聖書箇所: マタイ7:13~23
説 教 題: 『命にいたる門を見いだせ』
 
 皆さんお元気ですか?岡田宣道です。
 
 先日テレビを見ていたら、「なぜオヤジはオヤジギャグを言ってしまうのか?」について、脳の働きから解説されていました。年齢を重ねると側頭連合野が発達して、色々な言葉のつながりを思いつくことができるようになっていきます。ところが、若い時には「これは言うたらあかん」と思ったら、前頭葉の働きでそれを言うことにブレーキがかかっていたんですが、20代をピークにして前頭葉の機能が低下し、そのブレーキが効かなくて、思いついたらそれを言ってしまうようになる。それがオヤジギャグのメカニズムなんだそうです。ブレーキが効かずに言ってしまう。私も最近かなり心当たりがありますので、すっかりオヤジです…(汗)。
 
 でも、機能が低下しているだけじゃなくて、発達しているところもあるのが面白いなぁと思いました。私たちは、自分では短所や失敗にしか思えないようなことでも、実はよく考えてみると、そこには自分の良さや伸びているところも見いだせるのではないかと思うのです。そうすると前を向かって進んで行きやすくなりますよね。聖書を読む時、礼拝での聖書のメッセージを聞く時、そうやって自分を見つめ直すことができるんですね。
 
 さて、次週の礼拝は上記の聖書の言葉を味わいますが、13節に「狭い門から入れ」とあります。狭き門、というのは日本語でも良く言われる言い方ですが、印象としては、入りたい人、入ろうとする人が多いけれども、入るのはほんの一握りだけというイメージです。でもここでの意味合いは少し違うようです。この言葉でイエスさまが何を伝えたかったのか、考えてみましょう。
 
 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!