おはようございます。

 

本日から2023年シーズン後期となります・・って、ええええ!!!!!もうううううう後期かいっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!な重本孝です。

 

#感覚的にはこないだ入試終わったばっか..

 

 

 

#リブログありがとうございまーーーーーす!!!!喜

 

 

 

 

 

結局、塾講師が取るべきアプローチとは?

 

かれこれこのブログでも7千万回ほど書いてきておるのですが、結局・・

 

・成績ランクが明らかに上がる

・進学先の運命が良い形で変わる

 

・・ということが実現されるとき、その生徒さんの中では必ず、、、

 

エフィカシーが上がってコンフォートゾーンがこれまでのものと変わった

 

という状況が発生しています。

 

つまり「こうあるべき!」というイメージ(これを憧れと言います)が変わって、そのイメージに沿った言動水準で生きるようになったという状況です。

 

生き様が変わったんです。


#恋する女はキレイさ〜、みたいなのもコレ


 

それこそ受験生ではありませんが、私などは典型的なその例で、高校3年間でキレーに中学レベルの英数の知識すら脳内から吹っ飛んだ状態から、その後20歳でいろんなことが重なって塾講師として中学生の各学年の英語を担当することとなったとき(当時の生徒さんホンマごめん!!!!!!)、これまでの・・

 

「学力なんて気にも留めない」から「対価を受け取って授業をする塾の先生(入試問題なんでもなできないといけない人)」にエフィカシーが変わった途端、塾講師として経験の無い&学力も無い自分への罪悪感が半端なくなり、とにかく毎日学力を高める何かに取り組んでいないと罪悪感、時間の浪費感に苛(さいな)まれ、1つでも多くの知識と、そしてそれがなぜそうなるのか?という見聞を増やしていきたい欲求に駆られまくりました。

 

そしてそうなると、これも何度も書いたことで恐縮ですが、ホントに学生時代のあれは何やってん???という勢いで脳に知識が吸い込まれ、学力がグングンついていきます。

 

正直、私は自分の知る範囲で、ゼロから一番学力を伸ばした人間というのが自分自身なので、学力を伸ばしたいという塾生はもれなく当時の私と同じ状態になればいいのに・・といつも思ってます。

 

 

 

 

そもそも現代人の脳は原始人の頃から変わっていないとされており、元来、危険を冒さない設定(ホメオスタシス)が備わっているとのこと。

 

ここでいう危険を冒さないとは「これまでの行動原則からハミ出る行動を取らない」ということです。

 

確かに原始時代であれば、これまで誰も食べたこともないものを食べる、行ったところのないところへ行くなどという行為はそのまま個人や集団の「死」に直結することが多かったゆえ、「これまでと違うこと」をすることに対する強烈なブレーキ機能(ホメオスタシス)が長い年月をかけて脳にできあがったというのもなんとなく理解できます。

 

しかしそのせいで現代人の我々はなかなか「今の自分」から変われません。

 

私のお腹のお肉もなかなかなくなりません。


#マジで消えてくれ..

 

 

ただこれは逆に言えば「悪い方向」へ行く(エフィカシーが下がる)ということもこれまたなかなか難しいということも実は意味しています。

 

典型的なのが例のコロナによる「学校・塾に集まること禁止!」の時期の話で、各塾こぞって遠隔授業とかやりだした中、究永舎は丸々休校にして私は補助金もがっつりフルで頂きつつ、呑気に1ヶ月ちょっとブログでも書きながら過ごしていたのですが、正直、受験についてはなんの心配もしていませんでした。

 

なぜなら述べてきているように、結局はエフィカシーで全ての結果は決まるからであり、私は各生徒さんのそれを把握している自信があったので、遠隔授業はおろか、課題すらも出してません。

 

当時のブログを見て頂いても生徒さんへのメッセージとしては「好きに過ごして〜」って感じだったと思います。

 

それぐらい生徒さん1人1人のエフィカシーを把握していれば相対的にスーパーアトミック不毛なことを大人として子どもに課すことなく、自分の気持ちにも余裕が出ます。


ちなみに私が面談で保護者様に「このラインの学校は必ずいけます!」と言い切るのもこのエフィカシーを把握してることがその理由です。


 

 

そんなこんなで、私がとるアプローチは以下の通りです。

 

