聖書箇所: コロサイ3:17~4:1
説 教 題: 『天に主がおられる』

 皆さんお元気ですか?岡田宣道です。
 皆さんはゴールデンウィークはどのように過ごされたでしょうか。私は、日本イエスキリスト教団の開催した塩屋聖会に講師としてお招きいただき、5/3~4,6と出席してきました。4日は青年聖会のご奉仕で垂水駅の側にあるレバンテホールというところが会場でした。もちろん皆さんは歓迎してくださっているのですが、他教団の集会だということもあり、知っている方も数人の先生だけで、いわゆるアウェイ感を勝手に感じてしまって何とも言えない緊張感を覚えておりました。


 そんな中で集会が始まり、今回は賛美タイムの間にアイスブレイクの時間があったんですね。自分の血液型や好きな賛美など、3×3のマス目に書くようになっていて、いろいろな人に声をかけて、自分と同じ回答の人がいれば○できるという企画でした。これまた知らない人だらけの中で声をかけるのは緊張したんですが、でも何人かに声をかける中で、ひとり、加古川に住んでいる私たちの教団の青年の女の子が来てくれていて、会うことができたんです。それは嬉しかったですし、彼女の顔を見たら何だか安心しましたね。後から聞けば、彼女の方も他教団の集会でひじょーーに肩身が狭く感じており、私と出会ったときの安心感はハンパなかったそうです(笑)。そうやって緊張がほぐれて、ご奉仕も守られることができました。


 良く知っている人がそこにいてくれる安心感って、やっぱりありますよね。聖書には主が(神さまが、イエスさまが)共にいてくださるということが出て来ますけれども、それは「なんかすごい方らしいけど、あんまりどんな方なんかよく知らんねんな…」ということではなくて、神さまは聖書を通して自らがどんなお方でいてくださるかをお示しくださっています。そして、聖書を通して神さまを知れば知るほどに、このお方が一緒にいてくださるなら大丈夫だという安心感を、私たちに与えてくださるのではないかと思わされるのです。ぜひこの神さまをさらに知るためにも、礼拝にお出かけくださればと思います。
 

 さて、次週の礼拝はコロサイの信徒への手紙に戻ります。パウロは、コロサイの教会に入り込んできた異端的な考えの人たちの問題を指摘しながら、信仰者がどのように歩むべきかをのべて来ました。そしてこの段落では、家族に対してということで語っています。今回は「天に主がおられる」ということをカギにして、この個所を考えてみたいと思います。
教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!その際には、マスク着用、手指のアルコール消毒、三密を避けるなどのご協力をお願いしています。なお、ライブ配信も継続して行いますので、続けてそちらもご利用ください。

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