今回は公園、公園の遊具についての記事を書いてみたいと思います。公園、公園の遊具といっても、時代により異なるため、昭和初期、昭和中期、昭和後期、平成、令和と時代を区切って書いてみようと思います。まずは昭和初期についてになります。

 

明治6年(1873年)、政府は欧米の都市のように公園を設置することを決定し、旧社寺の境内を公園とすることを布達しました。これにより、東京には浅草、上野、芝、深川、飛鳥山の5箇所の公園が生まれました。

 

序章:昭和初期の公園事情

 

昭和初期、日本の公園はまだまだ発展途上でした。この時代は、都市部の近代化と共に、市民のレクリエーションの場として公園の重要性が認識され始めていました。公園は、地域コミュニティの集いの場として、また子供たちの遊び場として機能していました。

昭和初期の公園遊具

 

 

  1. 簡素な遊具

昭和初期の公園には、比較的簡素な遊具が設置されていました。主には、ブランコ、鉄棒、砂場など基本的な遊具が子供たちの遊びを支えていました。

 

  2. 自然とのふれあい

当時の公園は、自然環境を生かした設計が多く見られました。木々や芝生のエリアは、子供たちが自然と触れ合い、想像力を働かせながら遊ぶ空間となっていました。

 

今では見られない遊具

 

昭和初期の公園には、現代ではほとんど見られないような遊具もありました。例えば、木製のブランコや手作り感のある砂場など、現代の安全基準では考えられないシンプルな作りのものが多かったです。

 

公園の社会的位置づけ

 

 

  地域コミュニティ

コミュニティの中心 昭和初期の公園は、地域コミュニティの中心としての役割を担っていました。住民たちは公園で交流を深め、子供たちは自由に遊ぶことができる場として親しまれていました。

 

  子供たちの成長の場

また、公園は子供たちの健全な育成と成長の場としても重視されていました。自然と触れ合い、身体を動かすことで、子供たちの健康や社会性が育まれると考えられていました。

 

昭和初期の公園遊具の変遷と意義

 

昭和初期の公園遊具は、その後の時代の変化とともに進化し、より安全で多様な遊具が設置されるようになりました。しかし、昭和初期の公園遊具には、子供たちが自然と直接触れ合い、創造力を育むためのシンプルで基本的な遊びが含まれていたことは注目に値します。

 

昭和初期の公園と遊具は、現代の公園遊具の原点とも言え、当時の社会状況や子育て観、公園の役割を反映しています。この時代の公園遊具を振り返ることで、遊具の進化だけでなく、時代ごとの子供たちの遊び方や社会の変遷を理解することができるでしょう。

 

昭和初期の公園は、今日の公園遊具や地域コミュニティの形成に大きな影響を与えており、その遺産は現代にも引き継がれています。遊具の歴史を通じて、公園が果たしてきた役割や社会的意義を再認識することは、公園の未来を考える上で重要な視点となるでしょう。

 

 

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