書箇所: 詩編15:1~5

説 教 題: 『信仰にとどまるために』

 

 皆さんお元気ですか?岡田宣道です。

 先週は牧師のセミナーがオンラインで行われて、夫婦で参加しました。とてもよい学びでしたが、その休憩時間の中で、各教区からいくつかの教会を紹介するコーナーがあり、豊中泉教会もそのひとつになったんです。担当の先生からは、携帯で移動しながら生中継でやってもらえたら…というリクエストだったんで、スマホを構えて外の掲示板のところでスタンバイしていたんです。

 そうしたらすぐ前を、1人のおばあちゃんが付き添いの方と通られたんです。そして私のすぐ側で立ち止まって、「ここの教会の方?」って声をかけてこられたんです。(もうすぐ生中継始まるんやけどな…)と思いながらも、「そうです~」って答えたら、おばあちゃんが、「ここはどういう教会?」って聞かれるんですよね。(どういう教会ってどういうことなんやろ?)と思いながらも、「そうですね~、福音派の教会です」みたいなことを言ったら、そのおばあちゃんの質問と会話が止まらなくなっちゃったんですね。しかも、話がループして、「ここの教会に人が出入りしてるの、始めて見た」って3回ぐらい言われまして、話が終わらないんです。こちらは内心、(もう生中継が始まってしまう~~)ってめちゃめちゃ焦ったんですけれども、焦りは心に秘めて、つとめて笑顔でお話しし、何とかギリギリお話しが終わって、教会紹介に間に合ったんです。

 

 後からそのおばあちゃんのことを思い返したときに、私はとても嬉しくなりました。その方は「ここの教会に人が出入りしてるの、始めて見た」って言われてましたけれども、恐らく過去に教会と何らかの接点があって、教会に興味を持って見て下さっていたんだと思います。地域の方は教会をどんな風に見ておられるんだろう、そもそも興味をもってくれているんだろうか…と思わされることもありますが、でも、確かに興味を持ってくださる方もいるんだと、励まされる思いがしました。今は集まれていませんけれども、このオープンにライブ配信で行われている礼拝が、興味を持ってくださる皆さんに届くことができればと思わされています。

 

 さて、次回の礼拝は詩編の15編から共に学びますが、かつてエルサレムの神殿があった時、イスラエルの人々は神殿で礼拝をささげるために、遠くからでも旅をしてやってきました。いわゆる巡礼の旅ですね。そうやってエルサレムを巡礼する人たちがいよいよ神殿に到着するという時に、その門の前で歌ったのが、この詩篇15編だろうと言われています。そしてその内容を見てゆくと、神殿にとどまるにふさわしい人はこれこれこういう人だと具体的に歌われていることがわかります。これは、今の私たちの言い方をすれば、信仰にとどまることができる者はこういう者ですよ、ということですので、それがどういうことなのか考えてみたいと思います。

ぜひ礼拝にお出かけいただきたいと思いますが、現在はコロナの対応のために、ライブ配信で見られる方には、そちらで礼拝に参加していただくようにお願いしています。どなたでも視聴できますので、ぜひライブ配信で礼拝にご参加ください!

 皆さまの健康が守られ、一日も早く平安な日々を取り戻すことができるように、心からお祈りしています。

 

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