おはようございます。
先ほどバナナを切らしていることに気づいてテンションがダダ下がりの重本孝です。
#明日絶対やる仕事:バナナ買う
#リブログありがとうございまーーーーーす!!!!
誰かが言った、受験はまるで運ゲーだと・・
運がいい人とは試行回数の多い人である
先日読んだ本にそんなことが書いてあったり、YouTubeでホリエモンさんが「秋元(康)さんはとにかく試行回数が尋常じゃない・・」みたいな話をされていたりと・・・最近はそういった話に個人的に触れる機会が多かったので本日のネタにしました。
入試本番を終えたばかりの受験生なんかも、特に数理社なんかでよく「今年に限って苦手なアレが出た・・」とか、「今年は苦手な〇〇が出なくてラッキーだった・・」みたいな話をしてくれる子がいたりします。
この辺りなんかも結局冒頭の
運がいい人とは試行回数の多い人である
で割と説明できるような気がしていて、つまり、受験生であればシンプルに入試本番に至るまでに当たった問題の数(試行回数、、、思考回数とも言える?)に比例して「知ってる問題」、「身についてるパターンで解ける問題」に当日遭遇する確率がぐっと上がります。
例えばサイコロで「6」を出したいとなったときにサイコロを転がす回数と「6」に出くわす回数は比例するわけでして、こういったことからも
運がいい人とは試行回数の多い人である
・・は言えると思います。
少なくとも同じ人間であれば試行回数を上げることとチャンスに出くわす確率は比例するでしょう。
受験以外なんかでも、人から「ありがとう!」と言ってもらえたり、思ってもらえたりする言動の量と、自分が困ったときに手を差し伸べてもらえる量は比例すると思います。
より抽象化するなれば「お前、、、いいヤツだな。。。」と他者から評価されている人生通算言動量と他者から与えられる恩恵はある程度比例関係にあると言えるということです。
なんでもそうですよね。
読書量に比例して長期に渡って人生に寄り添ってくれる言葉や哲学と出会える確率が増えますし、自分より優秀な人とコミュニケーションを取る量に比例して自分が変わるきっかけは増えるのではないでしょうか。
先日読んでいた東進の東大合格体験記に「数学は運ゲーの要素も強いです。」と書いている受験生の方(灘校生)がおられたのですが、その方曰く「学校が学校であったがゆえに数学に関しては中学時代から自身の才能の無さを自覚し、優秀な友人の助けも借りながらとにかく量をこなすことを重視した。」とのことで、改めて
運がいい人とは試行回数の多い人である
・・について私自身考えさせられ、本日こちらで自分が感じたことを読者様とシェアさせていただきたいと思った次第です。
何のボケもなく真面目に書いてすいませんでした。。。爆
#ただいま眠気と絶賛大コンバット中・・
本日は以上です。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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