下丸子へ通う75歳の元社長のブログblog -13ページ目

アーネスト・ヘミングウェイ著者 「老人と海」

ヘミングウェイは「老人と海」でピューリッツァ賞(1953年)と
ノーベル文学賞(1954年)に輝いた。その「老人と海」を書いた
元漁村・コヒマル村に出かけて昼食をしてきました。

今回の旅行はキューバ・ハバナを中心にヘミングウェイがなぜこれほど
ハバナにこだわって住みついた事を知りたいし見てみたいと思っていた。

アーネスト・ヘミングウェイがハバナで生活していた
二ヶ所のBAR・ホテル・レストラン・自宅などを次から次に訪問してきました。

一番気になった場所は「老人と海」の舞台になった漁村コヒマル村と
目の前に見えるガルフストリーム沖を舞台にした人生物語「老人と海」です。
          ↑(クリック)
(キューバ・ハバナ市滞在の観光パートー4より)




舞台になった漁村・コヒマル村に行ったことから50年前の独身時代に
読んでいた小説「老人と海」を再度ネットで買い求め読みなおししました。

独身時代読んだ時の「老人と海」は記憶に残る小説にはならず貧しい老漁師
人生の行き方に深い意味も理解できず何を言いたいのかは理解不能でした。

その一つの原因は訳者 福田恒存の下手くそな翻訳です。
東京大学英文科卒のインテリですが訳し方をわざと難しくして
ヨーロッパ文学・アメリカ文学に親しんだ事を鼻にかけて

私には理解できない難しい単語・熟語をわざと多く使っている。
「老人と海」のあとがきを本当に理解できたら東大卒並みの頭でしょう。
(私の頭の味噌が不良品ということもありますが・・)



小説に登場する人物は老漁師サンチャゴと少年マノーリンの二人だけです。
物語には一人も女性も登場しない男の働く世界です。

「老人と海」の筋書は
http://www3.ocn.ne.jp/~kenro/literature/oldman-and-sea/

あらすじ (ウィキペディアより貼付け)
キューバの年老いた漁師のサンチャゴは、助手の少年と小さな帆かけ舟でメキシコ湾の沖に出て、一本釣りで大型魚を獲って暮らしを立てている。あるとき数ヶ月にわたる不漁が続き、少年は両親から別の船に乗ることを命じられる。一人で沖に出たサンチャゴの針に、巨大なカジキが食いついた。3日にわたる孤独な死闘ののち、サンチャゴはカジキを仕留めるが、獲物が大きすぎて舟に引き上げることができず、舟の横に獲物を縛りつけて港へ戻ることにした。しかし魚の血の臭いにつられたアオザメの群れに追跡され、必死の闘いにかかわらず、カジキはサメに喰いつくされていく。ようやく港にたどりついたとき、カジキの体は巨大な骸骨になっていた。少年がサンチャゴの小屋にやってきたとき、老人は古新聞を敷いたベッドで眠りながら、船員だった若い頃にアフリカで見たライオンの夢を見ていた。
(貼付け終わり)

過去の映画では「眼下の敵」に登場人物には女性は一人もいませんでした。
記憶に残る傑作映画で主演はロバート・ミッチャムとクルト・ユルゲンス

同じく大海を舞台にアメリカ海軍・駆逐艦とドイツ・潜水艦の
一騎打ちを実体験にもとづいて制作された大作でした。



今回「老人と海」を数十年ぶりに読みなおして感じたことは
一度しかない人生で失敗を何回重ねても、あきらめないで
仕事(本業)に挑戦する男の行き方です。

今の汗かかない若者が楽して働かないで高価なグルメを食べ歩き
パソコンたたいて儲ける人生の真逆の行き方に
老漁師を通じて疑問を持ちながら読み終えました。

人生は最後の最後まで筋書のないドラマですから残り人生どこで
転んでも、けがしても再挑戦し悔いのない終わり方をしたい。



宿場町、北千住で帰宅途中に一杯のんで帰る

パン業界のゴルフコンペに参加する為に前日は綾瀬駅付近の
綾瀬国際ホテルに一泊して翌日の早朝に栃木県佐野市にある
「ゴールド佐野カントリークラブ」まで友人の車に同乗させてもらいました。

