聖書箇所: ルカ19:28~44
説 教 題: 『涙のイエスを背にのせて』

 皆さんお元気ですか?岡田宣道です。
 もう3月も半ばを過ぎたというのに、天気予報によれば「2月中旬、真冬並みの寒さです…」というような日もありました。今週の木曜日は雪まで降ったので、びっくりしましたね(写真は三田の教会で撮りました)。このような寒さのぶり返す中ですが、暦は先へ先へと確実に進んでいます。

 教会では、今度の日曜日から受難週に入ります。受難週が始まる日曜日が<棕櫚の主日>と言って、その日にイエスさまがエルサレムに入場されます。そしてその週の木曜日の番に、ユダの裏切りにあって祭司長や律法学者たちに逮捕されます。その後一晩中不当な裁判に引きずり回され、むち打たれ、神を冒涜したという無実の罪で十字架刑に処せられることとなりました。翌金曜日、イエスさまはご自分のかかる十字架を担いでゴルゴダの丘に登り、そこで十字架にかけられ、午後3時には息を引き取って、墓に葬られました。受難週は、まさにこの十字架のイエスさまのお苦しみをあらためて思い起こし、この苦しみが自分のためであることをことさらに確認する時です。教会には十字架がシンボルとして掲げられていますが、この十字架にどんな意味があるのか、あらためて考えてみていただきたいと思います。
 

 そして次週の礼拝では、いつもの個所から離れて、棕櫚の主日の出来事、すなわちイエスさまがエルサレムに入城された出来事から学びます。イエスさまは、まだ誰も乗ったことのないロバの背に揺られて、エルサレムに入られました。当時大人気だったイエスさまは、人々に大歓迎されてエルサレムに入ってこられます。興奮と熱狂がイエスさまを取り囲んでいました。そうやって迎えられたイエスさまは、どんな思いでおられたのでしょうか。ひとつの鍵になるのはイエスさまの「涙」です。この涙の意味するところを、考えてみたいと思います。
 

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!その際には、マスク着用、手指のアルコール消毒、三密を避けるなどのご協力をお願いしています。なお、ライブ配信も継続して行いますので、続けてそちらもご利用ください。
 

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