おはようございます。
ネットで調べているとどうやら完全なる食中毒症状のようで教室にいるにも関わらずこの3日間ほどは1ミリも仕事をしていない重本孝です。
#ネットで調べると
#鶏肉の解凍をレンチンですると
#危ないときあるよ!的なのが書かれていたのですが
#私はまさにその行為を29日の夜中に思いっきりやったんで
#発症時間と合わせて考えても
#たぶんそれかなと・・
体内に“栄養素ゼロ”のときはいいのですがその後やはり栄養を取ちゃあ腹を下し、栄養を取っちゃあ腹を下しの無限ループとなっております。。。
熱が1日で下がったのは良かったのですがいかんせん胃腸が・・涙
自習に来るみんなには4階の真ん中の部屋が片付けの途中でとっ散らかったまんまで申し訳ないです。。
ちなみに胃腸以外はめちゃ元気です。
そんな感じで申し訳ございませんが今回もG.W.よれよれポエムです。
何もないふつうの日のとらえ方
SNS全盛の昨今、先ほども旧Twitterを眺めておりましたら「自分は20代半ばでまだまだ若いのにG.W.も誰かと何らの予定もなくてこのままこれが続くとか考えると寂しい。。」みたいな投稿が見受けられたのですが、この投稿に関わらず最近はよくこうした風味の投稿はSNSなどでは特段珍しいものではないかと思います。
おそらくこうした人は自身がSNSで発信しているくらいなので、日頃からSNS界隈にはびこる「キラキラシーン」の影響をモロに受けているのかもしれません。
ただSNSへのそうした投稿の多くというのは基本的には非日常、投稿者さんにとってのある種何らかの「刺激」をネット上で不特定多数(鍵アカの場合は仲間内)にシェアしているに過ぎず、そのキラキラ投稿者さんも言っても365日中大半は特段何もない「ふつう」の日をすごしているはずです。
「刺激」は続くと必ず慣れて「日常」になります。
例えば一般的な40代の社会人の方が、ときに複数に向けてや、ときに1対1などでアカの他人である中高生や大学生の子たちと1時間以上がっつり話をするような機会があれば、それはその人にとっての非日常、つまり刺激で、ひょっとしたら「今日は◯◯高校の生徒さんたちにたくさん話をさせてもらったり、彼ら彼女らの話を聞いたりして、今の進学校の子たちの日常をうかがい知る非常に良い機会でした〜」なんて写真付きでSNSで報告する人もいるかもしれません。
しかし塾講師でそれをする人はまずいません。
なぜなら塾講師にとっては10代や20代前後の学生さんと接することはめちゃくちゃ平凡な日常だからです。
たしかに人間「刺激」が欲しいときもあるのですが、やはり言っても「ふつうの日」が生きてたら99%で、その「ふつうの日」とはとどのつまりその人にとっては「何もない」日です。
ですから考え方次第では、そうした「何もないふつうの日」が「(マイナスなこととか)何もなくて良かった〜・・」ということで、それ自体をありがたいものとして受け止められる心理状態になることが心の平安、すなわち幸せへの近道なのではないかと思う次第です。
高校生だと古文で聞いたことがあるであろう在原業平というキャラの辞世の句が私は大好きで、それが
ついに行く道とはかねて聞きしかど
昨日今日とは思はざりしを
(人はいつか死ぬと聞いていたがまさかこの数日あたりで自分がそうなろうとは思わなかったよ)
・・といったものなのですが、人間最後はこんな形で終わる人も多いはずで、そういった視点から考えても「何もなかったふつうの日」って実はめちゃくちゃアツいんだという考え方もあって、そういう考え方が習慣付いてる人の方がSNSによるプライベートシェア男やシェア子のみなさんよりも「幸せ」な感情との接触時間は長かったりする可能性も無きにしも非ずかもです。
#「何もないふつうの日」こそ至高
本日は以上です。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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