コース・レイアウトはフラットで戦略的な素晴らしいコースです。
フルバックから6946ヤードで上級者向きのチャンピオンコースでした。

しかしバブル期に造成した為に会員からの預かり金3000万円以上が
返済が出来ず資金繰りに困り破産して再生したコースでした。

買取った会社は営利優先、会員制でも土日もビジターもどしどし入れる。
しかしコース内にはデボットも少なくメンテナンスはよく手入れしていました。
コースの説明はどうでもよいのですが楽しいゴルフが出来ました。

前日は北千住で午後4:30~10:30ごろまで数件飲み歩いたのに
昼食には生ビールを飲みほして迎え酒にしました。

プレーが終わり風呂上りに成績発表を兼ねたパティーで瓶ビール2本
帰りは北千住まで同乗させてもらいましたがコンビニに立ち寄り
乾き物とバーボン・ウイスキー1本買い求め車内でチビチビ飲んでいきました。
     (ポケットウイスキー200㎖)
運転手以外は気楽なもので渋滞があっても、無くても気になりません。
気持ちも大きくなり明日の朝までに着けば何とかなる、なんて思っていました。

思ったより早く北千住駅に到着して帰宅するには時間調整できるので
昨日行っていない立飲屋に立ち寄ることにしました。

場所は再開発地区から逃れられた一角にある繁盛店「天七」に立ち寄る。


立呑処「天七」については後から詳しく説明しています。


ゴールド佐野カントリークラブは素晴らしいコース設計でした。


パン業界関係取引先メーカーも参加してのパーティー風景


北千住駅前で降りて帰宅するはずでしたが車内で飲んだバーボンウイスキーと
乾き物のツマミが物足りなくて、いつか呑みたかった昭和時代のレトロな雰囲気
「天七」立呑処に立ち寄る。


昨日一諸に飲んでいた酒豪の友人もいったん帰宅してから又 ノコノコと
再会する羽目になった。お付き合いは大事である。
酒飲み同士の気持ちは呑まない連中には理解不可能。


厨房の周りは()の字になっていて調理人はごらんの通り)多い。


      品数は少ないが串揚げは抜群に旨い。


我々二人は角についておちついて飲んだ。


明るいうちから立ち代り入れ替わっている繁盛店。


一人で黙々と飲んだり食べたりしている風景は私が会社からの
帰宅途中と同じ感じだ。


串カツにはステンレス容器にキャベツが付いている。もちろん手づかみで取る。


串カツにつけるタレ(ブルドックソース)はルールがあって一度つけて食べるが
二度づけは禁止されている。

帰りは千代田線で大手町まちから半蔵門線で帰る予定にしていましたが

友人が隣のホーム東武線から直通で半蔵門線で一本で帰宅できる、と
教えてもらいました。千代田線には小田急線箱根までの特急ロマンスカーが
北千住駅まで通っているとは初耳でした。

横浜から感じる北千住は東京の北入口の宿場町と思っていましたが
JRをはじめ八路線が入っている大ターミナル駅で
横浜駅よりスケールが大きい駅にみえました。

北千住宿場町で飲み歩く

メキシコ・キューバ旅行から帰国した数日後にパン業界のゴルフコンペに
参加することになりました。

ゴルフ場は栃木県の山奥にある不便な場所でした。そこのゴルフ場には
クラブバスのありませんし東京に直通に帰れるJR駅もなく不便な場所です。

昭和41年に大型二種運転免許証を取得していますが現在は
私の体の中は24時間アルコール成分が血液を通して抜けることなしに
周り回っています。

事故でも起こせば間違いなく酒気おび運転になるので70歳になってから
原則運転はしない事にしました。

仕方がないので北千住方面の友人に頼んで同乗する約束を
とりつけました。その為には近くのホテルを予約してもらい
一泊することにしました。泊まったホテルはラブホテルとは縁のない
綾瀬駅付近の綾瀬国際ホテルです。

とりあえずホテルに荷物を置いて一駅乗った北千住で待ち合わせしていた
ゴルフ仲間の社長と懇親を深めることにしました。

北千住は飲食店街から外れた数分先の隠れた繁盛店ですが立飲屋です。
その店は客種も高く高級立飲屋で私には敷居が高い店でした。

それでいて酒の肴は一品300円からですからリーズナブルで安心して飲める。
ツマミも手の込んだ煮付け、甘露煮、焼物など目移りする豊富さ。
立飲屋ですがウイスキーに白州もシングル600円と安く飲ませる。

