聖書箇所: コヘレトの言葉3:1~11

説 教 題: 『時にかなって美しい』

 

 皆さんお元気ですか?岡田宣道です。

 今週の木曜日に三田の祈祷会に行った時、その時はコンビニに寄りたかったものですから、いつもより少し手前のバス停で降りて、そこから歩いたんですね。そうしましたら、そのバス通りから教会側に入っていく曲がり角のところに木が少し茂っているんですが、その木が(おそらくイチョウのきだとおもいますが)きれ~いな黄色になっていたんですね。「うわ~!こんなに綺麗だったっけ?!」と思いながら、しばらく立ち止まって眺めてしまいました。

 

 考えてみれば、先週の日曜日にも三田に行っているわけですから、その時も側を通っているんです。でもその時には全然気がつかなかったんですね。後から、「何で気付かなかったんかなぁ」と考えていたんですが、思い当たる原因は二つありました。ひとつは、日曜日は教会の目の前のバス停で降りましたので、そこを通った時はバス代を握りしめて、「これを落としたらややこしくなるぞ~」って考えていたんですよね。ですから見てもいませんでした。もうひとつは、電車に乗っている時から、すでに車窓にうつる景色を見て、紅葉が綺麗になってきたなぁと思っていたんですよね。心が向いていたからこそ、目にとまったんだと思いました。

 

 私たちは日々忙しくしていて、つい、本当に大切なことに心が向いていないことがあるような気がします。そして、せっかくの神さまの恵みや、神さまからの語りかけを見落としてしまうことがあるのではないでしょうか。忙しさと喧噪から離れ、礼拝で聖書の言葉に触れる時に、私たちの心が神さまに向いて、大事なことを見出すことができる。そんなひとときとして、礼拝に期待していただければと思います。

 

 さて次回は、いつもの詩編から離れて、コヘレトの言葉3章を開きます。実は今度の第二礼拝は、子ども祝福式があるということで、教会学校も合流するんですね。その関係で、教会学校でいつも使っている教案誌の聖書箇所に合わせて、今日は伝道者の書を選ばせていただきました。少し説明しますと、コヘレトの言葉というのは、伝統的にはイスラエルの三代目の王さまである、ソロモンが書いたといわれています。ただしソロモン著、と明記されているわけではないので、ソロモン的な考え方で後世の人が書いたのでは?とも言われますので、ソロモンが著者だと断定できるわけではないようです。

 そしてこの書にどんなことが語られているかというと、印象的な言葉は「空の空」であって、神さまを計算に入れない人生が、いかに空しいものであるかということなんですね。その中で、今回は3章11節に注目して、「時」ということで考えたいと思います。

 

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!その際には、マスク着用、手指のアルコール消毒、三密を避けるなどのご協力をお願いしています。なお、ライブ配信も継続して行いますので、続けてそちらもご利用ください。

 

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