一頃、国際貿易に携わる日本人の間で、ユダヤ人と中国人の相似性がよく口にされました。好悪相半ばする評判だったようにおもいます。両者ともに商取引上手強い相手で、過剰なほど執拗に利を求め、譲歩を求め、そのため(骨までしゃぶられる)印象で、ギブアンドテイクの精神に欠ける、と悪評だったのです。しかしそれでも、取引相手としてよい一面もありました。無駄(接待)の少ない商談と、うまくいけば大量契約、そして迅速な事務処理と決済が行われ、日本人には必ずしも不満足な相手ではなかったのです。


ここに言う中国人とは中華人民共和国人というより、それ以前に中国を離れた華僑とよばれる人々で、その国籍もタイ、フイリッピン、インドネシアと多様ですが、人種的に中国人ということです。同様にユダヤ人もイスラエル建国以前からのユダヤ人であって国籍は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、オーストラリアと様々で、この点でも両者は共通しているのです。



この両者は国籍分散型民族ですが、どこかに求心力があって民族的にまとまって見えたものです。国際的な取引に係わると、新米でもすぐに気付くのはこの両民族の突出振りです。アジアの場合でいうと、タイでもフイリッピンでもインドネシアでも、(インド以外)のその他の国でも、商談の相手は概ね中国人になるのです。商品の種類に拘わらずアジアでの商取引相手は中国人になることが殆どだったのです。


中国人はアジアの色々な国に帰化していますが、かれらはなかなか帰化人にはならないといいます。どの国に帰化してもいつまでも中国人で、中国語を話し中華料理を食べ、帰化した国には執着が少なく、自前のコミュニティを作り、金融システムを作り、長年のうちに、いつの間にかその国の経済を牛耳っている、ことも少なくないのです。

一方のユダヤ人も似た民族です。どこに帰化していてもユダヤ人の証のユダヤ教徒で、その教義を重んじて生きていて、金融と商業と製造業で活躍し、アメリカやヨーロッパ、オーストラリア、アジアの国々でも成功を収め、どの国に所属していてもユダヤ人で、新しくできた自分達の国、イスラエル国を物心両面で支援しています。


日本に限っていえば、資本進出して来ている石油の元売も、金融会社も銀行も保険も、多くがユダヤ系の外資で、その主役はユダヤ人となります。



商業取引というのは互恵が原則で、利を与えて利を取る、ギブアンドテイクの了解があり、それを知っているユダヤ人と、角を矯め牛を殺しても利を取る、という中国人気質・・・違いは本質的にはあるようです。

この商取引の名手の両者が、相前後して、ほぼ同時期に、それぞれが新しく国土を入手して念願の自国を建国したのは記憶に新しいところです。先の世界大戦終結(1945年)直後に中国人はシンガポール共和国を、ユダヤ人はイスラエル国をそれぞれ建国しています。領土を得たのは共にイギリスからで、イギリスが植民地返還以外で領土を割譲したのは稀有なことで、意想外なことだったのです。交渉力の成果だったのでしょうか。


マレー半島先端の貧しい農村まがいの小都市シンガポールはすでにイギリスに利をもたらす土地ではなく、負担になる存在だった、そうですが、それでも無償の割譲は異例のことで、中国人はすかさず、アメリカを初めとした戦勝国の同意を得てシンガポール共和国を建国したのです。当時のシンガポールの人口は百万人に満たず、人種構成は中国人30、インド人20、マレー人50%という比率で、その中で選挙によって初代大統領になったのは中国人のリー・クアンユーでした。

彼はシンガポールの都市そのものが地理的に所属するマレーシア連邦国とも巧みな交渉術で分離独立の同意を得ると、どのようにしてか、中国人主体の一党独裁の強力な政府を作ったのは今も謎です。途中、共産党系の野党との攻防もあり、他にも多くの妨害があったようですが、それを抑えて強力な行政府を樹立、その指揮下で多国籍企業や外資を呼び込み、アジアの金融センターといわれる野心的な都市国家を作り上げ、繁栄の一途を歩み続けているところのようです。


一方のユダヤ人もそれより少し早く悲願の領土を、同じくイギリスから割譲されてイスラエル国を建国しています。1948年のことでした。旧約聖書に記るされている(という)ユダヤ人の土地、パレスチナでの建国に拘り、執拗な交渉でその一部をイギリスから割譲されたのです。アフリカ大陸先端のエジプトに隣接した狭隘な岩沙漠の土地でしたが、二千数百年前そこはユダヤの地で、戦乱の後追放されてヨーロッパに渡り流民となった、とユダヤ人の由来が紹介されています。


しかし、その土地は半島の西端で、地中海に面し、半砂漠とはいえ肥沃な土地で、イスラエル建国までは二千年以上もの間アラブ人の土地だったのです。イギリス統治下でパレスチナと呼ばれる土地になっていて数十万の人々が家を構え農耕をして暮らしていたのです。


もしこれが中国人だったら、イスラエル国建国時にパレスチナ人を同等な国民として受け入れ、共存の道を選んだかも知れません。しかし、ユダヤ人にはそれが出来ない事情があったのです。宗教の呪縛です。パレスチナ人にとっても同様で、イスラム教からユダヤ教への改宗など論外で不可能でした。イスラエル国の憲法では、イスラエル国民の資格をユダヤ教徒としているのでやむを得なかったのでしょう。水と油の両者で、和解は望めず、戦乱の半世紀を過ごしているのが、これまでのきしかたのようです。


ユダヤ人と中国人の類似はそのハングリイー精神だけで、本質的には異質で大きな相違があるようです。中国人は実利主義者で、ユダヤ人はより宗教的のようです。中国人はシンガポール共和国建国の折、国内外で無用の争いをさけて融和をはかり、ひたすら経済繁栄と富裕を目指してやってきています。ユダヤ人は、自己のアイデンティティと宗教に重点を置き、妥協のない姿勢で戦乱の半世紀を送っているかに見えます。中国人にも、ユダヤ人同様、中華意識という選民意識がありますが、それでもユダヤ人の建国後の不手際には首を傾げているかも知れません。