おはようございます。
歯医者さんから親知らずの抜歯を勧められるも麻酔がなかなか効かない体質のためビビり散らかしている重本孝です。
#マジで効かん..
#リブログありがとうございまーーーーす!!!!
昨日に引き続きゴリゴリにゴリったゴリリアントゴリーンな内容(真面目な内容)となりますので、「しんどいわ!」という方はまた明日以降でお時間のある際にお楽しみ頂けましたら嬉ぴーです。
国語が安定する人と安定しない人の頭の中で起こっていることの違いについての覚書。後編
そんなわけで昨日の続きです。
**************
**************
古今東西、センター、および共通テストの国語を苦手とする生徒さんは難関進学校においてもそれなりに多いです。
それは各種合格体験記に掲載されている東京阪神各大学の合格者の国語の点数を見ても明らかです。
私はその主たる要因を受験産業が長らく提唱する【“テクニック”&“背景知識”主義】に見出しています。
#あくまで個人の見解です
結局英語も含めた文章を読むという行為で一番大切なのは昨日述べました通り「要約」、つまりはナンチャラカンチャラと書かれた文章の本質(無ければ別のものになってしまうポイント)を「抽象化」し、「要はこういうこと!」という脳内作業を行うことなのであります。
その「要約」がスッキリとできていればセンターにせよ、共通テストにせよ正答率は安定します。
ただ、国語のややこしいところは、この要約がイマイチできない人にとっては「要約することで選択肢の分別が容易になる」という、いわゆる国語が得意な人がナチュラルにやっている作業ができないが故に、なかなかその「要約」の有益性を体感できないというところなのかなと思います。
私は塾講師なので、実際に国語が苦手な風味の生徒さんと、例えばセンターの過去問を突き合わせて、目の前で口頭において要約してもらったりすることがあるのですが、まずそういった生徒さんに共通して言えるのが「語彙の壁」があるということです。
先日もある生徒さんとサシでそうした確認作業を行っていた際、本文中に・・
ーーーーーーーーーーーーーーー
しかしネット以後、このような系譜学的な知よりも、「歴史」全体を「塊」のように捉える、いわばホーリスティックな考え方がメインになってきたのではないかと思うのです。これはある意味では「歴史の崩壊」でもあります。まず「現在」という「扉」があって、そこを開けると「塊」としての「歴史」がある。その「歴史」を大掴みに掴んでしまって、それから隙間を少しずつモザイク状に埋めていくことが、「歴史」の把握の仕方としては、今やリアルなのではないかと思うのです。
〜2015年センター本試〜
ーーーーーーーーーーーーーーー
みたいな記述があって、「系譜学的な」や「モザイク状に埋めていく」という記述のせいで「????」となってしまったらしいのですが、語彙力の壁があるとどうしてもこういったやや非日常な表現を「時間の流れに沿った」や「部分部分で埋めていく」などの言い換え、これつまり“抽象化”ができないため、文章の読後に「なんかイマイチよう分からん」→「上手く要約できない」となって、問題の選択肢に当たった際には消去法で立ち向かうも「これ全部違うんじゃね?」になってしまいます。
そして今ここでは「日本語」の例で考えてみましたが、これは言うまでもなく英文読解においても同じことが言えるんですね。
例えば先日授業で扱った昔の京大の過去問の文で、
(英語離れて久しい方は雰囲気だけ嗅いでみるでオッケー牧場でーす!)
ーーーーーーーーーーーーーーー
Thus the familiar paper clip has long been widely admired by architects and designers for being a graceful loop-within-a-loop spring that silently does its job.
〜2009年京大〜
ーーーーーーーーーーーーーーー
っていう文を和訳しなさいという問題があったのですけれども、北野のある子なんかは“a graceful loop-within-a-loop spring that silently does its job.”の部分を
「特に耳目を集めることもなくその役割を全うする素晴らしい螺旋構造」
と訳してきて「さすがやな〜」と感心したのですが、これ下手な高校生とかだったら
「静かにその仕事をする高貴な輪の中に輪が入ったバネ」
とかやってもおかしくありません。ぼよよ〜〜ん!
#文理学科の子は中3ですでに英検2級を取ってるから大丈夫 爆
もちろん「特に耳目を〜」のような訳を生み出すべく講師が授業でできることは多々ありますが、それはやはりどこの塾・予備校でもたいがい言われていることであって、正直な話、生徒さんサイドの語彙力なくしてはこのレベルの表現はあり得ません。(実際はここまでの訳ができなくても余裕で受かりますし・・)
#英語を読むのが遅い子は「和訳」し、速い子は「要約」している
#高2で英語をさらにブレイクスルーさせたい子はこの辺が今後の課題
以上のことからも伝わったかと思うのですが、結局、日本語を読むにしても、英文を読むにしても、いずれにせよ「要はどういうことやねん?」という「要約(抽象化)」ができなけれならず、その「要約」とはとどのつまり「何が重要か?」を見出すことであり、いわずもがなそれはありとあらゆる分野で必要となってくる能力なのであります。
東大が英語の大問1で要約を課したり、現代文の解答欄が小さな2行しかなかったり(通称「2行問題」。全ての解答を60字程度で簡潔に記すことが求められる)するのも頷ける所以です。
明確な記述はうる覚えではありますが、こちらの本に
「抽象化能力の高い人は低い人が見ている世界線をある程度想像できるが、低い人が高い人の見ている世界戦を想像することは完全に不可能だ」・・・みたいなことが書かれてあったのを昔に読んで以来、ときにものごとをそういう視点で見るようになった節があるのですが、本書のこの部分の記載は極めて至言であると私は思います。
#大学生や社会人の子よかったら読んでみて〜
本日は以上です。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
ご興味のある方はコチラ。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