キューバ・ハバナ市滞在の観光パートー6
BARの店内は欧米人観光客でほぼ満席にちかい状態でした。


今回のキューバ観光旅行は行きたい場所を数か所指定していたうちの一軒でした。
フロリディータはカクテル・フローズン ダイキリで有名な店です。

「我がモヒートはラ・ボデギータで、我がダイキリはフロリディータで」
(My mojito in La Bodeguita My daiquiri in El Froridita)」という走り書きは
酔った勢いでテーブルクロスに書かれたサインですと
現地ガイドのはなしです。

バーカウンター壁際にはヘミングウェイの等身大の銅像があります。
赤〇矢印が銅像です。

キューバ人観光客は一人もいません。所得が低いこともありますが
現地ガイドの話では外食の習慣はないそうです。

入店したお客様は一度は最初にカクテル・フローズンダイキリをオーダーしている

ヘミングウェイは釣り大会に一度しか会っていないキューバの英雄で
国家元首カストロ議長との写真が飾られている。

翌日ヘミングウェイ自宅を見ていた敷地内にあったカクテルは抜群に旨かった。
ラム酒は好きなだけ自分で入れる、しぼりたてのサトウキビ・パイナップル
ライムを絞った一品はダイギリ、モヒートに負けない絶品でした。
キューバ・ハバナ市滞在の観光パートー5
今からおよそ400年前の江戸時代初め、仙台藩の藩主伊達政宗の
命令で太平洋と大西洋を渡りスペイン、ローマへ向かいました。
支倉常長がひきいたこの使節は慶長18年(1613)に日本を
出発した「慶長遣欧使節」とよばれています。
ハバナ湾にあるスペイン統治時代の要塞がある反対側の旧市街の
湾に面した大きな公園の一角に立派な銅像が建てられていました。

キューバで見た支倉常長の威風堂々とした五尺四寸の小柄が大きく見えた。

支倉常長の扇子は西側のローマ8700㎞を指しています。

キューバは共産党国家ですが一般国民はネアカな民族で旧ソ連・中国国民と
違って暗さは感じません。

上下の写真はメキシコシティーですが支倉常長が太平洋を渡りメキシコの
中央近くの首都で泊まったホテルです。
現在はショッピングセンター、レストランに変わっています。
キューバ・ハバナ市滞在の観光パートー4
ノーベル文学賞(1954年)に輝いた。その「老人と海」を書いた
漁村に出かけて昼食をしてきました。
彼がハバナの漁村コヒマル村で自分のクルーザでカジキマグロ釣りを
楽しんでいた場所にあるレストランです。
そのコヒマル村の漁師を小説「老人と海」がその舞台です。
ヘミングウェイが来た時にいつも食事していたレストラン「ラ・テラーサ」は
彼の写真が壁いっぱいに飾られていていました。
そのレストランの海の見える東南の角はヘミングウェイが座るテーブルで
別格扱いになっていて予約済みでロープが張られていました。
レストランに飾られている写真にはカストロ首相をはじめ多彩な人物が
写っていました。ヘミングウェイがガルフストリーム沖で遭難している
少年を助けた事でその後、友達になり
今は老人ですが絵画で描かれているのが印象にのこりました。
その老人は少年のころ板一枚にちかい小舟で数十時間近く遭難していた時に
ヘミングウェイのクルーザーに助けられて寒さしのぎに
ウイスキーを飲まされて体を温めた逸話があるそうです。

ハバナ市からバスで20分近く行ったコヒマル漁村はひなびた村でした。

周りの建物の一部は廃墟になっていて住む人もいない静かな場所でした。

コヒマル湾に囲まれた一角にヘミングウェイがいつも食事していた
レストラン「ラ・テラーサ」で我々も昼食をしてきました。
静かな漁村でここまで来て食事する日本人は滅多に居ないでしょう。
我々が行った時には欧米人グループ一組だけが昼食をとっていました。

東南の一角のテーブルはヘミングウェイの指定席になっていて座れません。
赤丸は彼の銅像です。

ヘミングウェイが存在していなかったら今日にはレストランも消えていたでっしょう。

壁にはごらんの通りヘミングウェイに関する写真がたくさん飾られていました。
コヒマル湾でのフィッシング大会で初めてカストロ首相とであったと話していました。
カストロ首相に出会ったのは最初で最後の一回だけでしたが・・・
しかしカストロ首相との写真がその後の人生を狂わしたとも想像できます。
素晴らしい油絵の自画像は素敵です。

