おはようございます。
昨日、久々にエゴサしてみたら【重本孝 学歴】と出てきて、「最近の読者様はご存知ない方も増えてきているのかな??」と思ったので、改めて確認、かつマジメに記しておきますと、私は近畿大学(確か・・)法学部出身です。5年かけて一応卒業はしました。ただほとんど学校へは行ってなかったので大学での思い出というのはほとんどありません。また、そもそも塾講師としてはよろしくないのは、高校へは野球をしに行ってましたので、大学進学を決めた高3の10月末頃くらいまでは高校生の2年半で誠にお恥ずかしながら何も勉強しておりません。今現在難関大学受験を指導しておられる塾・予備校の先生方が高校生の時分に勉強しておられる時間はだいたい野球をしておりました。。。(私立なので一応ナイター設備とかがあった)
このことについては私もまさか自分が塾の先生、しかも今のように自分で教室を開いてなどとは夢にも思っておりませんでしたので、何と言いましょうか・・「申し訳ないです!」・・というのも何か違う感じなのですが、とりあえず自分のこれまでの強運と生徒さんと保護者様に感謝申し上げる他はございません。。。
#「話に説得力ある?」とはちょいちょい思う
そんなわけですから、このブログでも度々進学校の生徒さんが自習室で勉強される様子を眺めては感動すら覚えると書いておりますのは決して大げさに言っているのではなく、ホントに「すげ〜・・」って心の底から思ってますし、高学歴の塾・予備校の先生も学生の頃に「皆さん、これやってはったんや〜・・」と思ってマジですごいなと思ってます。
果たしてそんな私みたいな人間がどうして進学教室を開くに至ったのかについてはHPの
に書いておりますので、ご興味ある方はまたお時間のある際にでも少しずつ読み進めて頂ければと思います。
長くなりましたが、それでは本題です。
灘高生のお母様に「小さい頃からやっぱり“違った”んですか?」と聞いてみたら・・
以前、灘中高の生徒さんのお母様に
「灘中に合格されるようなお子さんの保護者様って、やっぱりお子さんが小さい頃から『この子賢いわ!』っていうのは感じはるものなんですか??ご自身では仰りにくいかもしれないですが、、、、、よ、、、よろしければ、、、是非お伺いしたいです。」
と前から疑問に思っていたことを“どストレートに”聞いてみたことがあります。
するとそのお母様は非常にご謙遜なさった上で、
「小さい頃から算数的なものに興味をよく示したのは間違いなくて、漢字も教えたら教えただけ覚えましたし、数学も教えたらどんどん吸収しましたので私も少しおもしろくなって、確か小3か小4くらいの頃までには中学数学までは一通りは教えたような気がします。」
・・と仰っていました。
個人的にはこのレベルの子というのは正直むしろ灘しかないんじゃないかくらいに思うのですが、言わずもがな99. 9%の子というのは灘中なんてどれだけ塾通おうが受かるものではないですし、何なら私の知る範囲では高校から灘に入る子もほとんどは小6の段階で灘に入ることは無理であったであろうという子の方が多い印象です。
というかもっと言えば東大生の大半は小6の段階で灘中、中3の段階で灘高に合格せよなどと言われれば「できるわけね〜・・・」っていう感じの子の方が多いと予想します。
これも誤解を恐れず言えば、小6段階で灘、甲陽、洛南や神女に逆立ちしたって合格なんてできね〜という子でも18歳の段階で東大京大に合格することは全然有り得ると見ていて感じます。
逆に言えば、上記の中学に受かった子でも学年の半分より下になってくると東大京大もこれは医学部でなくても決して余裕ではありません。現役では落ちる子もそれなりにいます。
とにもかくにも中学受験と大学受験は全然違います。
#げに大学受験は難しい
受験も人生も“クレシェンド”的な展開をその旨とするのがよいと、気づけば20年以上も続けてしまった塾講師という仕事の現場で見ていて常々思う次第であります。
人生何が起こるか分かりません。。。笑
本日は以上です。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
ご興味のある方はコチラ。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