聖書箇所: コロサイ2:6~15
説 教 題: 『キリストの内に根を下ろす』

 皆さんお元気ですか?岡田宣道です。
 先月の中頃のことですが、近所の眼鏡屋さんに行きました。使っていたメガネの度があってきていない感じがしてきたものですから、眼鏡を新調するために行ったわけです。フレームを選び、あらためて視力を測っていただいて、注文しました。それから2週間ほどで眼鏡が届きまして、かけたらとても明るくなった感じがして、嬉しいなぁと思っていたわけです。ところが、良く見えるようになったと思っていたんですが、テレビを見ると今まで読めていた文字がボヤけて見にくくなっているんですね。そのうち目が慣れるのかな…と思っていたんですが、一向によくなりません。
 

 そこで、眼鏡屋さんに行って見てもらいました(保証内で修正ができるのです)。その時に再度視力を図ったのですが、前回測った視力で見えるはずの文字が、全然見えないんですよね。店員さんも不思議に思っておられたんですが、どうも仮の眼鏡と眼球の距離が離れていたために、見えにくくなっていたようなんですね。それが原因かもしれないということで、新しい眼鏡も、眼鏡と眼球の距離がもっと近くにあるように調整してくださいました。それをかけてみたら、良く見えるようになったんですね~。(こんな短期間で視力が落ちたのか?!)と心配になっていたんですが、そうではなかったので安心しました。
 

 眼鏡と眼球の距離が近い方がよく見える…。これって、聖書と私たちの関係に似ているな!と思いました。私たちは聖書を通して、神さまというお方のことを知ることができます。そしてその聖書が自分の生活に身近であればあるほど、あるいは聖書と自分の心の距離が近ければ近いほど、ますます神さまのことがクリアーに分かっていくのではないかと思うのです。ぜひ、皆さんと聖書の距離を縮めることをお勧めします♪
 

 さて、次週の礼拝は上記の個所から学びます。これまでも学んできましたが、コロサイ教会はパウロから福音を聞いて信じたエパフラスが、故郷に帰って伝道してできた教会です。彼らはイエスさまを信じ、愛に生き、実を結んで成長していました。そのような喜ばしい面もあったのですが、同時に異端的な考えが入り込んできて影響を及ぼしていました。今日の個所ではその異端的な考えが二つ出て来ますので、そこから、私たちがキリストにあって歩むということがどういうことか、共に考えたいと思います。
 

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!その際には、マスク着用、手指のアルコール消毒、三密を避けるなどのご協力をお願いしています。なお、ライブ配信も継続して行いますので、続けてそちらもご利用ください。
 

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