そこでいい気持ちになり宿場通りに入り二軒目に焼鳥屋で飲む。
その後は酔っぱらって記憶が飛んでしまい三軒目は忘れてしまった。
綾瀬国際ホテルまで車で送ってもらい風呂にも入らずバッタンキューと
寝込んでしまい翌日4:30起床5:00出発してゴルフ場に7:20到着

74歳になる私には体力を消耗しましたが翌日のゴルフは酔いもさめて
真剣勝負、神経を使って自分一人の世界になって戦った。


綾瀬駅は千代田線があるのいで便利ななっている。
北千住が東武線・半蔵門・田園都市線一直線で自宅に帰れる。


綾瀬国際ホテルはビジネスホテルでラブホテルではありません。


綾瀬えきから北千住駅に降りてノドの渇きをとりことのしました。


北千住の隠れた立飲屋ですが繁盛店です。16:30ごろ入りましたが
17:00過ぎには席がなくなり入れません。

アルコールも桜木町・野毛と違ってこだわった日本酒・焼酎・ウイスキーを
置いてある。ツマミにもこだわっているので近ければ常連客になりたい。


門構えも割烹・小料理屋の雰囲気で私の行きつけの桜木町ぴおシティーの
立飲み屋とは同列に比べられない。先ずいえるのは客種が違う。

店名は「徳多和良」素晴らしい立飲み屋です。

1)お客は競馬新聞など持ってきていない。
2)ランニング、丸首シャツ一枚の人足タイプはいない。
3)隣のお客でも加齢匂・汗臭い人はいない(毎回風呂に入っている)
4)ゴム草履・ゴム靴・古びた靴など履いている客はいない。
5)カバン・ケースなどはブランド品もあり浜の沖中仕風はいない。
6)スーツ姿の会社員同僚独身女性なども入っているので上品だ。
7)まだまだ書きたいことがあるが これ以上横浜の悪口は書きたくない。


私の行きつけの呑み屋と違って品書きも丁寧に書かれている。
酒のツマミの300円から出された肴は満足できる一品でした。



えびす生ビールを数杯飲んだ後は白州ダブルで3杯・・もしかしたら4杯ちかく
飲んだと思う。日本酒は今年工場見学した新潟の吉乃川がお勧め品。


       内緒で厨房をパチリ写す。


       二軒目は宿場通りにある呑み屋に行く。


        「千住で2番 大はし」で飲む。


          三軒目は焼鳥屋



         繁盛店経営者の営業方針


北千住のどこのお店も値段はリーズナブルでした。

一品・一品の説明はいたしまっせん。今回の呑み屋は昭和時代の
雰囲気がありそれぞれオーナの個性があり素晴らしい店でした。

チエーン店と違って飲んでいても落ち着くし北千住は気にいった町です。
昭和の雰囲気が残っている北千住素晴らしい街だ。


産経新聞「産経抄」に書かれたこと

一昨日BSフジ プライムニュースに前那覇市市長の翁長氏が
沖縄県知事当選した直前の出演で話を聞いていましたが
話の節々に偏見に満ちた会話に驚きました。

(貼付け)

恥ずかしながら、最近まで知らなかった。鳩山由紀夫元首相が、政治活動で使う名前を「友紀夫」に変えていた。「友愛への理解を深める」のが理由というから、あきれてしまう。「最低でも県外」。鳩山氏の無責任な発言が、沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の移設問題をこじらせ、地元に不毛な対立を生んでしまった。

 ▼政治家引退後も、非常識な行動は収まらない。尖閣問題で中国に利する発言を繰り返し、移設反対派に加担している。一時は沖縄知事選出馬も取り沙汰されたが、さすがに実現しなかった。

 ▼日曜日に投開票が行われた選挙で初当選したのは、名護市辺野古への移設反対を掲げる、前那覇市長の翁長雄志氏だった。政府は粛々と作業を進めるだけだが、工事阻止を狙う活動の激化は避けられないだろう。それ以上に気がかりなことがある。

