聖書箇所: 詩編86:1~17

説 教 題: 『まことに神は』

 

 皆さんお元気ですか?岡田宣道です。

 私は牧師家庭で育ちましたので、幼い頃から教会に集っていました。その中でよく「いややなぁ…」と思っていたことがありました。クリスマスの時期になると子どもクリスマス会をして、外向けにもチラシを配ったりして案内しますから、いつも教会学校に来ないようなお友だちが来るわけです。そうすると、司会の先生がお祈りをして最後にアーメンと言ったら、ほぼ確実に、「ラーメン♪」って言っておちょける子がいるんですよね。そうやってふざけてるのも(うわぁ嫌やなぁ…)と思うんですけど、でもさらにその子が周りの大人に、「アーメンって大事なんよ、ふざけたらあかんよ!」って、けっこうガチ目に注意されている姿を見るのも、(そんなに言わんといてあげて…)と思って、何だか嫌だったりしたんですよね。

 

 自分も牧師になりまして、そうやっておちょける子に対応する立場になったわけですが、そこには知恵とユーモアが必要だなと思います。でも同時に、アーメンという言葉を大切にしたい気持ちもよくわかるんですね。アーメンは、まさにキリスト教の代名詞のような言葉です。新約聖書では、アーメンは「まことに」と訳されて出てきていました。真実です、本当です、という意味になります。ですからクリスチャンがアーメンと言う時は、神さまの恵みは本当ですと、感謝を込めてアーメンと言いますし、また、神さまなら助けて下さる、救ってくださるという、信仰の証しとしてアーメンと言うわけですよね。私たちは、神さまの前にアーメンと感謝し、信仰告白しながら歩みたいと思うのです。

 

 さて、なぜアーメンの話をしたかといいますと、詩編85編には、まさに「まことに」ということが出てくるからなんですね。10節を見ると、「まことに、あなたは大いなる方、奇しき業をなさる方。あなただけが神。」とあります。この「まことに」というのは、今の若者風の言葉に言い換えたら、「神さまって、マジでこういう方なんやで!」って言っていることだと思います。この詩人が「まことに」といいながら伝えようとしている神さまとはどのようなお方なのか、聖書の言葉から考えたいと思います。

 

 新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、現在当教会では教会に集まる礼拝は行っていません。YouTubeでライブ配信しています。また過去の説教動画もご覧いただけますので、興味のある方はよろしければご覧になって下さい。

 

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