おはようございます。
「君と夏フェス」風味な高校生カップルを眺めながら短歌を考えたものの何も思い浮かばなかった重本孝ことそもそも短歌を読んだことのないヤツです。
#とにかく暑いねん..
平凡でいい特別も何もいらないよ
全統模試が終わり昨日は急遽月曜の高3の時間割を水曜の晩に変更して、晩は1人1人順番に今後の作戦会議を行いました。
#阪大チーム今日になってごめんなさい
やはり第1回のときと違って今回は結構焦ってる子も増えていて、私も言葉のセレクトを一歩でも間違うとヤバイなという緊張感があって・・・・ぶっちゃけめちゃくちゃ疲れました。。。苦笑
#止まらないのは私の汗
人間誰しも頑張ったならその見返りが欲しいものです。
ところがどっこい勉強の場合、特にそれが難関大受験ともなるとそうそう簡単には「伸びてる〜♪」が実感できたものではありません。
ただ昨日も高3の子たちや中3の授業なんかでも話したのですが、特に何か新しい教材(取り組み)をやった成果っていうのはそのことに対する期待値が自分の中でデカい分、「なんや・・全然前と変わってへんやん。。。」みたいな結果が出ると気持ちが折れ易いです。
そしてそうしたことはこれからのシーズン後半で何度となく起こるんです。
受験ってそういうモン、、、と言えば確かに“そいうモン”なのですが、受験生に知っておいて欲しいのは、例えばある問題集や過去問に取り組んだ際、それが「1回やりました。」ということであれば、逆にそれで成果が目に見える形になる方が珍しいです。
一般に「同じ問題を2回目や3回目をやる。」と言うと、いやいや1回やった問題やのにそりゃできるやろ感が下手したら印象としてあるかもしれません。
しかしそれはアンビバぶーりんな話で、1回目に取り組んでそのとき分からなかった問題(学力として自分の身についていない問題)っていうのは、少し時間が経てば「見たこと・・・あるかも。。」ていう程度にしか多くの人はなりません。
最近では、受験系のユーチューバーなんかを見ておりましたら「参考書を終わらす」という表現が珍しくないのですが、これは個人的にはマジで意味が分かりません。
確かに「1冊全部やった」ということを終わらすというのなら可能だと思うのですが、聞いているとどうもそうではない感じです。
しかしながら先ほども述べましたように「1回やった。」の状態では少し時間が経てば脳的にはほとんど何もしてないのと似たような状態になります。
受験勉強というのはそうではなくて、どうか2回目、3回目、できればそれ以上をやって下さい。
「終わらした」は偏差値が200越えてきたら使ってもいいと思います。
これって例えるなれば、「1回目」って「筋トレやった後」に近くて、そこで終わっちゃうと、2回目・3回目・4回目に当たる「炭水化物の摂取」や「タンパク質の摂取」がない状態になりますので、全然「1回目」がモノになりません。
#分かります?
もしやったことがない受験生がいたら、マジでやってみて欲しいのですが、問題集にせよ、過去問にせよ、2回目、3回目、4回目をやってみると、1回目には全然そんなの無かったのに、ホントに再度解きながらいろいろと「こういうの注意やな・・」とかに気づける余裕がありますし、3回目、4回目になると1回目のときは脳内に無かった脳の神経回路が頭蓋骨の内側で育まれていってることが実感できると思います。(私はこれを高校受験のときに経験として持っておいてもらうことを狙ってます)
問題集や過去問はそこまで行って初めて「1回目」をやった価値っていうのが出てきますし、もちろん初見の問題に対してなんかでも、出てくるアイデアや、適切な目の付け所が以前とは違う感触があります。
まとめとしては、やっぱり「2回目」「3回目」「4回目」・・みたいな感じで、「平凡でいい特別も何もいらないよ・・」な勉強を延々コツコツと繰り返すことでしか、“自分で実感できるレベルでの学力向上”には至らないので、どうか受験生の皆さんにはそのことを受け入れてもらって、残りの夏休みの勉強を、2学期以降の「n回目」を意識してやって欲しいと思います。
あと、夏休みに入ってお子さんのエンストフォーエバーぶりに「・・・💢💢💢」となっておられる読者様がおられましたらこちらをどうぞ。
本日は以上です。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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