自画像の老人は少年のころ海釣りで遭難した時にヘミングウェイに
助けられた人です。「老人と海」に登場する少年と思われますが・・詳しくは知りません。

コース料理は量が多く支配人のアドバイスで家内と二人で一人前でオーダーしました。
大海老入り海鮮スープ・パエリアは私にとって大満足できました。

コヒマル湾の広場にはヘミングウェイの銅像があるのに気がつきました。

ヘミングウェイが猟銃自殺したのちにコヒマル漁村の漁師達が彼を偲んで
漁船の銅製スクリューを集め溶かして銅像にして偲んでいます。
村の人達が「老人と海」の映画撮影には困難な出来事が何回もありとても
苦しんだとガイドの話がありました。主役はスペンサー・トレイシーでした。
下記の写真5枚はBSテレビでキューバとヘミングウェイについて
女優 杏が現地で調べ、話した話題を貼付けしたものです。

キューバを愛したヘミングウェイは革命後もキューバについての発言が
アメリカを刺激することになったと思われる。
ヘミングウェイはハバナ自宅付近の地名
「俺はヤンキーではないサンフランシスコ・デ・パウラの住民だ」
この発言はアメリカを刺激してFIBブラックリストに載せられた。
50年目に公開された公文書にFBIは彼を危険人物と決めつけています。

アメリカ政府は1956年以降 共産党アカ狩りで彼もその一人になっていた。
キューバ革命以降アメリカ大使館が二回訪問してヘミングウェイの帰国を
促し指示していたといわれています。
彼はカストロ共産党支持者ではなくキューバ・ハバナを愛しただけのことです。
しかしその2年後、自宅で猟銃を自ら口に当て61歳で自殺したとされている。
未だに自殺の理由ははっきりしていないのは悲しい事実です。
独身時代に読んだ「老人と海」をもう一度読みなおすキッカケを作ってくれた
キューバ旅行でした。
キューバ・ハバナ市滞在中の観光パートー3
なんの特徴もない大西洋が一望に見える大型ホテルでしたが記憶が薄れました。
その後ハバナにもどって旧市街で泊まったホテルは素晴らしい!
もちろん五つ星ですがこじんまりした革命前からの名門ホテルでした。
ホテル サラトガは国会議事堂斜前のハバナの中心地にありとても便利な場所です。
周りは公園に囲まれてホテル前の大通りには革命前、1956年以前のアメ車が
ひっきりなしに走っています。
ホテルの2階テラスからアメ車目当てに写真を写しましたがきりなしに撮れるのに
飽きがきてしまいました。クラッシクホテルですが設備には満足できる内容です。

ホテルの部屋から写した旧市街の国会議事堂は現在も使われています。
早朝のホテル前の広々とした公園。
ホテルの2階から写した午前8時ごろの風景ですが人力タクシーと古いアメ車。


ホテル2階から写したキューバ女性です。
のどかな公園風景に見慣れたアメ車。

ホテルから大通りを散策していた公園前の広場に並べられたアメ車の
オープンカー・タクシーは観光客相手でお客待ちです。

1959年前のアメ車が現在も活躍しているのはボディーは別にして
エンジンをはじめ部品を載せ替えて改造されているからです。
アメ車がタクシーで使われていますが自転車タクシーも活躍しています。

国会議事堂近くにあるオペラ劇場はリニューアル中で工事真最中でした。
当時のスペイン統治時代の建築物を見ただけで権力は相当のものと
想像できます。

旧市街にある廃墟になっている建物ですがリニューアルすれば素晴らしい
建物になるでしょう。

ヘミングウェイがカジキマグロ釣りに出かけたハバナの郊外コヒマル村近くに
今でもたくさんある廃墟にビックリした。
キューバ・ハバナ市滞在中の観光パートー2
ヘミングウェイがカクテル・モヒートを飲むならラ・ボデギータ・デル・メディオへ
ハバナの旧市街にある街並みはスペイン統治時代の建物が多く素晴らしい
街並みです。しかし当時の建設にあたってはアフリカ人を奴隷として使っていた。
今は旧スペイン人、土着のキューバ人、黒人など混血になっていて人
種差別もなく陽気で踊り好きのネアカなキューバ人だそうです。
夕食はヘミングウェイがカクテル・モヒートを飲むために通った
BARラ・ボデギータで食事を兼ねて雰囲気を楽しむことにしました。

