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MYSTORY

26.看取り

 

 

義母の治療は、通院が厳しくなって

自宅療養、訪問看護となった

 

義母の希望は

最期は自宅で。

 

その気持ちはわかるけど・・・

 

病院でじゃなく

人の死がどのように近づくのか

わからず、付き添う私は不安があった

 

訪問看護に来てくださった時に

看護師さんに、

これからどうなっていくのかを聞いた

 

点滴は家でできるようにされていて

私の役目だったし

薬を飲むのも管理し、介助した

 

オムツをつけるのを拒んだ義母

たんびたんびにトイレに連れて行き

それも辛くなってきてポータブルトイレを部屋に置いて

夜中に何度も「トイレ」と呼ばれ

そこまでの移動は介助した

実際には出ないけどしたい気がするんでしょうね・・・

 

ビワの葉をあてたお灸がいいということで

少しでも背中の痛みが楽になるように

毎晩、お灸をした

 

食事はだんだん食べられなくなっていたものの

「食べられなくなったら終わり」だといいながら

頑張って食べてはった

 

コスモスの咲く頃から闘病して

なんとか次のお正月が迎えられて

食欲ないものの、おせち料理はよく食べてくれはった

 

もうずいぶん身体が衰弱していたけど

それでも、お風呂の介助を手伝うのは嫌がりはったので

入ってはる間は脱衣所で待機しながら見守った

 

 

年が明けて

訪問看護にきてもらった時

心の準備が必要ですと告げられた

 

パルスオキシメーターで酸素濃度を測って

80を切ってくるともう覚悟してと言われていました

 

もう同室で寝てずっと義母の声に

応えるような生活となった

 

夜中、眠気に負けるので小さなボリュームで

TVをつけていたら

「うるさい!!!!」って怒鳴られたり

私に「鬼嫁だ」などとイライラをぶつけてくるなど

せん妄状態が見られるようになり

 

ろくに寝れていない私も

一生懸命看護しているのに罵られて

精神的にも、体力的にも限界が近づいていた

 

学校の冬休みが終わる頃

義母の様子が変わってきたので

急遽、先生にきてもらった

そこで、

「これ以上痛みや苦しみを長引かせたらお辛いと思います」と

モルヒネ投与の提案を受けた

 

義妹と私は泣いて抱き合って

「もう、お母さん充分頑張ったよね、これ以上は可哀想よね」と

お願いしようと言っていたけど

 

帰宅した夫はそれを聞いて

「待ってくれ、やめてくれ」と言った

 

 

・・・・・。

 

 

まぁ、率直な気持ちなんだろう。息子として。

 

ドラマみたいに

投与したからと言ってすぐどうこうはならないけどね・・・・

 

結局、夫が一晩、見守っていたけど

苦しがっている義母を見かねて

翌朝、また先生にきていただいて

投与していただいた

 

義母が

毎日見ていたNHKの朝ドラをやっている時間帯だった

 

親戚もみんなよんで(近いからすぐ集まれる)

孫5人とみんなに見守られながら

苦しみから開放されて、寝息を立てている義母に

「ありがとうございました。私はお義母さんと出会うために○さんと結婚したと思うわ」

ってお礼を伝えた

耳は最期まで聞こえているというからね。

 

とうとう、義母が息を引き取った

 

息子が6年生、と3年生のことだった

 

 

こうして、自宅で義母を看取るという

嫁としての大役は果たせました

 

寝不足と疲労で意識が朦朧とする中

お通夜、心臓がバクバクして(動悸)

倒れそうだった。

なんとか、なんとか終わり

義妹家族が泊まる中なんとか気丈にしていたのですが

 

葬儀の日

起き上がることができなくなった

ひどいめまいがして身体が起こせない

 

急いで点滴をしてもらいに病院へ行って

なんとか、葬儀に出席できた

でも、和服は無理・・・

洋装ワンピースで出席しなんとか、本当になんとか終わった

 

それからしばらく

電車にも乗れず、人の多く集まるところに出られなくなった

 

後に知る。

こういうの、パニック障害っていうんだ・・・・。

 

 

 

27へ続く