おはようございます。

 

仕事後にビル下で大学生の卒業生に久しぶりに遭遇し、「彼氏がすごい優しい(微笑」という話を拝聴した重本孝です。

 

#はるか〜、草原を〜、ひとつかみの雲が〜・・

 


 

#リブログありがとうございますーーーーーーー!




 

 

ダイエットは化学、受験勉強は心理学。

 

 

表題のセリフをよく教室では使っていますし、話の流れ次第では面談で保護者様にもお話します。

 

ダイエットというのは「継続が命」という点で、よく受験勉強なんかと“似ている”とされます。

 

また、ライザップタレントのこれみよがしなリバウンダーぶりと、中学生の塾で無理から勉強させられた子たちが、見事に高校生以降1ミリも勉強しなくなり結局大学受験で理想とはほど遠い展開になる現象というのは非常に似通った風味を漂わせます。

 

そんなわけで確かにダイエットと受験勉強は似ているところはあります。

 

 

・・が、しかし、個人的にはダイエットと受験勉強とでは決定的に異なるところというのがあって、それこそがくだんの

 

 

ダイエットは化学、受験勉強は心理学

 

 

というところなのであります。

 

 

例えば、ここに、ある1人のどうしても痩せたくないという意味不明な太っちょのオッサンがいたとします。

 

さて、ここでそのオッサンに1日1000kcalしか栄養摂取をさせなければオッサンはどうなるでしょうか。

 

これはオッサンがいくら「痩せたくね〜!」と吠えたところで、1日1000 kcalならさすがにオッサンはみるみる痩せてガリガリガリクソンになるはずです。


#痩せてんのか太ってんのかややこしい



 

 

そして今度は話が代わって受験勉強についてです。

 

例えば、日本史大好きのAくんと、全く興味のないBさん両方一緒に、カリスマ日本史講師の「幕末、高杉晋作の功山寺挙兵」についての話を聴講したとします。

 

そうすると、この場合、AくんとBさんの1週間後の記憶の残り具合というのはいかがなものでしょうか?

 

おそらく相当な確率で、Aくんの方がBさんよりも授業内容の記憶残存率は高いのではないでしょうか。

 

要は同じ量の情報摂取を試みるのであれば、断然なんらかの形で関心を持っている方が知識の定着ははかどります。

 

このように勉強して学力を高めるという行為には、例を挙げればキリがないくらいいろんなパターンで多分に心理学的要素が含まれます。

 

 

教室ではそのことを基礎知識として伝えた上で、「結局学校の成績というのは『有り得へん!』と思ってるラインのちょい上あたりを取る」ということもよく話します。

 

例えば英語が60点の子というのはクラスの10点、20点の子を見て「あり得ね〜・・」と思うでしょう。

 

そして今度は平均90や95を切ったことのないタイプの子というのは、その60点を取っている子を見て「[倫理的規制]」と思うでしょう。

 

以上のことより、60点の子が90点を取るためには日頃90点以上しか取らない子と同じ感覚、つまり「60点なんて[倫理的規制]」という感覚にならないとダメなんです。

 

#いわゆるコンフォートゾーンが変わった状態

 

これは何事においてもそうで、本人たちはもちろんそんなことは言いませんが、これまで出会ってきた東大京大に合格しそうで、やっぱり合格した子というのはみんな会話をしていると、そもそも“阪大”がほぼほぼ視界にない状態であることが分かります。

 

これはそのときの成績に関係なくです。

 

つまりある日の数学のテストで学年半分を割ろうがなんだろうが、とかく「阪大を志望する」という概念が全く無い雰囲気とでも言いましょうか。

 

#私も高校時代無かったけど 恥

 

 

ここのニュアンスは直接“そういう人”と接して頂かないとなかなか伝わりにくいと思うのですが、見分けないといけないのは本音のところでは進学校の雰囲気に流されて「できれば阪大よりは京大!」とか言っているのではなく、もう「阪大受験」という概念本体が潜在意識にない印象の子がガチなそれということです。

 

そういう子からすれば【京大に受かりそうにない】という事実は気持ちの悪いことなので、常に【まず受かる】という現実を無意識的に維持しようとします。

 

このことは勉強以外のことにも言えます。


昔、年収1億を越える先輩が、「さすがにいくら稼がれへんようなったとしても月収で300万切る生活はイメージできない。」とホントにイキるでもなんでもなくサラっと言っていて、聞いた自分は完全に思考がフリーズしたのですが、この先輩の事例なども同種のものであると言えるでしょう。

 

 

結論:成績は「今の自分を“恥ずかしい”という認識になったとき」に上がる。

 

・・・ということになります。

 

 

難しいのはその認識を外部から意図的に与えようとする、、、、つまり身も蓋もない言い方をすれば、「君、そんな生き様で恥ずかしくないの?ただの[倫理的規制]やん。」を言語的、あるいは非言語的な形式で与えようとすれば、特に無策でいった場合はたいがい相手にキレられたり、鬱らせたりする展開に転ぶことが多いということです。

 



 

情けない終わり方ですが、20年以上講師をやってきて、いまだに難しい、というか、やればやるほど「う〜ん・・。」という感じです。その手の悩みは尽きません。

 

 

 

本日は以上です。

 

 

 

 

ではまた。

 

 

 

 

 

【究永舎】

2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。

 

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