こんにちは。

 

「決勝戦見ながら書くか・・」という考えがいかにバカなものであったかを確認した重本孝です。

 

#遅くなってすいません

 

 

 

自由という名のリトマス試験紙。

 

塾講師という仕事は保護者様から生徒さんの成長、しいては学力増進、そして結果的な志望校合格を期待されるお仕事です。

 

 

その任務を遂行する際、私が一番の土台と位置付けているのが・・

 

 

 

 

「生徒さん(&保護者様)がどんな人なのかを見る・知る・感じる」

 

 

 

 

 

ということです。

 

 

もちろん、かのニーチェ大先生が仰るように、「生徒を観察するとき、生徒もまたこちらを観察しているのだ」ということも強く意識します。

 

 

 

さて、ここで「見る・知る・感じる」ということを言ったのですが、実はこれはある種この仕事をする人間であればおそらく誰もがいろいろな先輩から幾度となく言われるようなことであろうと思います。

 

そこでまず若葉マークの先生というのはこれまたおそらくほとんどの人が「コミュニケーションを取ろう!」「コミュニケーション大事!」と考えます。

 

 

ただ私は今日までそれなりにこの仕事をしてきた過程で、この「コミュニケーションを取る」は、まず若葉マークの先生の場合は結果的にはそれが手段ではなく目的に堕する可能性があるということであったり、そもそも誰だって「学生」という立場であれば大なり小なり先生んは多少気を使って接しないか??と思うのです。

 

要は例えば塾の先生に向かって、

 

「一応この塾に通ってはいますが、今となっては『友達が通っているあちらの塾に通っとけば良かったな・・』と思わんでもありません。」

 

とか、

 

「先生のそういうところは人としてあまり好きではありません。」

 

とか、その生徒さんが優秀であればあるほどそういうことはおクビにも出しませんし、またいわゆるコミュ力のホントに高い生徒さんほど、「大人と接する術」が身についているものです。

 

 

ですからそういうことを踏まえたとき、実は対話型のコミュニケーションなるものが万能でないのはもちろん、むしろ先生の経験値次第では“落とし穴”にすらなるんじゃないかとも思うのです、っていうか・・私はそう思っています。

 

 

ゴニャゴニャと書いたのですが、結論としては

 

 

「できるだけ人間には自由を与える」

 

 

というのが、結局その人を知る上での前段階なのであり、むしろ欠かせない工程であると私は価値付けています。

 

 

怖い言い方をすれば

 

 

 

 

 

自由という名のリトマス試験紙

 

 

 

 

 

・・・です。

 

 

 

 

ホントに怖い言い方ではありますが、これは何も「生徒さんを試す」みたいなニュアンスだけが100%なのではなくて、例えですが、中性なのに酸性と思ったり、アルカリ性なのに中性、またまたアルカリ性なのに酸性と思われて大人から接されることほど生徒さんからしたらド迷惑な話はありません。

 

 

 

もうちょっと書きたい風味ではありますが次の予定(体験授業)がありますので本日はここまでということで。

 

 

 

 

#自習室とか見てたら面白いようにその子のことが伝わってきます 微笑

 

 

 

 

 

 

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

【究永舎】

2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。

 

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