おはようございます。
映画「国宝」について「どんな映画なんですか?」とたずねられた際の返答に困る重本孝です。
#ご覧になられた人そんなことないですか?
#個人的には伊丹のTOHO シネマ→自習室に「御座候」買って帰るというコースが出来上がりそう
どれくらい努力して大学に入るかは人それぞれでいい。
私は志望校に受かるその「受かり方」というか、「受かるまでのプロセス」って大きく分けて2つあると思っておりまして、1つはふつうに考えたら「厳しいかな〜・・」なところに目一杯の努力、生活を受験勉強に全振りして最後になんとか届いたという形、そしてもう1つは物理的にではなく、“気持ち的に”できる範囲の努力をして入れそうなところに入るという形です。
簡単に言えば1日12時間以上は勉強して大学に入るもよし、1日6時間くらいの勉強で大学に入るもよしといった感じです。
塾講師というのはともすればこの2つの内の後者をよろしく思っていないかのように見えなくもない発信をする人もいるかと思いますが、今日この場ではっきり申し上げておきますと私は後者、つまり
“気持ち的に”できる範囲の努力をして入れそうなところに入る
という受験も大いにアリだと思っています。
というのも現場で見る限り、どう考えてもウチの“本籍地自習室のファビュラスな方々”のように、朝から晩まで自習室に籠って・・・ってできる人もいればできない人もいると私は思っていて、それを才能、および向き不向きとも言うのかもしれませんが、そういう考えの下に立ちますと、全員が同じような努力をするというのは土台無理な話である・・・にも関わらず、生徒全員が塾講師である自分の理想の勉強時間をこなさないとダメという風になるとやはりシンドイ人にはシンドイです。
と言いますか、塾講師自身が俗に言う「努力」というものをどうとらえているのかにもよりますが、少なくとも私がこれまでの経験から得た「努力」というのは誰でもできるものではないので、それができない人を見てもそっちがふつうだと感じます。
この動画の中で↓
吉村知事は大学受験生時代について言及しておられるのですが、曰く「(高校生のときは)早く法律の勉強をしたかったので、大学受験をやりながら『なんでこんなん覚えんとあかんのやろ・・』という風になってしまって大学受験は思うようにいかなかった。」と、しかしながら九州大学法学部に入ってからは「東大や京大に入った人たちがライバルだと考え、多い時で1日20時間勉強した。」と言っておられます。
吉村知事はやはり「一般」と「特殊」で言えば「特殊」の側に入る方かと思いますが、やはりそんな方であっても、全てのジャンルで同じように努力できるわけではないということなのだと私は思いました。(当然努力というものに対する個人的な基準はめちゃくちゃ高いはずですが)
実際に生徒さんでも英語は延々と勉強できるが、数学になるととてもそんなことはできないという生徒さんや、その逆のタイプの生徒さんもおられますし、また、勉強以外の、部活や芸術ジャンルは延々とできるが受験勉強の科目ではそれができないという人もいると思います。中にはまだ何なら延々と続けられるのか?に気付けていない人も10代ならゴロゴロいるでしょう。
要は塾講師たるもの、いろんな受験のパターンの引き出しを持って、それぞれの生徒さんに応じた受験の形を模索し、提案して、最後までガイドするという態度が大切で、個人的には部活に明け暮れてそこまで受験勉強に時間が取れないタイプの生徒さん、恋愛で一時的に大ブレーキがかかってしまう生徒さんも大いに結構で、「じゃあどんな展開で行く?」というのを一緒にやっていくという考えです。
これを違う見方で言えば、塾講師であるからこそ、受験勉強だけを成長の機会や人生の一大事のように捉えるといった視野狭窄に陥ってはならず、生徒さんのライフスタイル、メンタル面、そして才能に配慮しながら、多様な形で「こういう受験ができたらいいんじゃない?」という提案が生徒さんにできればいいのかなと思っています。
なんか誤解を招きそうな内容かなとここまで書いて思いますが、例によって仕事後に書いてるので眠気に襲われてしまってるので今日のところはこんな感じで終わっておきまふ。
本日は以上です。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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