おはようございます。
こんなバカ丸出しなタイトルの記事をお読み下さる皆さんが大好き過ぎてツライ重本孝です。
#本日は三重大発表ッス。
#リブログありがとうございまーーーーーーす!
そう!そう!そう!スーパーほんまSORE!過ぎてうなずき具合がマジYOSHKI。
先日、よく拝読している佐藤航陽さんの↓に
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うおおおおおおおっっっっっっっっ!!!!!!!
これオレが言いたかったーーーーーーー!!!!!
・・と大興奮でした。
住むところや収入など、なかなか自分では如何ともしがたい子どもとは違い、大人というのはだいぶと自由が与えられています。
だからこそその人がどういう人間か?というのは決して受験などでは計れず、全ては世の中に放り出されてから明らかになるものだと思います。
ポストにもあるように
「自由は残酷な差を可視化しがち」
・・ほんまSORE!です。
ただこれは受験界というフィールドにおいてもやはり真理で、校内生、および卒業生のみなさんはご存知のように究永舎という教室には注意書きめいた張り紙がどこにも無ければ、「究永舎○つのルール」とか「究永舎○ケ条」みたいなものも一切ありません。口頭でも言うことはありません。
それはひとえに
「自由は残酷な差を可視化しがち」
=「自由があって初めてどんな人かが分かる」
と考えるからです。
元プロ野球選手の落合博満氏はご自身のYouTubeチャンネルで
「指導者は指導・助言より、まず、ずっと観察しておくことが重要。」
と仰っているのですが、個人的にはこの観察眼こそがまさに塾講師という仕事の1丁目1番地であると考えています。
当たり前なのですが、やはり日々接する生徒さんへの理解無くしてこの仕事は成り立ちません。
「どんな子なの??」が分からずしては怖くてどう接していいのかも決まりません。
人間というのは誰しも浅はかな部分も持ちつつも、その実、非常に深淵な生き物であることはこれまた誰しもが知るところであり、だからこそ、、、だからこそ、、、「観察(講師の観察眼)」が大切なのであり、その解像度を高いものにする、すなわち「実際のところどんな子なの?」をクリアにするためにも自由にしてもらう必要が出てきます。
そしてその自由な環境が環境として教室ユーザーの皆様に保証されるためには誰でも彼でも受け入れるということは難しくなるというのが正直なところでございます。
#性弱説を採用
ここまで述べてきたような意味でもホントに教室運営って飽きなくて、従業中の様子などももちろんなのですが、「自習室」というのなんかでも毎日ちょこちょこ眺めてるだけでもホントにいろいろなことが分かります。
校内生しか分からない内容ですが、よくネタにする“オヤツの取り方”1つ取っても人間ってホントにその人のクセっていうのがあって、毎度めちゃくちゃ個性が発揮されて、そこにはやはり受験的な観点においても確かな“違い”になってはきます。
自由は残酷な差を可視化する
大阪・北摂の公立高校は自由度の高いところばかりですが、そうした進学校に通う高校生諸氏もきっとこの言葉にうなずいてくれることでしょう。
本日は以上です。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
ご興味のある方はコチラ。
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