看板には「ラ ボデギータ デル メディオ」モヒートで有名になった店・

我々は夕暮れ時の早めに来ましたがすでにほぼ満席にちかくなっていました。
予約をしていましたので問題はありませんが繁盛店には間違いありません。
店の外、中に関わらず落書きだらけですが、落書きが店のモチーフで
来店した有名人額と落書きが芸術になっている感じでした。

バーカウンター付近はごらんの通り満席で立飲みになっています。

キューバ人は原則、外食の習慣はないそうです。賃金・給料が安いことも
原因ですが観光客はハバナに来れば飲みに来る有名店です。

右下に書かれているヘミングウェイのデッサンと上段中央に書かれている
彼のサイン。店のメニュー表です。記念に新しい表をもらってきました。
記念に自宅のウイスキー棚の周りに額入りにして余った3ペソ札を付けて
飾っておきたい。

本場のカクテル・モヒートは砂糖がたっぷり入った一品
私には砂糖抜きで丁度よい味になる。

食事の内容は個人々オーダーするシステムで家内と二人で一人前で十分の量です


BARラ・ボデギータの落書きも店の雰囲気を盛り立てている芸術作品になっている。


キューバ音楽リズムはサルサ・チャチャチャ・マンボでさすがはプロ演奏。
最後は演奏者、観客共にリズムに合わせてサルサダンスで乗せられた。
夜のキューバ・ハバナの治安は日本並みに安心して歩けるし話しかけられる
事もないし、物売り、誘いなどなく気持ちよい一日でした。
キューバ・ハバナ市 観光滞在パートー1
早速ホテルで休憩する。
キューバの初日はハバナでトロピカーナ・キャバレーに行った。
ハバナ市は旧市街・新市街に別れているが到着して観光しても区別が
つけづらい。理由は1950年代以降スペイン統治時代が旧市街、その後の
新市街はアメリカ統治時代傀儡政権が維持していた1959年時代まです。
カストロ・ゲバラ革命独立した1959年からはアメリカの経済封鎖で
1959年当時の建物はボロボロで現在は一般市民の住居になっていますが
たくさんの廃墟をはじめそのままになっています。
今回のキューバ観光に行きたかった理由の一つは
1)カストロ首相が生きている時代のキューバを見ておきたかった事
死亡後は共産党一党独裁政権が維持できなくなって資本主義に移行すると
思われる。その時には又アメリカ資本の歓楽地に逆戻りの可能性もあるでしょう。
2)ハバナをこよなく愛したアーネスト・ヘミングウェイの世界を見ておきたかった。
独身時代に読んだ「老人と海」映画で見ていた「誰がために鐘が鳴る」
「陽はまた昇る」「武器をさらば」を書いたクラッシクホテル・アンボス・ムンドス
見学など。
3)ハバナ郊外にある自宅でキューバの子供たちに開放した野球が出来る広場
見学。この広場からプロ野球メジャーリーグに行った選手もいる。
4)BSテレビで番組で元モデルで女優の杏が出演していた
キューバ・ハバナ特集番組でヘミングウェイの話をしながら
話題の支倉常長が伊達政宗の命令でローマ使節団に行く途中
台風で足止めされて一時滞在したハバナの銅像を見ておきたかった。
5)あとはヘミングウェイが通いつめていたBAR ラ・ボデギータの
カクテル・モヒートと同じくカクテルのフローズン・ダイギリは
BARフロイディータ二か所のバーには必ず行く事にした。

キューバ・ハバナに到着した日には晴れ男の私に反して小雨模様した。
ハバナ国際空港は規模も小さく地味な空港です。
下記の写真は1959年以降のアメ車を写したもので別に意味はありません。

夕食に飲んだキューバ産地ビールはそこそこ旨い。
初日のハバナ観光は1956年以前のアメリカ資本で繁栄していた歓楽地の
代表ともいえるキャバレー「トロピカーナー」にショーを観に行く。

ショーはキューバ美人の踊り子に見惚れるスタイルは抜群!
お尻のプリンプリン セクシーでいいですね!
舞台にお客様が上がれるならば、真っ先に手をあげたと同時に
舞台に駆けあがり踊り子に指示されたことはなんでもする覚悟アリ、しかし
考えがあますぎて見るだけでおしまいでした。

