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年末年始ですが、例年通り、
31日だけ17時閉館
・・以外は全部いつも通りです。
#7:00〜22:00
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おはようございます。
社会から置き去りになってる感が半端ない重本孝です。
#しのごの言うてる場合では無い季節・・
この時期の“イケてる受験勉強”の覚書。
毎年シーズン後半の、高校受験・大学受験ともに模試が連打する季節になると「本番でできへんかったら意味ないし、逆にA判定だろうがE判定だろうが本番受かれば何でもいい。」・・みたいなセリフを私はよく言います。
とにかく「本番に弱い」っていう現象は絶対にあって、受験が近づけば近づくほど生徒さんの意識を「本番の一点突破」に向けていくことが例年の講師としての1つの業務となっております。
で、こういった受験でもなんでも「真剣勝負」という話になりますと、よく目や耳にする言葉というのが「自信を持つ」という主旨のものであります。
ただ個人的には「自信」という言葉では、その抽象性ゆえ・・・と言いますか、その定義の緩さゆえ、本当に真剣勝負で勝つために必要な要素を直感的に受験生に知らしめるものになり得ていない感があると腹の中で思っておりまして、私は日頃「自信を持とう!」的な風味の発言をする傾向にありません。
しかし「自信」という言葉がなんとなく言わんとするsomethingっていうのは無視はできなくて、その有無はやはり勝率にも影響があるということもこれまでの経験から雰囲気的・感覚的に思うところであり、前置きが柳沢慎吾さんの始球式か⁉︎というくらい長くなりましたが(大半の方が分からん)、今日はその「自信」という言葉の解像度を重本なりにアゲアゲエブリデナイトで表現してみようと思う次第であります。
#DJオズマ
早速の結論なのですが、結局、受験やなんやに関わらず「自信」というのは・・
確信
・・とほぼほぼニアリーイコールなんじゃないかって私は日頃から思っています。
受験で言えば、頭の片隅、つまり顕在意識では「落ちることは誰にでも起こり得る」ということは分かっていても、潜在意識下において「まあ、、、、、、言うて受かると思うんやけど。」っていう感じの匂いがする受験生と、イマイチそうでない受験生の空気感の違いって言葉で表現しにくいですがやはりあって、もう少し深く掘っていきますと、それはこのシーズン後半から直前期までにかけての勉強内容にその匂いの元みたいなのがあると私は見てて思います。
そしてタイトルにもある、この時期の“イケてる勉強”と、そうでない勉強の違いって、私はやはりどれだけ積極的に過去問を解きにいってるかっていうところにあると感じます。
とかく受かりやすい体質の子っていうのは点数や偏差値が出せる勉強をよくします。
つまり模試だろうが過去問だろうが、集中力を高め、時間を計ってガチ解きして点数や、偏差値表がある場合は偏差値を出してその後反省して・・っていう勉強です。
#逆に言えば本番弱い子は自習で自分に圧をかけるのが苦手
そして言わずもがな、「ああ、絶対この子受かるな。本番コケてるところが想像できないな。」っていう子の勉強って、この“ガチ解きサイクル”を1日に何本もハンパない量で周すんです。
例えば大学受験の英語とかっていったら上位の学校はだいたい80分〜120分ですし、数学なども80分〜150分などの長丁場ですが、いい受験生はそれを1日に複数本周すっていうことも平気でしますし、共通テストの理社なども、例えば日本史強化キャンペーンに入ってる子とかだったら60分を1日に3〜4本やってあと英語や数学もやるとか当たり前の光景です。
で、そんな調子なので、気づけば朝7時〜10時に自習室入って、休憩も適度に挟みつつ・・・「ん?・・おお、、もうちょいで22時か!? 1日早え〜。」みたいな。
結局こういった過去問に対して、東福岡高校のラグビー部か!?というくらいガンガンにタックルして「何点だろうが本番受かりゃ何でもいいんだよ!」みたいな感じの子って、、、
その対戦した過去問の数(圧倒的な勉強量)
=突きつけられた得点の数(圧倒的な経験量)
=「最悪でもこの科目は本番でこれくらいで収まるな」という確信めいた感覚
=自信(場合によっては余裕)
になってると思います。
一方、模試で偏差値が出ても本番で“呑まれる”受験生って、ここまでの域に達するほどの量がこなせてないことはままあると私は思います。
結局、自信(ときとしてそれは余裕)とは、その物事への確信であり、その確信は圧倒的な量から得られた膨大な経験値がその主成分なのではないでしょうか。
せいぜい20代前後くらいまではまだ“親からもらったもの”で一筋の光を放つことができていた人も、その後はやはり圧倒的な量がこなせるかどうかっていうところで「10で神童、15で天才、20過ぎればただの人」になるのか否かが別れてくるような気がしますし、逆に学生時代NO非凡だった人で、30前後から頭角を表してくる人っていうのはたいていは“量お化け”です。
「10代で圧倒的な量をこなした経験」それ自体に大きな意味があると私は思いますし、ジャンルが受験だろうが部活だろうが人付き合いだろうが、圧倒的な量をこなしたという原体験が18歳っていう微妙に社会人になりかけてる時期(経験値を割と温かいまま大人に持ち越せる時期)にあることにさらに大きな意味があるのではないかと私は思っています。
本日は以上です。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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