下丸子へ通う75歳の元社長のブログblog -133ページ目

安徽省合肥市で集中豪雨にあいました。

成都市から安徽省 合肥市に到着しました。


夕食前に合肥市内観光をする予定で出発しました。

ところが突然の集中豪雨で道路は、いたるところ

川になって車は立往生してしまいました。


合肥市のマイカー族は走れる所まで走る行動にでて

車のエンジンは止まってしまいます。車内も水浸しになり

手の付けようがありません。


観光バスはエンジンの位置が高いので問題はありません。

集中豪雨は日本並になってきました。


集中豪雨直前に撮影した動画です。

合肥市では滅多にない出来事で市民は

驚いていました。



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夕食後観光に出かけましたが、ごらんの様に道路は

川になっていて渡ることも前に進むことも出来ません。

今の車はコンピューター仕様の為に水が入ったら動く事も

修理する事も不可能になると思います。



仕方がないので観光を中止して早めの夕食にしました。

食後は雨も上がり歩行者天国で有名な場所まで行きましたが

やはり道路は大川状態になっていて水浸しの車が

故障中、歩道も通れる常態になく、結局中止。


今回の考察団は乗り物にはツキがありません。

せっかく箱根神社まで行ってお祓いをして頂いたのに

考察団と合流したとたんにツキが落ちてしまいました(笑)


ところでガイドさんの説明では安徽省料理の美味しさは

中国8代料理(?)と話していましたが不味い方の順番だと

思うほどの、私の口に合いませんでした。


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子供の頃によく取りに行ったザリガニは食べることは

ありませんでしたが最近はフレンチ料理にも使うらしく

品薄と聞いています。安徽省では捨てるほど多く取れる

らしくテンコ盛りで出てきました。














成都で考察団と合流しました。

私と◎多さんは東京パン連盟組合の毎年に行事

箱根神社参拝予定がありましたので3日遅れで
上海経由 成都で予定通り合流いたしました。


先発組みは北京発 成都行きで行きましたが

天候不順で強風、雷雨でやむなく重慶に強制着陸

させられて重慶から真夜中観光バスの手配をして

5時間掛けて、クタクタになって成都いりしました。

翌日早朝7:30到着した日の夕方合流。


CA1425便 重慶までの機内では電気が全て消えて

真っ暗になり驚いたそうです。

それも一回だけではなしに数回機内停電をしたそうです。

停電を何回か繰り返した飛行機で飛び立ちました。

機体も左右にゆれてダッチロール気味と大げさに話していました。


話してくれた人の話では生きた心地が無かったそうです。


たくたになって当日到着できず翌日、朝ホテルに到着したそうです。

お昼まで休息した後パンダ動物園見学をしたそうです。

多くの方の睡眠時間0~3時間


私と◎多さんは普段のおこないが良いので予定通り快適な旅でした。

当然 前日箱根神社で神主様から直接祝詞をあげてもらい

厄払いをして頂いたばかりですので効き目はてきめんでした。

私は 「社運隆盛、身体健全」 一つだけは当になりました。


夕食後はお決まりのコースに二人で出かけて成都美人と

一緒に遊んで楽しい夜を過ごしました。













箱根神社に参拝、翌日考察団に参加します。

7月16日は恒例の箱根神社参拝をしてきました。


東京パン連盟組合は一年に一回この時期に毎年

慣例の行事です。ことしですでに50年ちかく経ちました。


バス一台仕立て丸の内鍛冶橋駐車場から

根神社参拝が終わりましたら小田原の鈴広の

蒲鉾会館経由で国府津の鰻屋で小宴会を開いて

夕方までに都内東京駅付近で夕食を食べた後帰宅いたします。



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翌日(7/17)土曜日は上海経由成都に入って考察団と

合流しその晩は成都美人の多い行きつけのカラオケ屋で

皆さんと合流いたします。寝不足は翌日のバス移動で

ぐっすり寝ることにいたします。


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         前回訪問してきたカラオケ屋風景











上海、上下巻、香港までの解説

昨日書いた上海 上、下巻に続いて香港の長編

歴史大河小説、冒険家たちの人生、成功者の生い立ち。

「香港」を読み終わって 「解説」に邱永漢の燭水渓

文章の一部書かれていました。

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日本植民地下の台湾に育ち、戦後進駐してきた国民党の

制圧に抵抗する台湾人の「2.28事件」に参加して破れ、

日本に亡命した。彼の自伝的小説「燭水渓」のなかで、

主人公は次のようにモノローグしている。


私が新しく購入した捷安丸は五十トンの百二十馬力。

全速で走ると、十二ノットくらいは出る。その舟に乗って、

私は香港へ出る計画を立てている。


もう私には国家もない。民族もない。


私は永遠に地球をさまようユダヤ人になるのだ。

この「さまよえるユダヤ人」という言葉こそ、なによりも

香港をめざした戦後の亡命者の心境をあらわしているかも知れない。

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1993年発行の上海大河小説の最後の解説に 

「上海のリバイバル」に書かれた文章の一部


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上海の「沿海地域発展戦略」を拡大して「上海浦東新地区」

建設が決定されたのは1990年4月のこと。



香港に逃れさまよえるユダヤ人になるのだ、と小説の主人公に

語らせた邱永漢が、1992年3月、浦東地区に外国企業向け

ビルの建設をするため、同地区に1万2千平米・50年間借用の

土地使用権を確保したという。このニュースは上海の香港化、

いや、かつての香港に譲った東洋第一国際都市としての地位に

上海がふたたび返り咲こうとしている現状を象徴するものでいる。



香港返還前後の中国の対香港政策には、この上海再開発計画の

進展が微妙な影を落とすことであろう

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1993年4月発行の「上海上巻」「上海下巻」「香港」の後書きに