 ▼沖縄在住の作家、恵隆之介氏によれば、翁長氏は「鳩山氏よりもっと危険な親中派の人物」だという。すでに那覇市内の市有地には孔子廟(びょう)が建てられ、中国の石材を使った、高さ15メートルもの龍柱の建設が予定されている。

 ▼翁長氏に名誉市民の称号を授与した中国福建省の省都福州市は、習近平国家主席のお膝元でもある。翁長氏の背後には、習氏の影が見え隠れする。中国共産党の機関紙はかつて、琉球諸島の帰属は未解決との論文を掲載した。翁長沖縄県知事は、中国の支援を受けて独立を果たし、日米両国政府に「米軍撤退」を要求するのではないか。

 ▼こんなシナリオを紹介した恵氏の近著『迫りくる沖縄危機』(幻冬舎)が、沖縄で売れている。にわかに信じがたい話だが、確かなことが一つある。沖縄は反米反日一色ではない。中国の脅威を懸念する声も高まっている。

(貼り付け終わり)









キューバ・ハバナ市滞在の観光パートー11

メキシコ・キューバ12日間の観光旅行最終編です。

毎回の旅行は大手旅行会社・航空会社のお膳立てしたパックツアーと違って
観たい場所、汽車の長旅、BAR、ナイトクラブ、キャバレーなど
組み入れて好奇心いっぱいの楽しい日程でした。

食事については発展途上国なのでそれなりの料理でしたが食べ物には
文句を言いません。私は終戦後、満州引揚者の食糧難に帰国したので
一品300円程度のツマミがあれば呑む量によって2~3品あれば
十分満足しています。

ただし生ビールジョッキーのつぎ方が少なかったり泡が多かったりすれば
直ぐに因縁をつけてボロクソニ文句を言いだしますが・・

一見客でウイスキーをシングル・ダブルについてもケチったりして
少なめの量にしたら直ぐにクレームをつけて測って入れろ、と文句の一つも言う。
ただし行きつけのボトルキープしている場合は関係ない。

今回の旅行では機内に忘れものをした方もありますが帰国便での
トランジットで保管されていて無事に戻ってきたことは奇跡にちかい出来事です。

11名全員無事に帰国できて出発前にメガの○藤さんに強制的に全員
掛けさせられた海外災害死亡保険も無駄になりました。


ハバナから500㎞行った先のカリブ海に面した古都トリニダーで一泊しました。
街の至る所の道路は石畳で造られていまっす。


夕食を終えてホテルまでの帰り道はごらんの通り風情があり素晴らしい


これらの多くの石はスペインから持ちこまれたものです。
理由はスペインからキューバまでの航路は空の船で行くために

船の浮力を安定させる為に左右、船底に石を詰め込んでバランスをとっていた。
スペインに帰るときには石は捨て砂糖・香辛料を満載して帰るのです。
捨てた石を道路に引きつめ、ぬかるみがなくなる様にした。