スペイン系をはじめ色浅黒く引き締まった混血キューバ踊り子美人に惚れ惚れする


私は若いころ得意先・納品配達が終わり帰り道に浅草のストリップ劇場
何回か行ったことがありますが・・・
宝塚や昔の日劇ダンシングチームなどには一度も観たことがありません。
もしかしたらこれらと似たショーだったのでしょう。

疲れていましたが歌も踊りも楽しいひと時を過ごせて満足できました。

現地の日本語ガイドの話では野球選手をはじめ人気のダンサーの亡命が
時々起ると、話していました。彼ら彼女達の給料は月にして2万円程度で
生活ぎりぎりであとは現金収入のあるチップ・アルバイトで補っているらしい。

ハバナの初日は新市街の高層ホテルでした。大西洋の海岸近くでした。
ポサダ・バランカスからチワワ移動で再度イワワ太平洋鉄道乗車
乗車する為にバス移動しました。時間短縮する為にCREEL駅なで行くことに変更。
途中、原住民の岩穴住宅見学、湖畔で一時休憩など含めて
思い出多いポサダ・バランカスを後にしました。
途中トイレタイムの湖畔で原住民がゴザに並べて売っている民芸品を
1人が買いだすと後からぞろぞろ私も、私もと皆で買いだす心理は不思議だ。
列車の最終地点はチワワ駅なので行きとりあえず一泊する。

記憶に残るメキシコ版グランドキャニオンは日本人ツアーでは中々行けない
場所です。一泊だけですが行くだけで3日間の日程が必要な場所でした。
チワワまでの移動は中型バス移動ですが皆様とくだらない話に華が咲き
時間の感覚がマヒしてしまいました。

看板の地図標識は私には読めませんが急きょメキシコ原住民洞穴住宅見学を
することにしました。


シンプルライフ生活ですが現代人には住むことは無理と判断しました。
しかし先祖をたどるとアジア人がアラスカ、アメリカ大陸、メキシコ、南アメリカと
移動して行ったと感じる人種です。欧米人と違ってアジア人には間違いなし。

CREEL駅で1:20待ちの小休憩に街並みを見ながら散策してきました。
たくさんの写真を写しましたが、いつの日にか公開いたします。


チワワ駅までの6時間は車内で宴会が始まりました。
四人の酒好きで山崎ウイスキー一本、白州半部を飲みほした。
女性はポーズを撮っているだけで飲んでいない。

夕食は食堂車でゆっくりしたひと時ですがメキシコ料理に飽き飽きした感じ。
「マグロの刺身が食べたい!」などとわがまま言いだした。
以前にも書きましたが私は酒が呑めて一品300円程度の肴があれば文句なし。


