批判と否定の違い
以前、このブログでも口コミ投稿についての個人的な考えをお伝えしました。
この夏は都知事選挙やオリンピックがあり、インターネットによるものも含めて、意見や表現の自由について本当に考えさせられることになりました。
オリンピック選手へのSNSなどでの誹謗中傷投稿は、かなり問題になっています。
そこにも関連しているのですが、社会におけるコミュニケーションの取り方に思うところがあります。
時代は進み、社会環境は、僕が子どもの頃とは大きく変化しました。
現在はパソコンはもとよりスマホの普及により、簡単に、そして気軽にコミュニケーションをとることが可能になりました。
僕が子どものころは、便利なツールで電話、待ち合わせなどであれば駅の伝言板を使用していました・・・笑
現在は、自らを表現する、自らの考えを多くの人に発信するということが可能になりました。
それ自体は、利便性と時間短縮において限りない可能性が広がったと思います。
しかしながら、手段としては便理で手軽になりましたが、本当の意味でコミュニケーションが取りやすくなったかは疑問です。
最近、口コミ投稿やSNSにおける表現の自由が問題になっています。
一方的な主張や誹謗中傷、または全く事実と異なる捏造したものもあります。
こういった問題のひとつは実社会におけるコミュニケーションに問題があると感じます。
日常において自分の言葉を使って他人と話をする機会が減り、相手の気持ちや心情を想像できなくなっているように感じます。
すべての原因がそこにあるとは思いませんが、社会環境の大きな変化が影響していることは間違いないでしょう。
もともと日本人は、自身の考えを述べることや考えが違う人との意見交換が苦手です。
その理由の一つに「批判」と「否定」が混在しているように感じます。
批判とは、相手の立場を尊重し客観的視点での反論をすることです。
それは多様性を認める上で重要な要素です。
また、よりよい社会を形成していく上で不可欠なものです。
批判の起きない社会は危険です。
しかし、相手の考え方を否定をすることがあってはなりません。
意見を否定することは、何事も受け入れないことにつながりますので相手の人格をも否定することになります。
あくまでも考え方や視点についての反対意見として批判という言葉を捉える必要があります。
犯罪行為や著しく道徳を反するものなどを除いて、他人の言動を否定することがあってはなりません。
残念ながら都知事選挙やオリンピックでは、それがあたかも正義かのように誹謗中傷で溢れていました。
現在社会は、誹謗中傷をはじめ否定、非難で溢れています。
もちろん、これらが必要になる時もあります。
社会生活や人権が侵されるような時は必要かもしれません。
それでも、度を越した内容であれば認められることはないと考えます。
こういった社会状況の根底に、「批判や批評」と「否定や非難」が混合してしまっていると感じます。
客観的な視点において自分の考えを述べる批判や批評は、相手の立場を尊重しているからこその意見です。
あくまでも考え方や視点についての意見です。
もともと日本人は、討論や論議といったことは得意ではないように感じます。
異なった意見をいうと嫌われる、客観的批判であっても人格否定をされたと感じてしまう、などなど。
こういったメンタリティもあるのかもしれません。
いずれにせよ、自由に意見や表現を発信することは認められなければなりません。
しかし、そこには相手や社会に対して尊重がなければなりません。
表現や発言の自由とそれに対する責任です。
何かを発言発信する際は、それが本当に必要であるのか、誰かに対して否定していないのか、今一度振り返り、確認してから発信しましょう。
批判と否定を見極め、発言をしましょう。
発音は似ていますが、文字と意味は全く異なりますからね。
表現やコミュニケーションについて混沌とした現在社会であるからこそ、今一度、自分自身の言動に対しても振り返ろうと思います。
伊藤 友円
ブログ:感染症対策について
〒135-0061
東京都江東区豊洲4-1-2TOSKビル302
☎ 03-3536-7879 (予約制)