書かれていました。当時日本では中国に対しての投資は無謀と

言われた時代に著者クリストファー・ニューは未来(20年後)の

上海、香港を見抜いていました。


「香港」の後書きに書かれた文章です。


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上海を舞台にした小説を読み終わりました。

長編小説「上海」上、下巻を読み終わりました。

1991年 初版 著者 クリストファー・ニュー

オックスフォード大学教授から香港大学哲学を教鞭。


19年前に出版された古い本です。たまたま本棚を

整理していましたら2000年に購入していました。


物語の大筋は分かっていましたが読み直す事にしました。

本を買った当時の知識で読んでいる上海香港と見方が違うからです。


物語は1903年主人公イギリスの典型的な下層中産階級の

青年が船旅を終えて上海の税関司見習いになるところから

はじまります。


税関を退職後、中国人買弁(通訳)の仕事を手伝い独立、

上海の大班(白人富裕層の支配者)まで上りつめます。


1920年には上海租界時代バンドに豪邸を建てました。
もちろん車はローイス・ロイス、料理人、庭師、運転手、

女中四名を使用人として抱えていました。


登場人物は主人公デントン 周恩来、孫文、宋美齢、蒋介石、

ユダヤ人、白系ロシア人、アメリカ人、ドイツ人、日本人


外難バンド中心に白人大班の工部局、参事会、

上海クラブ、香港上海銀行、パレスホテル、ガーデンブリッジ

サッスーン財閥、ジャーデン洋行、


阿片をめぐる紅幇、青幇、あばたの陳(杜月笙)、上海事変


読んでいる内にその時代の変遷がよく分かります。

国際都市上海、国際金融中心地 外難(バンド)にある商館、


10年ぶりに読み直しましたら町名通り、商館、場所、政治、経済の

変遷が解りやすく頭に入っていきました。



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当時の本は活字が小さく読みづらいですが、読み終わって

とても勉強になりました。続編にデントン家は共産革命で追われて

香港に移住するところから二代目マイケル・デントンの物語です。


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北京 鼓楼から歩いて京城「九門小吃」で会食をしてきました。

北京市 鼓楼から歩いて后海南沿、西海まで

30分かけて京城「九門小吃」で食事をしました。


地元北京の方達には有名な料理屋で菓子、餅、ソバ

何でも出来る屋台方式を集めて一つ屋根の下に集めています。

欧米人、日本人観光客には不向きなレストランでした。


周りは一般庶民の住宅地で暮らしの状態がよくわかります。




九門小吃までの道のりとレストラン内の風景

食事の様子を動画でお見せします。途中で買った

サソリ、セミの幼虫、カイコの唐揚げを皆で食べた様子も

記録されています。


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             途中で買って来た三品


手前からセミの幼虫、カイコ、サソリ、三品を油で揚げて

ビールのツマミにしました。中身は一見ブルーチーズ、

かたさはカマンベールチーズを食べた感触です。


家内は食べないくせに牡蠣フライの感触?と表現しましたが

食べず嫌いは損をしています。

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現地の人の話では普段セミやカイコは食べないそうです。


中国人は何でも料理して食べてしまうと言いますが

それは広東省の広州の人達で、我々と一緒にしないでくれ

と言われたそうです。


同じ漢民族でも変なプライドを持っているのですね。

同じく漢民族でありながら上海人と北京人では

合い入れない、見えない壁があるそうです。


私の書いているブログで一般論として

上海の女性より北京の女性はデブが多いと表現したら

北京の美人女性に叱られました(笑)












北京の旧天地「南鑼鼓巷」ナンルオグーシャン

北京中心地、地下鉄2号線 鼓楼大街駅か徒歩数分で

通称「北京旧天地」があります。天安門からも近い場所です。


上海の旧天地 田子坊と雰囲気は似ていますし同じ店も

北京に進出していました。


南鑼鼓巷(ナンルオグーシャン)の通りは若い女の子が多く

雰囲気の良い場所でした。近くに芸術専門大学があって

女優のタマゴの通り道になっています。


今は北京の若い子が遊びに来るナウイ町だそうです。

ここ数年でハイカラなお店がたくさんできていました。


5年近く前にQカフェー店及び本社を移転する計画も

持ち上がっていたそうですが、なんらかの理由で中止したそうです。


町の雰囲気は動画で楽しんでください。



通りには衝動買いしたくなる店がたくさんあって

時間を忘れる楽しさがありました。



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             南鑼鼓巷への入口門



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通りの中ほどにある旧家を改造したホテルは欧米人が

多く利用しているそうです。



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一時、Qカフェーの店と本社の場所にする計画がありましたが