皆様昼間の滑車綱渡り競技に疲れた様子です。
私のブログにはプライバシーはありませんので堂々と公開しました。


チワワで一泊したら翌日の早朝はメキシコシティー経由キューバ、ハバナ行き。
若いキューバ美人は情熱的で楽しい旅が出来ました。
メキシコ編はこれで終わりです。
次回はキューバ編を裏から斜めから見たカリブ海に浮かぶ一党独裁共産党
キューバ国の現実を書きます。
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余計なことですが一昨日の民主党枝野議員に対しての国会答弁で
反日マスコミ特に朝日新聞の書き方にクレームを付けた内容を
ついでにはりつけました。
Facebookで安倍首相が答弁した内容を秘書に書かせた内容です。
安倍 晋三
1時間前 ·
……色々あってご無沙汰してました……秘書です。
さて、先般の予算委員会に於ける枝野議員との質疑の中で、安倍総理が「JR総連」や「JR東労組と革マル派」との関係を指摘した事に対し、もっと知りたいとご質問を多数事務所にも頂きましたのでご説明します。
「 JR総連」や「JR東労組」は、民主党政権が閣議決定している答弁書において「影響力を行使し得る立場に、革マル派活動家が相当浸透している」と政府として認めている団体です。
<strong>更に革マル派は「極左暴力集団であり…殺人事件等、多数の刑事事件を引き起こしている」と政府は答弁書で明らかにしています。</strong>
繰り返しますがこの閣議決定した答弁書は民主党政権である鳩山内閣が決定したものです。
そしてなんと枝野議員は大臣として署名しています。そこで、枝野議員本人が署名し、そう認識している団体から「794万円も献金を受け取っている事は問題だ」と自民党の議員がかつて質問しました。
枝野議員はかつての、自身の政治資金に対する自民党議員の質問について、安倍総理との質疑に於いて批判的な議論を展開したので、此度の質疑において「殺人までする危険な反社会的な組織活動家と関わりがある団体から資金の供与を受けるのは問題であり、その事を糺すのは当然ではないか」と安倍総理は述べた訳です。
以上が革マルについての質疑の要点です。
残念なのはこのやり取りを書いた新聞で、革マル派については触れずに記事にした社も複数ある事です。(某報道番組でも上手に理由を付けて丸ごとカットしてました…。)
それでは事の本質は伝わりません。何故「革マル」とは書けないのでしょうか。
安倍総理の発言を、中傷ともとれる発言と批判した記事もありましたが「本人が認めている事実の紹介」は誹謗中傷ではありません。
確かに革マル派は殺人も犯していますが、書く勇気を持って欲しいと思います。
《秘書アップ》
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敷島 菊丸様ののFacebookより
皆さんこの方の「件」覚えていますか?民主党の辻元清美に関しては、
「天皇制廃止」を公言していますし、
中核派がイニシアチブを取っている「とめよう戦争への道!
百万人署名運動」に辻元も関与しています。
民主党の中には、こういう反日極左と直接的なつながりを持つ議員がいる
こと自体が異常ですね。
上の「死闘」を見れば、革マルも中核も民主主義社会では
到底受けいれられない存在なのは明らかです。
許せません全民主党の議員!!
メキシコのポサダ・バランカス滑車で渓谷渡りのスリル満点

上記の写真の上段部に赤く見えるのが昨日泊まった山荘ホテルです。
そこからバス移動して渓谷の奥深くにあるケーブル設備まで行く。
アメリカのグランド・キャニオンをはるかにしのぐスケールの大きさは
4倍の広さがあるとパンフレットに書かれていました。
現地ガイドの説明では3倍と話していましたがどちらが正しいかは
メキシコとアメリカで話し合ってもらいたい。
上記の動画は渓谷をロープ一本にしがみ付いて500ⅿの谷底を見ながら
一気に向う側のお立場に渡るスリル満点の競技に参加したムコウミズ達5名
競技スタートはレディーファーストの順番に変更した
1)家内 2)斎○ 3)○多 4)貴○ 5)キ○
このYoutubeは世界で私が投函した最初の貴重な動画になるはずです。

今回の競技参加者は11名中5名が参加しました。
添乗していただいている(株)メガの佐藤さんは大事故が起きた時の
現地通訳(英語・スペイン語)をすることで参加拒否をしていました。
私は11名の団長なので、もし死亡事故が起きた場合は現地の火葬場で
焼いてもらい遺骨を持ち帰らなければならない大役も兼ねています。
(遺体で持ち帰ると費用が高いので・・)
渓谷は山が高く谷深いので自動車・ヘリコプターも入れない未開の地です。
その時にはコヨーテにあと始末してもらう方法も視野に入れて
遺体はその場に置いていきたい。
今回の海外旅行参加者には(株)メガの海外旅行死亡損害保険を強制的に
加入する条件を付けていました。
この場に来て強制加入した理由がハッキリ分かった。
危険とは社会的地位が高ければ高いほどリスクを取ってはいけません。
たとえば千に一つ、万に一つ、億に一つの危険があっても危険は危険。
連邦国家の女王陛下、大統領・首相・書記長・村長?・町長?など
突然の死亡は大混乱を招く結果になるからです。

ロープ一本で谷から谷の綱渡りは高所恐怖症の方は絶対に危険です。
途中で失神したらお陀仏になる事も考えられます。
もちろん高血圧・心臓病・心筋梗塞・酔っ払いは危険極まりない。
ウグイスの谷渡りと違います(この意味が解る方は相当の遊び人です)

赤字線は500ⅿ~700ⅿのロープを渡り歩く競技は合計7回あります。
その途中に谷深い足元には下が見える吊り橋が三ケ所あるそうです。
合計3キロの綱渡りに挑戦する命知らづの連中です。
その吊り橋をグラグラゆらす者も居たと聞きましたが私だったら
きっと気絶していたと思い安堵しました。

