聖書箇所: コロサイ2:1~5
説 教 題: 『隠された宝』

 皆さんお元気ですか?岡田宣道です。
 突然ですが、皆さんのイエスさまは何語でしゃべりますか?(いきなり変なこと聞くなぁ…)と思われるかもしれませんが、私が今気に入って聞いているインターネットラジオの番組がありまして、その日はこれからタイに宣教師として遣わされるという方がゲストとして来られていたんですね(今はすでに現地に遣わされて語学研修中とのことです)。その方がトークを繰り広げる中で、「僕のイエスさまって、日本語でしゃべるんですよね~」と言われたんです。実はその方がこれからいかれるところというのは、タイの少数民族の方々の地域で、先に遣わされている先生が、彼らの言語を文法化して論文を出したり、その言語に聖書を翻訳されたりしているんです。なぜイエスさまが日本語でしゃべるのかというと、それは聖書が日本語に翻訳されていて、私たちは日本語でイエスさまの語る言葉を聞いているからなんですよね。


 2千年前、イエスさまがこの地上におられた時に実際に語っておられた言語というのは、当時その地域で一般的に話されていたアラム語(ヘブライ語の親戚のような言語です)でした。そうであれば、イエスさまはアラム語で語りかけられるのでしょうし、アラム語で話されたら私たちは「なんのこっちゃ?」と、全く話が通じなくなってしまいます。けれども聖書がちゃんと日本語に翻訳され、日本語で語りかけてくださるからこそ、聖書の言葉が私たちの心に残り、私たちの琴線に触れて魂を揺り動かしてゆくのではないかと思います。あらためて、聖書が日本語に訳されていることのありがたさを感じたことでした。
 

 ちなみにこのインターネット番組は、「WTP」という番組で、PBAのホームページからも聞くことができます。とても内容豊かで、何より楽しい番組ですので、興味のある方はぜひアクセスしてみていただきたいと思います♪

 

 さて、次週の礼拝では、コロサイの信徒への手紙の2章の最初のところから学びます。すでに1章において、イエスさまがどんなお方であるかということが述べられてきました。そしてこの2章の最初の段落においては、「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠されています」とパウロが語るんですね。その隠された宝とはなんであるのか、共に考えてみましょう。
教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!その際には、マスク着用、手指のアルコール消毒、三密を避けるなどのご協力をお願いしています。なお、ライブ配信も継続して行いますので、続けてそちらもご利用ください。


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