聖書箇所: コロサイ1:1~8
説 教 題: 『神の恵みを聞く』

 皆さんお元気ですか?岡田宣道です。
 生活の中の、些細なお話です。我が家の洗面所は、洗面台の左側に洗濯機があって、その洗濯機のところに、吸盤型のタオル掛けをつけてタオルを下げています。そのタオル掛けが古くなってきて時々吸盤が外れて落ちるものですから、先日妻が新しいものを買ってきたんですね。私が気がついた時には、もう新しいものに取り換え済みでした。「へぇ~、新しく買ってきたんだぁ~」と思いながら手を洗い、手を拭こうと思ってタオルを触ったら、吸盤のところがすぐに外れてしまうんです。「あれ?おかしいなぁ?」と思って、ギューッとくっつけて下げてみたんですが、やっぱりすぐ取れてしまうんです。何でだろうかと思ってよくよく見てみたら、吸盤のところに薄いプラスチックの丸い板が張り付いていたんです。吸盤の接地面を保護する板だったようで、それを外してから取り付けてみたら、もうぴったりとくっついて取れなくなりました♪その一枚が邪魔をしていたんですね。
 

 そこから、自分と神さまの関係について考えました。神さまは、目には見えないけれども確かに生きておられ、私たちと一緒にいてくださるお方です。私たちは神さまを頼りにして、まさに神様とぴったりくっついて歩んでゆくことができます。でも気がつくと、何だか神さまとの関係がしっくりこない。ぴったりくっついている感じがしない…。もしかするとあのプラスチックの板のように、自分と神さまの間に何かが挟まってしまってうまくつながれていないのかもしれませんね。そういうことがないかどうかを点検し、取り除くべきものを取り除き、そして神さまとつながっていることを確認してまた日々の生活に戻っていく。教会の礼拝って、そういう面もあるんじゃないかなと思わされました。
 

 さて、次週の礼拝は上記の個所から学びます。今回からは新しく、コロサイの信徒への手紙から学んでゆくのですが、今回は手紙の冒頭部分の挨拶のところになります。新しい個所からの初めての説教ですので、この手紙の宛先であるコロサイの教会がどんな協会であったのか、また、著者パウロはどんな思いでこのコロサイの信徒への手紙を書いたのかを学びながら、ここに込められた神さまからのメッセージを味わいたいと思います。
 

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!その際には、マスク着用、手指のアルコール消毒、三密を避けるなどのご協力をお願いしています。なお、ライブ配信も継続して行いますので、続けてそちらもご利用ください。
 

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