皆さんお元気ですか?岡田宣道です。
先週は、ブログを書くのをすっかり忘れてしまっていました…。50歳を過ぎるとそういうことも出てきてしまうのですね。なるべくそのようなことがないようにしたいと思います。そして、今回からブログの内容を少し変更しまして、前回の説教の切り抜きも書いてみることにしました。動画のリンクも張っておきますので、よろしければご覧ください。

<前回の説教より>
 興味深いのは、パウロはここで「私の心を挫いたり」と言っていますけれども、これはある英語の訳では、クラッシュという言葉を使ってるんです。押しつぶされるんです。壊滅させられるんです。つまりパウロは、そういう周りの人達が引き留める声によって、自分の心がクラッシュしたって言っているんですよね。パウロは何を言われても動じずに、ただまっすぐ前を見て、神さまだけを仰いで一途にぶれることなく歩んだかのように思えますけれども、実際はそうではない。彼も心挫けたんです。クラッシュしたんです。
 けれども彼は、心がクラッシュするような中からも立ち上がってゆくことができたのです。なぜそれができたのでしょうか。パウロはここで、「私は、主イエスの名のためならば」と語りました。単に主イエスのためならば、ではなくて、「主イエスの名のため」、と「名」を入れているんですね。それは単に名前がこうですよということなのではなくて、イエスさまご自身との人格的な交わりを指していると言えます。ですから、確かにパウロは心挫けたのです。心がクラッシュした。けれどもそういう自分と人格的にかかわってくださるイエスさまご自身によって、その心のクラッシュから立ち上がることができた。そういうことなのではないでしょうか。
 そしてわたしたちもまた、日々の生活の中で、様々な心のクラッシュがあると思うんです。思いがけない困難が襲ってきてもう立ち上がれなくなる。様々な人間関係において、言葉や態度で傷つけられて心が痛んで立ち上がれなくなってしまう。これから先を思うと漠然とした不安しかなくて、心挫けてしまう。それこそ、自分の体調が悪いことと向き合いすぎると自分の死ということがよぎってしまって、恐怖に呑み込まれてしまいそうになる。本当にいろんな局面で、心がクラッシュするのが私たちですよ。けれども、そのどんな状況からも立ち上がらせてくださるお方がいる。それが、私たちの信じるイエス・キリストというお方なのです。
「私は、主イエスの名のためならば、

 エルサレムで縛られることばかりか

 死ぬことさえも覚悟しているのです。」

  (使徒言行録21:13b)

 


<次回の礼拝>
聖書箇所…コロサイ4:7~18
説 教 題…『教会によろしく』
 次回は、コロサイの信徒への手紙の最後になります。最後の部分なので、いかにも締めくくりの言葉、終わりの挨拶だなぁというような個所なんですが、ここでパウロは「よろしく」「よろしく」と繰り返しています。それが個人に対するよろしくと、教会に対するよろしくがあるのですが、実はそこにもいろいろな意味を見出すことができるんじゃないかなぁと思っています。共に考えてみましょう。

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!ライブ配信も行っていますので、ぜひそちらもご利用ください。

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