は初めて参加した
20年前一回目の考察団に参加した時の上海市内と
同じで変わりません。
バスから見えたウランバートル寂れた
市内のバラック建てを動画にしています。
経済の発展しそうもない国には
投資はできないです。実際に見て
とても参考になりました。
上記の動画と同じくバスの中から
撮った動画です。途中邱永漢日本語学校の
看板があり珍しいので早速撮りました。
2年前の新聞には上海の
25階建高層ビル以上の
総数は日本全国のビルを含めても
上海の方が多いと発表されていました。
上海は来る度に町の様子が
変わり相変わらず建設ラッシュが
続いています。
浦東地区の金融街は
世界中の有名な金融機関が集まり
ビルの最上階や玄関に看板が
でていました。これももしかしたら
東京の丸の内、大手町が抜かれる日も
そう遠くないと感じましたが・・・
最近PCの情報では
香港証券取引所の方が
東京証券取引場よりも格付けが
上位なるとでていたそうです。
取引量、行政指導(さじ加減)
透明度、不正取引等々は
日本はすでに香港にも負けています。
モンゴルオペラ観賞
ウランバートル市内観光の一部で
モンゴルオペラを観賞しました。
私は本物のオペラ観賞はしたことが
ありませんが香港の油麻地にある
天后廟付近の広東オペラは
行く度に時々見ています。
(立見でタダ椅子に座るとHK10ドル約150円)
若くて美人の踊り子に見惚れて
高齢者の私も楽しませてもらいました。
残念なことにこの部分だけは動画を映すのを
忘れていました。
観光客相手のイチゲンさんの
歌劇団と思っていましたが
どうしてどうして中々のものでした。
ほんの一部ですがモンゴルオペラ歌手
の声量はたいしたものです。
劇場の内部は中国文化の影響と
元寇時代の文化がまじわり
龍、獅子、三味線、琴、太鼓、着物
帽子は完璧な中国文化でした。
政治、経済、教育はロシヤの影響で
中国と交流は遮断に近いそうです。
証券取引所もあるそうですが
一日の取引金額が日本円で
150万前後で話になりません。
先生は10年前に訪問したそうですが
「何も変わっていない」と話していました。
ソ連に支配されたことが経済発展が遅れた
原因の1つだと私は思います。
まだ発掘されていない
地下資源以外に何も無い国で
今後も経済発展は期待できません。
戦争後支配される国によって
政治、経済、文化、教育、食生活が
変わりますが、その点、日本は
連合軍(実際はアメリカ)に支配されて
独立後現在の経済大国に成ったのですから
幸せな国民だと思っています。
今日はゴルフに行ってきます。
今日は朝早くから茨城県の
大利根CCに行ってきます。
帰国後久しぶりのゴルフで
腕が震えてます。
家に居てもパジャマ姿で一日中
ゴロゴロしているより健康維持の
ためにもいいし
家内に用事を
たのまれる事も無く
ストレスもたまりません。
コースに遅れない為に今日はこれで
おしまいです。
短くて申訳ありません。