上下に枚の写真はハバナ旧市街ですがこちらの道はスペイン産の石は
使われていませんが夜の散策も危険もなく安心していられる。


治安の良いキューバ、治安が悪いといわれるメキシコとの差は
国民生活に大きい格差がないことで維持されているのでしょう。


古都トリニダーからハバナに行く途中に元フランス租界の街にたちよる。


元フランス租界は落ち着いた街並みでキューバ人の観光地だと思いました。


カリブ海に面した浜のレストランで昼食をしましたがバナナをはじめ
フルーツは自分で千切ってテーブルまで持っていく。


ハバナ市にあるハバナ湾にある要塞はとても巨大でびっくりした。


要塞内部は大砲で撃たれてもぶち壊せない頑丈な造になっていた。


現在は観光地として必ず立ち寄る場所になっている。


対岸に見えるハバナの旧市街と手前に見える要塞にある大砲。


大河に見えますがハバナ湾になっています。湾の奥行きが長くなっているので
ハリケーン襲来前にローマ使節団 支倉常長が10日間滞在したと記されている。


ハバナ国際空港からメキシコシティー国際空港経由で成田に帰国です。
たまたまトランジットしたメキシコシティー国際空港でボヤ(火事)が発生した。


好奇心のある私は早速写真に取り込みましたが警備員に注意されましたが
言葉が通じないのをよいことにパチリ・パチリ写しました。


目の前にあった消火栓のガラスをたたき割り二人の消防員がホースと共に
走って現場い駆けつける・


乗り換え時間は4時間近くあったので暇つぶしに消火現場と作業を見学する。
火事の現場は出発フロアー2階のHSBCラウンジ?か隣の喫茶店だと思います。

2階の現場には大勢の関係者がいて火事現場の確認はできませんでした。
長時間の待ち時間は暇つぶしで眠気もさめて興奮しました。終わり


キューバ・ハバナ市滞在の観光パートー10

キューバ・ハバナ市からバス移動500㎞ちかく走ったトリニダーに到着。

ホテルで一泊した早朝に家内と散歩に出かけました。
街の様子は1959年時代以降止まっている古い建物で当時の様子が
感じ取れる街でした。

早朝の散策は観光客にすれ違うこともなく街の様子も自分の眼で確認できます。
革命から55年過ぎてもキューバ国民は質素な貧乏生活で今でも
早朝に生活食料品は配給になっています。

配給所は食品によってそれぞれ別れていて買い出しは大変です。
配給所には家族で高齢者の仕事になっている様子でした。
配給所によっては人だかりでゴッタ返しになっていました。

北朝鮮国家も配給制度で食つないでいるそうですが南国キューバは
食料品が無くなれば毎日近くの畑や山にある果物・バナナでも食べていれば
命は維持できるのでしょう。

改めて日本の豊かさに驚きます。コンビニで賞味期限の切れた
弁当・おにぎり・サンドイッチなど廃棄処分にしていますが
モッタイナイ限りです。

当社も自社の専用1.5トン・ダンプトラックで週2回 廃棄処分場まで持って行く。
2/3は形が崩れり、生産過程で潰したり、売れ残りになったりした
不良品で本当のゴミは1/3ちかくです。

言い換えれば大田区の損になり東京都の損であり、大きく言えば
日本国の損になっています。金になれば法人税、都民税、区民税に
はね返りますが費用としては一キロ20円ちかくかけての出費です。


ホテルでの早い朝食をすましての散歩は好奇心むき出しで楽しめます。

早朝、タクシー代わりの馬車に乗っているデブの高齢者は足が悪いのでしょう。
目的の配給所までの買い物と思われますが往復使用するのでしょう。
もしかしたら相乗りもあるのでしょうが高齢者には大変な仕事です。


早朝歩いている一般市民は目的の食料品配給所まで距離を歩いている光景


配給所の周りで見かけた大工道具もどき、水道?井戸蛇口、乾電池、
消耗品などを売っている闇市場だと思います。闇といってもなければ困るでしょう。


配給所の周りに群がっている高齢者は栄養失調にはみえません。
かたよった食事でデブが多く健康管理まではできないのでしょう。


配給用パンの販売所と思われる場所です。


肉屋の配給所では配給票との交換をしていました。


このおばさんは豚の頭を配給票で買い求めたのでしょう。
顔から察するとポーズをとって、ご機嫌に見えました。


石畳みは1560年代の道路と説明をしていました。


一階、二階の出入口、窓には鉄作で作られている所を見ると泥棒も
多いと勘ぐりました。


1958年代のシボレーは私にも記憶があります。


ジープ?乗用車?トラック・・年式不明、メーカー不明の車が今でも動いている。


何処に行ってもゲバラの写真・イラスト画が置かれているのは
もてる色男は得するからでしょう。




曽野綾子の沖縄戦教材配布(下)を読んでの感想

キューバ特集ブログを書いていますが今日は曽野綾子女史の
記事が気になり急きょ貼付けすることにしました。

昨日は朝日新聞木村社長退任発表がFacebookに書かれていましたが
未だに吉田調書、吉田清治慰安婦問題についてはっきりした
謝罪もなく購読部数・広告も減って落ちろところまで行きついた感じです。

産経新聞には毎週 曽野綾子の「透明な歳月の光り」を読んでいます。
二週にわたり書かれている文章を四つに切り貼付けしました。
左右の活字が消えている場合はクリックして拡大してください。

Facebookでの池田信夫氏は木村社長のことで
立ち合いを頼んだ旧友(加藤清隆)の批判に
イギリス大使館での大英帝国勲章の授与式には来ないでくれ」と
いったほど、勲章への執着は強かったようだ。
わが友、木村伊量社長への決別状