①「次回以降の授業についてこれるように最低限の宿題はする」&「みんなに迷惑を掛けないようにルーズさによる遅刻などの低レベルな雰囲気を持ち込まない」・・・などは当たり前という、塾生として最低限のエフィカシーに全員の意識をクラスの空気を用いて(叱ったりすることなく)設定する。

 

#中2クラスもイイ感じになってきました

 

 

②各生徒さんの現在地と、各高校・各大学に入った先輩の取り組みや“どんな特徴の人間だったか?”などを紹介して各進路先への“イメージの足し”にしてもらい、「自分はここ目指したいです」を考えてもらう。

 

ちなみにこの②までが私が理想とするレベルで為されれば私の仕事は95%完了です。あとはエフィカシーに沿って勝手に学力がついて勝手に受かります。

 

逆に言えば多くの子がこの「自分はこうしたい!」のイメージが十分持てずにいるため「一生、今の自分」を続けることに・・

 

#大人の「やりたいことが見つからない」と同じ原理

 

 

③(成績が落ち込んでしまったときなどは特に)「受かるからそれでいい。」ということを伝え、途中何かのはずみで血迷わないようにガードレール的役割で最後まで誘導する。

 

 

 

こんなこと言ってもいいのか分かりませんが、おそらく親・塾講師の方々の中には、無意識的に“対ロボット”に近い発想で・・

 

・この成績にする(この学校に受かる)ためにはこれくらい授業をしなければならない

 

・これくらいの宿題を出さなければいけない

 

ヤバイのになると、、、

 

・毎日自習をする約束をする(それ、もはや自習違う〜・・)

 

みたいな感じで生徒さん(お子様)に接しておられる方も多いと思います。

 

 

 

ただ僭越ながら、そうではなくて、どこかのベンチャー企業ではありませんが「君はどう思う?」が最初で、それに次いで「今の自分を恥ずかしく思う」という流れまで来ないと何も変わりません。

 

#かと言ってそんなこと子どもに頻繁に問い詰めたらウザがられて終わり

 

 

例えば高3生で、春先にE判定だったところを、誰から頼まれたワケでもないのに「目指す」と自分で言いつつ、中3の多くの子より遅く自習に来て、またその中3の子たちより早く引き上げることを死ぬほど恥ずかしいことだと感じないうちは何も変わりません。

 

「まだ本気でやれてない(まだ使ってない才能が残ってる)」というあまりにハナゲ過ぎる心の拠り所を残してるメンタルの弱さを心の底から恥じないと何も変わりません。

 

人間は自分の生き様はク○だという罪悪感を感じるレベル(自分はこうあるべきなんだ!と“憧れ”を明確に理解したレベル)で悟ったときに初めて変われます。

 

 

結局、塾講師っていうのは1人1人の生徒さんに真剣に自分の今後について考えてもらうことが実はその仕事のスタートだったりするんじゃないかって思うこともあります。

 

特に大学受験の場合は「志望校ですか?まだ分かりません。」という子には塾講師はなかなかに無力なので、みんなマジで真剣に進路を考えてもらいたいです。


#塾って受かりたいとこあるから来るもの

 

 

不毛な時間を平気で過ごす子ってそもそも自分が手にしたいものを分かってません。(明るい未来に就職希望だわくらいしか考えてない) 

 

また、場合によっては幼な過ぎてまだそれがイメージできないっていう場合もあると現場で見てて思います。

 

自分の人生を生きてるっていう実感がないのかもしれません。(なぜそうなるのか?っていうのは単に幼いだけではない場合もめちゃくちゃあります)

 

 

そんな子たちも含めて、とにかく1人1人観察して、「この子にはどう接してあげたらベストなんや・・」って毎日悩んで悩んで悩んで、また悩んで、クラスでみんなに話したり、ときに勇気を出して直接1対1で話をしたりすることで、振り返れば上手くいったな〜・・っていうのが理想なんじゃないかなと・・

 

 

 

とりあえず気づけばこんな取り留めもない日頃の自分の葛藤を読者様にここまで読ませてしまったことを今現在恥じています。苦笑

 

こういう話はやっぱり現場だけでしないといけないですね。。

 

 

 

終わりです!

 

 

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

【究永舎】

2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。

 

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