温泉の街、『湯布院』の盆地は、往古の昔、大きな湖だったそうです。伝説によれば、由布岳の女神の宇奈岐日女神(うなぎひめのかみ)に、湖の干拓を命じられた蹴裂権現が、西の湖壁を蹴り裂いて、現在の由布盆地をつくったと伝えられています。金鱗湖(きんりんこ)は、その名残だそうです。
金鱗湖【岳本の池】
[所在地] 大分県由布市湯布院町大字川上(地図 )
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また、安土桃山時代の慶長3年(1596年)7月の「慶長の豊後大地震」で、今よりは大きなものだった金鱗湖も、この地震によって少し小さくなり、現在の大きさになったそうです。地震の規模はマグニチュード7.0で、別府湾-日出生断層帯東部の活断層地震だったそうです。別府湾の近郊には津波が押し寄せ、別府湾に浮かんでいた瓜生島(うりゅうじま)という島は海に沈んだとも伝えられているくらい大きな地震だったようです。
金鱗湖は「岳本の池」(たけもとのいけ)または「岳ん下池」(たけんしたいけ)とよばれていましたが、明治17年(1884年)に、儒者の毛利空桑がこの地を訪れ、魚の鱗が夕日に輝くのを見て、「金鱗湖」と名付けたのが現在の名称の起こりだそうです。
周囲は約400m、湖底は緩やかに深くなっていて、最深部は約2mだそうです。「下ん湯」横の温泉水(約30℃)と
天祖神社(てんそじんじゃ)の境内の湧き水、地底深部にある湧き水、合せて1日約23,300㎥の湧き水が混ざり合って、湖水を湛えているそうです。
金鱗湖の南東の湖畔には、天祖神社が鎮座しています。由布盆地が大きな湖だった頃、湖に棲んでいた竜の在住を許可した天祖神(てんそのかみ)【天之御中主神】など4柱をお祀りする神社です。
天祖神社
[所在地]大分県由布市湯布院町大字川上字弓矢1750番地(地図 )
[御祭神]
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
素盞鳴男命(すさのをのみこと)
軻遇突智命(かぐつちのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
拝殿の御由緒書きによると、大足彦忍代別命(おほたらしおしろわけのみこと)【景行天皇】12年(82年)、「速津媛(はやつひめ)に勅して皇祖霊神を祀りたるを当神社の創始となす」とあります。
伝説によると、蹴裂権現が西の湖壁を蹴り裂いた時、湖底に棲んでいた一匹の大きな龍は、急激に湖水が減少したため神通力を失い、身を悶えながら小川を上り、辿り着いた場所です。
竜は、天祖神に「私は、長い間この湖に住んでいた龍です。湖のすべては望みません。唯、この地に少しばかりの安住の地を与えてください。そうしてくだされば、ここに清水を湧き出させ、永くこの地を護りましょう。」と訴えました。
天祖神は、竜の願を聞き入れ、「岳本の池」【現在の金鱗湖】が残されました。こうして今も「岳本の池」には清水と温泉が湧き出ています。その後、しばらく「岳本の池」に留まった竜は再び神通力を得、雲を巻いて昇天したと伝えられています。
この神社の手水舎の水も湧き水。心が清らかにあらわれそうです(笑)金鱗湖に向かって右側には、大きな御神木もあります。
往古の伝説、金鱗湖に今も湧き出す、温泉と清水は、ここで、宇宙創成の神である天之御中主神と約束した竜の神通力でしょうか?その物語のロマンのなかにある「めぐみ」は、今も由布盆地の大自然を育んでいます。
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