(Facebookより貼付け)

◇辞任にあたって記者会見しないのは無責任すぎる

 大石泰彦・青山学院大教授(メディア倫理)の話 吉田調書を巡る報道は捏造(ねつぞう)ではなく勇み足の誤報だと思うし、池上氏のコラムを誰が止めたかも不明。一連の問題では不可解なことが多すぎ、朝日新聞はどこに向かって謝っているのか分からないし、今回の辞任で幕引きするなど、とんでもない。第三者委員会に投げて、後は辞めるというのは無責任。木村体制下で何があったかを検証して明らかにするのが朝日の責任だ。木村氏が辞任にあたって記者会見しなかったのも無責任すぎる
(貼付け終)

キューバ・ハバナ市滞在の観光パートー9

一昨日はブログに書けない心配な出来事があり一休みしました。

来月は74歳になり会社も協同組合も汗をかく実務の仕事は任していますが
何時までたっても心配事はついて回りますので心はいつまでたっても
現役で動き回り行動しなければなりません(愚痴)終わり
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キューバ・ハバナについてパートー8まで興味のある場所、
ヘミングウェイを中心に書きましたがハバナからトリニダー市に行く途中
サンタクララでチェ・ゲバラ革命広場・記念霊廊を観光しました。

当日のトリニダー市までの移動距離は500㎞の移動でした。
私にとってゲバラ革命広場など全く興味がなくバスから降りることも
めんどくさくて嫌でした。

当日はスコール続きで雨も降りだしたのでバスから降りないで通り過ごしました。

左翼・リベラルと称する左翼グループ、共産党革命など私の思想信条には
全く受入れない左巻き左派思想で現地添乗員に詳しい説明はしなくてよい、
と きつく釘を刺しておいた。

ゲバラは1959年日本訪問に来日していますがマスコミ関係は
朝日新聞社関係者以外には口も利かない、会わない徹底した対応でした。
(左翼系の毎日・日経・東京新聞は困ったことでしょう)

その当時から朝日新聞は徹底した左翼思想・革命も正義という思想。


バスの中から写した革命広場のゲバラ銅像ですがカストロ元国家元首が
死んだらゲバラ銅像も何時かは倒される運命になるでしょう。


ソ連でもあれだけ英雄視されたスターリン、マルクス・レーニン像でも
時代が変われば引きづり倒される運命にあるのです。
ゲバラもそのうちに引きずり倒される運命になるでしょう。

しかしゲバラは女性好みの色男、若くして革命中に銃殺されたので
何時までも記憶に残る二枚目は得している。


ゲバラの仰々しいサインを記念館の前に立てかけられていました。


ゲバラの指示で革命広場から少し走った場所に鉄道列車爆発事件を犯した
場所も記念に保存されていました。事実は分かりませんが多くの犠牲者も
あったと想像できますが勝てば官軍で死人に口なしですまされたのでしょう。


革命で政権を取ってしまえば列車転覆も正義になる実例。

満州国ハルビン駅で伊藤博文総理大臣をピストル暗殺したテロリスト
朝鮮人 安重根も朝鮮半島では英雄になる理屈と同じです。


列車転覆をそのまま記念にした醜い現場など私には全く興味なし。


キューバ・ハバナの内務省ビルにはゲバラのネオンが書かれている。


ここも観光コースになっているが何時まで保存されるか興味心身。


現地ガイドの説明を記録していないので人名は忘れてしまった。
覚えていても何の得にもならないし、くだらない人物と思う。


キューバ・ハバナ市滞在の観光パートー8

ヘミングウェイはハバナの郊外サンフランシスコ・デ・パウラ村の
自宅で小説は一冊も書いていない、書けない場所でした。

現地ガイドの話では家族の為に建てた自宅で自分では
気にいらない場所と話していましたが事実は不明です。

彼が定宿として7年間、愛用していた
クラッシクホテル・アンボス・ムンドス511号室は現在ミニ博物館に
なっていますが、しかし時間の都合で見ることはできませんでした。

