おはようございます。

 

卒業生の子から「先生は髪の毛が抜けて今の髪型維持できなくなったらどんな頭にしますか?」と問われたので、「丸刈一択やわ。」と返答すると「ですよね。」と返される謎のやり取りを経験した重本孝です。

 

#学校に向かう電車の中で薄毛のオジさんたちを見ながら「髪がないなら丸刈りにすればいいのに。」とアントワネッてたらしい

 

 

 

 

なんなら勉強時間という概念すらいらないのかもしれない。

 

 

私は「“受験”の弱点」というのは2つあると思っておるのですが、そのうちの1つがキャラが評価対象にならないということ。

 

そしてもう1つが試験以外の場面でも正解を求めるクセがついてしまうことです。

 

 

前者はまた別の機会にとっておくとして、今日は後者に絡んだお話です。

 

 

先日、スマホで動画を見ておりますと、ある塾の先生が「志望校と今の自分を客観的に見て1日当たりの適切な勉強時間を割り出そう!」みたいなお話をしておられたのですが、私はその話を聞いて、「う〜ん・・“受験の弱点”が出とる。。。。ウチの子たち(究永舎生)にはそういった“適切な勉強時間”みたいな発想は持たんといて欲しいな〜。」と思いました。


#水準を知る必要はある


 

これは究永舎の塾生のみならず、一般論として話すのですが、「勉強法」とか「勉強時間」とか「参考書」とかを気にする受験生というのは、そもそも論として「どうしても〇〇大学に合格したい!」とまずは思っているのかどうか・・・、およびそれに紐づく形で「投下できる時間を全部受験勉強に充てたる!」くらいの気持ちは持っているのかどうか・・・という部分はみんなどうなんかな?と。

 

適切な勉強時間も何もいかに1分でも多く勉強時間を投下するか?というのがある意味適切なんじゃね?と。

 

もっと言えば今後生きていく過程でそういうノリの人間の方が圧倒的に重宝も信頼もされやすいと経験上私は思います。

 

 

受験勉強も仕事も人間関係も正解だけを選び連勝連勝で行けることはなく、全ては上手くいけば自信が持てるし、上手くいかなければ経験が手に入る・・・ひたすらこれを繰り返していった先にそれなりの“正解”みたいなのが見えてくる感じなのではないでしょうか。

 

もし受験勉強に明確な失敗があるとすればそれは自分の力を出し惜しみしたことのみでしょう。

 

 

そんなわけで「適切な勉強時間」みたいなペガサスファンタジー的思想は放り捨てて、受験生はたい焼きくんなのかな?というくらい毎日毎日「この1時間の生産性は?」「今日は全力100%のうち何%出せた?」ということだけにこだわり、意識を向ければいいです。

 

 

私は常々生徒さんには受験という狭く、そして長い人生から見れば非常に短い時間限定の価値観で過ごすのはやめて欲しくて、できれば受験勉強を通じて「こういう人間こそが世間に出たらウケる」というできるだけ普遍で汎用性のある価値観・哲学を纏(まと)って欲しいとほんのり思ってるので、そういう観点からも「適切な勉強時間」ではなく、「できる限りの時間投下!」というシャカリキコロンブスなスタンスで「今日は全力でやれたか?」だけを毎日己に問うて頑張って欲しいです。

 

 

暑い日に暑苦しい記事で申し訳ございませんでした。。。

 

 

 

 

本日は以上です。

 

 

 

 

 

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

【究永舎】

2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。

 

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