きれいなものには裏がある
ビックアップルとはニューヨークの愛称で、土地っ子が使うしゃれた呼び名です。この街はいつも活気に満ちていて、五番街からブロードウエイに至る街路はファションの街としても有名です。その先のブロードウエイは世界一の演劇の町で、華々しいミュージカル劇場などが軒を連ねています。古くからのニューヨークの住人や、この町で働く人々は愛情をこめてビッグアップルとこの呼び名を口にします、由来を訊くと、アップルとは大都市の隠語だという人もいます。映画のゴッドファーザーにも、ニューヨークの路地裏で車を止めてリンゴを買うシーンがありました。リンゴは街の象徴なのでしょうか。
本当の由来は別にあるそうです。少し前の ニューヨーク市観光局の古い資料にも紹介されていた話です。
アメリカが移民で膨張していた1800年代、フランスからの移民の中にイブリンと言う名の美しい娘がいました。その美貌は当地の成功者の子弟達の間でも評判になり、その中の一人にハミルトンという男がいて、ひときわ熱心にイブリンに言い寄り交際を始めました。しかし、結婚には至らずもてあそばれて破綻に終わります。イブリンは無言で耐えて、やがて事業をはじめます。裏稼業です。成功者の子弟だけを相手にする高級売春宿を開業し、それは大繁盛したということです。イブリンはイブと呼ばれ、客は総てアダム、売春婦はアップルと呼ばれました。聖書の中でアダムとイブが神に食べてはいけないと諭された禁断のリンゴです。神の掟を破り・・・イブがその後どうなったか紹介されていません。どのような経緯があったにせよ、ビッグアップルという呼び名が残ったということです。
このビッグアップルのニューヨークは1674年までオランダ領でニューアムステルダムと呼ばれていました。オランダ人はマンハッタン島を ニューネザーランドと呼び、1626年、新任のオランダ総督がこの島をレナベ族から総額24ドルで買取っていたということです。有名な話だそうです。ドルの他にもガラス玉の装飾品など贈ったところレナベ族長は喜び、その後、内陸部から毛皮など運んできて交易を始めていたのですが、あるとき新移民の集団が交易品を携えてやってくるレナベ族を襲撃し、毛皮などを強奪し、一族を皆殺しにしたのです。その上、証拠隠滅のため女子供まで一族全員を切り刻んで海に捨てたといいます、しかし、一族の少年が一人だけ逃げ帰って報告したので族長の知る所となりました。レナベ族の復讐が始まりマンハッタン島のいたるところで、孤立して暮らしている農家や牧畜業者が襲われ、皆殺しにあいました。女子供の頭髪を剥ぎ取って見せしめにする(インディアンの残虐行為)はこのとき始まったといいます。その後、襲撃は中心部にまで及び、オランダ軍は対応策として防御壁(ウオール)を張り巡らせます。その名残がニューヨーク金融街の・u椁シ前になっているウォール街です。
そのご、北米植民地戦争などもあり、オランダ人にはその地が益々住み難い土地となり、南米各地での敗戦を機にマンハッタン島をそっくりイギリスに引き渡してしまいます。イギリス人は早速、呼び名をニューヨークと変えました。母国のヨーク州から新ヨーク州、ニューヨークとしたのです。
100年後、アメリカ合衆国はイギリスから独立して新しい国家を樹立することになります。合衆国というのは自治制の州が寄り集まった国(連邦)で、このときニューヨーク州を含めて13州でした。現在は50州なので37州増えたことになります。国土の面積は6倍に増えたことになり膨張大国です。しかし、現在に至るもアメリカのどこにも領土紛争があるとは聞いていません。簒奪に近いやり方で手に入れた領土もあったはずですが、アメリカはその樹立当初から”契約の国”だったようです。新しく手に入れた領土は、出来うるかぎり金銭支払いによって契約を成立させて取得しているのです。契約の過程では武力を背景に極端な低価格設定もあったっはずですが、最後は金銭決済で締めくくり、契約国家躍如とした事務処理をしていたのです。
日本を含めてアジアの近隣国家は領土問題を抱えています。いずれも決着の見通しなどないものばかりです。アメリカ人の先見の明には学ぶところがあるはずです
。
アメリカの主な領土拡大の経緯:
1803年 ルイジアナ州をフランスから購入、英仏戦争でフランスが敗北、イギリスにとられたくないのでアメリカに売却。
1819年 フロリダ州をスペインから購入、スペインの南米大陸からの撤退に伴い北米のフロリダも譲渡。
1836年 メキシコ領のテキサスがメキシコから分離独立、その後1843年にテキサスは希望してアメリカの一州となる。
1843年 ニューメキシコ州、と現在のカリフォルニア州全土をメキシコから購入。居住者のメキシコ人はそのまま定住させて、価格は1500万ドルだったとのこと。
1867年 帝政ロシアからアラスカ全土を720万ドルで購入、ロシアは英仏相手のクリミア戦争で敗北、経済が疲弊していた。戦争の中立国だったアメリカに金銭目的でアラスカ売却を希望したもの。アメリカ国内では空っぽの冷蔵庫のような不毛の地を720万ドルで買うなど大馬鹿者と非難ごうごうだったが、直後に金鉱が発見され、続いて石油資源も見つかると、最高の買い物だったと世論は変わったそうです。
1898年 ハワイ王朝の衰退、カメハメハ大王の死後合衆国に併合、1959年に50番目の州となる。
日本は尖閣、竹島、北方四島の領土問題を抱えていますが、北方四島については、どこか帝政ロシアがアラスカを譲渡したときの状況に似て見えます。ロシアは疲弊してはいないまでも、たて直しを望んでいるようです。思い切った経済協力や発展支援で四島全土の返還もあるかも知れません。両国の国民感情が良好というのがなによりで、よい機運到来があるかも知れません。
アメリカの領土の歴史をみると、その時々、よい機運に恵まれていたようです。よい機運は祈るのみですが。