聖書箇所: エフェソ1:1~2
説 教 題: 『聖なる者たちへ』

 皆さんお元気ですか?岡田宣道です。
 実は今週、当教会の会員の方が亡くなられて、教会で葬儀が執り行われました。亡くなったのが月曜日の夕方でしたので、通常であるならば水曜日あたりが告別式になるのですが、今回は告別式が土曜日になったんですね。えらい間があくなぁと思われるかもしれませんが、これは、土曜日だと遺族が集まりやすいから…というような家族の都合でそうなったのではありませんでした。実はこの冬の寒い時期というのは亡くなる方が多く、火葬場が空いていなかったんですね。あまり意識したことがなかったので驚きました。

 

 ここまでのところで、普通に「亡くなられた」と書いてきましたが、実は教会においては亡くなられたという言い方はしないんですね。教会では、「天に召された」という言い方をします。これは、人は死んだら消えてなくなってしまうのではなくて、その魂は天の神さまのもとにあるんだ、師は神さまに召されることなんだという信仰から来るものです。死は終わりではなくひとつの通過点であり、神様がご自分の御もとに私たちを召して下さる。この死の先にある希望こそ、聖書の語る大きなメッセージではないかと思うのです。

 

 さて、次週の礼拝から新しいシリーズに入ります。新約聖書のエフェソの信徒への手紙かから学んでいきたいと思っていますが、今回はこの手紙の宛先がどのような人たちであったのか、そして著者パウロはどんな思いで記していたのか、そこから聖書を味わってみたいと思っています。

 

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!その際には、マスク着用、手指のアルコール消毒、三密を避けるなどのご協力をお願いしています。なお、ライブ配信も継続して行いますので、続けてそちらもご利用ください。

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