上下の写真を見ていると東京電力関係の関電工の技術作業員に見える。

足元にフックを取り付けていざとなったら引っ張る役目なのでしょう。

斎○さんは競技に参加する前まではご覧の通り笑顔でご機嫌。
皮手袋は目的地にたどりつけない場合にはロープをつかんで
自力で手繰り寄せて進む役目で手袋をつける。

お二人はご機嫌で最後まではしゃいでいました。


上下の写真は競技に参加する前にインストラクターの説明会です。
懇切丁寧に指導していましたが参加した一人が谷から谷の途中でストップして
宙づりになりインストラクターの緊急出動を要請した。

参加者は真剣に説明を聞いていたがやはり一人だけ宙づりになった。

家内は子育ても終わって将来の目的も薄れてしまい刺激が足りづに
過していましたが、まさか危険極まりない競技に参加するとは驚き。

今回のブログには身内(家内)の写真が多くなるのは事故で死んだ時の
思い出の写真になると思って・・いないのですが・・自然に増えていく。

若手の彼は怖いもの知らづの行動に自身満々。

競技に参加した高齢者代表ですが体重が軽いだけ機敏に動けた。

スタートしたロープ吊り参加者5名は7ヶ所を渡り歩き3Km先の
地点で我々と合流する。帰りは全員一諸で大型ケーブルカーで元の位置に帰る。

1時間の山歩きに参加した時にたどり着いた場所ですが
左端の岩場の先は誰でも行けるお立場ですが私は怖くていけません。
もちろん手すりもありませんし、危険看板もありません。
チワワ太平洋鉄道・特急列車に乗車しての車窓
ホテルで一泊して、その翌日早朝にチワワ太平洋鉄道・特急列車に
乗車した車窓を中心にクソまじめで面白くもないブログを
一杯飲みながら暇つぶしに掲載することにしました。
チワワ太平洋鉄道・特急列車といっても平均時速50~60キロ前後と思う。
全長600㎞・・?を数か所の駅に停まり15~16時間掛かりますので
時速60㎞の特急列車とは聞いて驚き参った、参った!
始発駅から終着駅までは長すぎるので途中の絶景が見られる駅に降りて
山荘で一泊する計画にしています。空気も澄んでいて食事も旨く気にいった。
8時間近く走った標高2400ⅿ山岳にあるサボダ・バランカス駅で一泊する。
そこに広がる絶景はアメリカ、グランドキャニオンの三倍のスケールに驚く。
標高数・・0メートル港町から標高2400㎞を走る特急ディーゼル機関車は
急坂では黒煙を出しながらのジグザグ上ったり、
又は山を回りながらの登り目的地まで行く列車の車窓は飽きがこない。

早朝4:40起床 バスで5;30出発 ロスモチス駅6:00出発する忙しさ。
添乗する(株)メガの佐○さんはどこかで強行日程をさらりと加える。
朝食は食堂車で食べる事に決まっていたので皆様おとなしく金魚のウンコ並。