昼食はクホテル・アンボス屋上のレストランで頂きましたが
真下には旧大統領公邸ハバナ湾をはじめ要塞も見える絶景な場所です。

もちろん旧市街の全景が見える屋上レストランは観光客の
外貨稼ぎに貢献する場所です。

ホテルフロントにはヘミングウェイに関する写真がたくさん飾られている
クラッシクホテルです。もし次回ハバナに行く機会があれば二度あれば
泊まってみたいです。

ホテルの周りはたくさんの出店、テナントなどあり飽きの来ない旧市街です。


ホテル・アンボス・ムンドスまでの散策している隣の建物尾にある
郵便ポストはBSテレビ女優の杏が手お入れて郵便物を確認してたポストです。


ホテル・アンボス・ムンドスに外壁に飾られていた建物の全景。


ホテル正門前の風景ですが観光客の出入りが多い名所になっています。


下記の5枚の写真はフロントの壁に飾られているヘミングウェイの各写真。



カストロ国家元首との写真はアメリカ FBIにには危険人物に写ったことでしょう。


定宿にしていたから残された彼の大きなサインは額入り。


当時のままの旧式手動エレベータは専属ボーイの操作で屋上まで上がる。


前日ハバナ湾の反対側にある要塞を見ましたが旧市街のクラッシクホテル側
から見た光景です。


晴天に恵まれたハバナ観光に堪能しました。


ホテル屋上から見たスペイン統治時代の大統領官邸。


世界遺産になっているハバナ旧市街・新市街見るところの多い場所です。
時間をかけて観光するならばまだまだ沢山ありますが堪能しました。

キューバ観光に行く機会があればアメリカ資本の入る前、
再開発されない今の時期、カストロ元国家元首が死亡する前に
観光するのがベストです。



キューバ・ハバナ市滞在の観光パートー7

ヘミングウェイの自宅はハバナから少し離れた郊外の
サンフランシスコ・デ・パウラ村にあります。
そこまでバス移動してわざわざ見学する目的で訪問しました。

そこの自宅は大型バス数台駐車できる敷地がある広さにびっくりする。
正門を入った最初の芝生の広場は地元の子供たちに開放したグランドです。

そこで地元の子供達に開放した野球場でヘミングウェイの二人の子供を交えた
チームを作り試合をしたそうです。ピッチャーは両チーム共に彼が投げたそうです。
地元の子供達は試合用グローブがないので野球道具一式プレゼントしたそうです。

しかし現地ガイドの説明ではヘミングウェイよりも奥様の方が気にいった自宅だ
そうです。ここで小説は一冊も書いていないと話していました。


今でも子供たちに開放している芝生グランドです。

子供達の遊び場と食堂を兼ねた別室は本宅脇に建てられています。

郊外のサンフランシスコ・デ・パウラ村は彼の家が観光客収入で持っていると
勘ぐられるほど人手が多くいます。


書斎・寝室・居間には合計9000冊の書物があるそうです。
書き物の仕事は午前中だけで昼からはウイスキーからはじまって釣り、
クルーザー、野球などで楽しんでいたそうです。


靴のサイズは30㎝、身長190㎝の大男でした。


外階段を作って4階に個室・仕事部屋を増築したが
小説一冊も書いていないそうです。


奥様・子供の友人・知人の来客やパーティーの時には彼が呼ばれない限り
4階の個室で過したそうです。


小高い高台にある4階からの風景は素晴らしい眺めです。


自宅の裏庭はごらんの通り緑のクーラーで暑さを避けたのでしょう。


彼のクルーザーはハバナからフロリダ、キーウエストを
往復できる性能があったそうです。


1920年時代のアメリカは禁酒法時代で禁酒法のないハバナからフロリダの
キーウエストまでラム酒の密輸が盛んにおこなわれていました。

ヘミングウェイは小説「脱出」に禁酒法時代を舞台にしたサスペンス
映画もあります。
ハンフリー・ボガード主演の映画ですが私は見ていません。


クルーザーの名前は愛妻のピラール(PILAR)と付けていてキューバに来る前に
住んでいたフロリダ半島の離れ小島キーウエスト登録になっていました。


広大な敷地の見学でしたがバスに乗る前に売店でカクテルを飲む。
目の前でサトウキビを絞って自分で好きなだけラム酒を入れる。
ラム酒・パイナップル・サトウキビ棒・ライム入りが抜群に旨い!