おはようございます。

 

ウーバーで「たこ焼き あほや」さんに注文しようとした際「たこ焼き10個」「もちぺちゃ」「ぺちゃモダン」の3品でかなり迷った挙句、全部頼んでしまうという最悪の結末を迎えた重本孝ことハイカロリーです。

 

#もちペチャ好き過ぎ人間です

 

 

 

 

#リブログありがとうございます!!!!(恐縮です

 

 

 

 

 

愛せよ目の前の不条理を 憎めよ都合のいい道徳を そして僕に才能をくれ・・の覚書。

 

 

公立高校受験の試験範囲というのは義務教育の範疇ということで、おそらく「たいていの人が身につけられるはず。」ということが前提となっている試験範囲だと思います。

 

翻(ひるがえ)って大学受験の試験範囲というのは、その源流を遡(さかのぼ)れば研究者のeggをピックアップするためのものであったことなどを考えますと、改めて公立高校受験の延長上に大学受験がある・・・・・・と、単純に考えてよいのかい?よくないのかい?[以下省略]・・的風味な疑問が湧かなくもないのかなと。

 

 

実際嘘か誠かMARCH・関関同立水準以上の大学への進学者は「じゅそうけんさん」調べではその学年全体の・・・

 

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という感じらしく、これをおおよそ各種偏差値マジックを無視して学力に比例するという観点で捉えたとすると、上位16人というのは偏差値でいうところの約60になります。

 

現在日本の高校進学率というのは98%くらいですので、その学年の偏差値60は高校受験の模試の偏差値60と言える・・・かと思いきや、中学受験で難関私立中に行った“カシコ軍団”の存在もありますから、もうちょっと厳しい見方でもよいかもしれません。

 

まあ、この辺の数字のお遊戯はほどほどに致しまして、とにもかくにもやっぱり大学受験って毎年現場で受験生を眺めておりましてもエグみがマジで深いのは間違いありません。


#ウチの子たち見てたら

#努力できない人が悪いのではなく

#1日12時間前後以上自習室に籠るような人たちが悪いのだと思わされるときがある

#大学受験は自習狂うごめく鬼の棲家



 

また何よりも大学受験においては高校受験の何倍もの“各種才能”が要求されます。

 

私は大学受験においては、この才能面を無意識的に軽視してしまっていることがそもそものシンドさの根本だと考えます。


#才能ある側の人はそれで何ら問題は無いのですが


 

シンプルにIQ面しかり、どれだけ努力できるかということしかり、自分の価値観に基づいて「ここ行きたい!」というゴール設定ができるかということしかり・・・これらは全て「言われたから」できるようになるものではありませんし、どう見ても努力どうこう以前の個人差があります。

 

つまり才能の差です。

 

 

昔、究永舎に面接に来た地方の大手塾でキャリア10年以上はある塾講師の人で「私は『才能』という言葉が嫌いです。」と言い放った人がいたのですが、私が「ある言葉を嫌いになるのは個人の自由ですが、才能の差は人間なので絶対ありますよね?我々講師にも。受験生にも。。。」みたいな話をしたら、、、、、、、、「それを努力で乗り越えさせるのが我々の仕事だと思っています。」ということで、その後、その人に数学の学力試験を受けてもらったところ、灘はおろか北野高校に合格できる学力にすら届いてなかったので、LOVE & JOYを大音量で流してパラパラ踊るしかなかった記憶があります。

 

#塾講師の

#才能が

#なかったんだなぁ

#みつを

 

 

この世はでっかい宝島よろしく、人間社会って個々が才能を持ち寄って、補完しあうという助け合いでやっていくのが目指すべきところかと思うのですが、大学受験なんかを始めとして、どうも特に教育と名のつく現場になればなるほど「才能」という言葉は禁忌扱い気味で、「そこはええんちゃう??」というところまで同調圧力がはびこりまくりすてぃなイメージがあります。


暗記の得手不得手、理数概念習得&操作の得手不得手って、足の速い遅いと同じレベルで明確にあるのに勉強面は50mのタイムと違って足並みをできるだけ合わさせようとするのが現状です。


100歩譲って義務教育の範囲までなら許せるとして、遅くとも高校生以降なんかはあらゆる分野で「才能(自分がそれなりの満足度で生きていける道)」を意識、および模索する生活をしないと、人生って青春時代の後の方が超LONGなのに、学生の段階で必要以上の敗北感や劣等感、さらには“傷”を追いかねません。

 


#ホンマこれです↓

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身の程を弁えずに話が大きくなりました。。。

 

 

 


 

要は今日の話で言いたいのは、大学受験ってもはや「義務教育」の範疇ではないので、やはりいろいろな切り口で生徒さん(我が子)の才能的な部分(塾の先生ならその生徒さんの性格や嗜好も合わせて)を検討し、その上で適切な道(イカつく言うなら「勝てる道」)を探る意識をもっと持つのが普通になった方が良くね?と。

 

ゴールの設定がド下手だとこの先のキャリアセレクトも全部“ハズす”かもよ、と。。。

 

そんなことをよく思います。



人生って青春の後の方が長い(実は芸人&作家さんの又吉直樹さんが仰ってたのですが)ので、その青春時代に不得意なことで、それを得意とする人ほどの成果を上げられないからとて無駄に引け目を感じる(たぶん社会や大人が感じさせる)のはもったいないって思います。


「才能をくれ」というか「才能って自分の中に見つける」しかないんだと思います。努力をすることで。


#運が良ければ他者に見つけてもらえる




とりあえず「志望校合格」の手前で、まずは「受験で病まないでくれ〜!」っていつも思いながらやってますし、たぶんこれからもそんな感じでやっていくんだと思います。


#だって病んだら受からないから

 

 

 

本日は以上です。

 

 

 

 

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

【究永舎】

2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。

 

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究永舎 大阪 北摂 豊中市にある

高校受験・大学受験で連勝を目指す教室