一等列車車両といっても日本の普通車と変わらない設備ですが楽しかった。

普通列車は現地人が利用すていますが観光客は地元貢献する一等客車両にする。

絵葉書にできる景色ですがブログに載せても感激できない写真でしょう。

一等車両に付いている食堂車です。ご婦人達には特別旨いメキシコ料理では
ありませんが車窓を見ながらの食事に満足していました。

料理の種類はベジタブル・タコス又は豚の細切れ入りタコスの二品のどちらか

私はどこの国の料理でも、不味い、旨いは口にしない方針で腹にしまっておく。
理由は貧乏育ちの為か酒があれば一品300円前後のツマミ程度で満足できる。

聞き忘れたが高さ500ⅿの鉄橋と思いますがスケールの大きさに驚く。
河に機関車・車両の影が印象に残る写真になった。

メキシコでは来る前日まで雨が降っていたが晴天に恵まれました。
列車の前方に見える山頂付近まで登るので大変だ。鉄道工事は10年間
かかったと話していました。

この写真は二日目の駅でスーツケースを載せる前段階です。
子供達は小遣い稼ぎの為に汽車に荷物を乗せる役目です。

山岳地帯に住んでいる少数民族が観光客目当てに手作り物を販売中。

標高2400ⅿの山荘から見る絶景はため息の連続でびっくり仰天するほどの
迫力に満足・満足できる。

山荘には現代電化設備はなくて天井はマルタ作りです。
もちろんパソコン・テレビ・ラジオもありません。

各部屋にはデッキがあり澄みきった星空がとてもきれいで大満足できた。
アメリカ、グランドキャニオンの三倍スケールにビックリして驚く。
サボダ・バランカスの山荘から写した絶景は
グランドキャニオンなど小さい・小さい山並みで問題にならない世界一だ!
しかし自画自賛するブログほどバカバカしくておもしろくない。
書いている本人も心では「いい加減にしろ!」と思っている、終わり
メキシコシティー&その周辺で見た気がついた事あれこれ
成田空港では数年前には考えられない時間帯です。
羽田国際空港が24時間空港になる前には朝は7:00から
夜は11:00までしか滑走できません。
つい最近までは7:30すぎにならないと出国手続きが出来ない
バカバカしい成田国際空港でしたのいであきれてしまう。
例え10分でも遅れても朝早く到着しても成田地元を含め大新聞をはじめ
大ニュースになって大騒ぎしたものです。記憶に残るノースウエスト航空が
10分遅れの23:10に強行着陸して大騒ぎした事件もありました。
元ベトナム戦争時代のパイロットは平然として強行着陸をして開き直った事件。
当時は遅すぎたり早すぎたりした時には名古屋、又は大阪、福岡着に
変更したものです。全くバカバカしい成田国際空港は規制だらけの欠陥空港でした。
話題がそれてしまいましたが当分の間メキシコ・キューバ旅行記を
気が向くままに前後しながら書くことにしました。単なる観光旅行記にしないで
見方をひにくたり、偏見と独断・裏社会の出来事などおりまぜて書くことにしました。

メキシコシティーのハイアットリーシェンシーホテルからの風景。
街場での拳銃は実弾つきで一丁5万円前後で買えるのです。
フイリピン並ですが一人殺してもらう値段は聞き忘れました。
念のためにフイリピンは一人頼む費用は10万円で間違いなく殺してもらえるそうです。


テオティワカンのピラミット横の広場での
観光客向けの雨乞い儀式をカネと太鼓で見せてもらったシーン
チップは出しても出さなくてもよいのですが日本人の私以外は奮発していました。
観光客向けの民芸品市場に行きましたが全員なにも買わなかった。
孫にタイガーマスク?に似た仮面を買おうとしたが家内に止められてやめた。
国立人類学博物館は私には全く興味がないので写真はたくさん写していますが
ブログには書きません。考古学者ではないし、ましてブログに書いても
退屈するだけですが今回の現地日本人ガイドの詳しい説明には参ってしまった。
もしかしたら時間つぶしで詳しい説明かもしれません。

毎回退屈した大聖堂・キリスト教会の故事来歴にはウンザリするし参ってしまう。
教会を出た歩道には宣伝・就職活動中の男達に出会う。
配管工・建築職人・大工・水道工事人足・さまざまな職業斡旋を自分自身でする。

メキシコシティーはスペイン統治時代には湖でしたので地盤が悪く当時の
建物は傾いています。のんきなメキシコ人は気にしていないそうです。

スペイン統治時代を含めて前の遺跡がガルバルディ(マリアッチ)広場脇にある。
説明は聞いたが忘れてしまったので省略します。なにしろ昔の出来事なので
いきなり西暦何年と言われても頭に入っていかない。

ガリバルディ広場から旧市街を散策した通りはにぎやかで歩いていても飽きない。

地元民・観光客が集まる通りと思いますが通りの名前は忘れてしまった。

露天商の珍しいタコスの一種と見られる。買って食べたかったが
団体行動なので買いそこなった。売り子の手は浅黒く不潔に見えたので
買わないのが正解かもしれません。

メキシコシティー市の一等地にあるメキシコ独立記念棟前の広場ですが
後ろに黒く写っているHSBCビルと右側の高層ビルHSBCのビルには驚く。
ビデオ録画している映画「ザ・バンク堕ちた巨像」小説「匿名口座」を
思い出す。メキシコ社会はマフィア組織・麻薬・犯罪・密出国など
一部は裏社会で成り立っている金融経済だと勘ぐりたくなる。







