今思うと、とても雰囲気のある建物で中は広くゆったりしていました。




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横道に入ると閑散としていますが数年後には今と違って

ビックリする様な通りになっていると思います。



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オバマ大統領が人民服帽子、シャツを

かたどったシャツを売っていました。










不味いお粥屋で我慢出来ず屋台料理を食べました。

北京市朝陽区麦子店街に北朝鮮経営のホテルがあります。

場所柄近くに行くことはありましたが北朝鮮御用達の

ホテルには近寄ったことがありません。


今回北朝鮮ホテルの隣りにある粥屋に行きました。

朝食を食べ終わり興味本位で北朝鮮ホテルへ行きました。

家内が「お父さん拉致されるかもしれないよ」と

脅かされましたが高齢者を拉致しても、なんの得も無いはずです。

家内は外に待たして私一人で行動しました。


初めて北朝鮮ホテルのドアーを開けてフロアー見学を

して見ましたが、雰囲気は暗く、何も無いフロアーは不気味です。

ビデオで監視されているかもしれません。

フロアーには人っ子一人も居ない異様な感じでした。


早々に出て行きましたが背後に感じるプレッシァーには

恐さを感じてしまいました。


滅多に写せない、入りづらい北朝鮮ホテルと

隣りのお粥屋の動画です。


不味いお粥屋には、我慢出来ず帰りがけに

路上で売っていた屋台で中国風クレープに

ハム、キャベツを巻いた一品を買い食いしました。



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老夫婦で屋台クレープの商いをいていました。


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北朝鮮語用達(?)お粥屋はお客様が少なく閑散としていました。



大利根CCで開催されたレクサス選手権を観戦してきました。

私、ゴルフは自分でプレーするスポーツでゴルフ場、テレビで

見るものではないと思っていました。したがって40年間一度も

観戦した事がありませんでした。


30年前に一度だけ自宅から近い よみうりカントリークラブで

女子プロの試合を見学した事がありますがプレーは見ていません。

本心は女子プロの顔とスタイルを見る為です。


ゴルフは一流ですが男か女か区別がつきづらいブスばかりでした。

当時の女子プロは「女武蔵」「迫力、大迫」「ふてぶてしい岡本」

今と違ってファッションに気を使わないでよいプレーでした。

今も貰い手がいないのか独身で通しています。


色気の無い女子軍団に嫌気がして、たまたま売店で買った

熱燗二合を一気に呑んでサッサと帰ったことがあります。


今回は私と同業者の友人が応援している

谷 昭範プロを応援する目的がありました。


谷プロは台湾人の父と日本人の母親で高校はPL学園出身です。

決してゴルフが自由に出来る恵まれた家庭環境ではありません。

友人の援助で18才でプロになり将来有望な選手の一人です。


今回のレクサス選手権では4位タイの上位入賞をしました。

その友人の御子息は谷プロの専属キャデーをしながら

同じくプロ転向志願を狙っています。



早朝(7:10)から会場にはギャラリーがつめかけていましたが

今回、石川遼が全英オープン出場を優先したので

入場者は4日間で15000人は少ないと思います。




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ドライビングレンジの練習所はギャラリーの休憩所になっています。




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西コースOUT,INはプロの練習場として使用



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北京朝陽区好運街にある「粟庫泰」泰式文化餐庁

北京朝陽区好運街にある「粟庫泰」泰式文化餐庁


マンションから徒歩7~8分の所にレストラン街があります。

日本人が経営している居酒屋、カラオケ屋もあります。


今回昼食にタイ料理店に行く事にしました。

北京にもタイレストランはたくさんあります。

味の方は店によってだいぶ開きがありますがタイの北と南の

料理ではだいぶひらきがあります。


家内はタイ料理については好きなので喜んでついてきます。

日本人はパクシー(香菜)が苦手な人が多いので

うっかり誘えません。


世界三大スープの一つにトムヤンクンがありましが

ピリ辛、レモングラッセの香りはどこの店に入っても余り差は

無いように感じますが、パイナップルチャーハンだけは

美味しいタイ米の炊き方、炒め方で相当違いがでてきます。


日本は数十年前に米不足の時にタイからタイ米の

緊急輸入をしたことがあります。当時の農林省は

わざと不味い肥料用に使用するタイ米を輸入しました。


それがきっかけで日本人はタイ米は不味いと言う印象を

うえつけて今日まで引きずっています。


香港でもタイ米使用のご飯はたくさんありますが

秋田小町より美味しいお種類のおタイ米はどこのスパーでも

売っています。お米の小売価格は1kg50~70円で

どこででも買えます。日本は政治力、農協の力で

1kg400~600円近くしています。



わざわざ開いて見るほどの動画ではありませんが

興味のある方だけ見てください。


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店前にはテラスがあってのんびりした印象がありました。


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インゲン豆の野菜炒めは美味しかったです。


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トムヤンクンスープは美味しいかったですがパイナップルチャーハンの

タイ米は蒸し方、炒め方がイマイチでした。