おはようございます。

 

ミスド抹茶祭りです。

 

端的に申して・・・美味どす。

 

 

#昨日はミスドだけで脂質50g以上摂取

 


 

授業を行う一番の目的 〜昨日中2生に話したこと〜

 

 

一般に、授業というものは、科目の要点や問題解法プロセスなどを伝えるためのものであるというイメージが強いと思います。

 

ただ個人的にはそうした側面はあくまでサイドメニューで、私の場合は授業を行う一番の目的は

 

「宗旨替え」および「哲学の共有」

 

です。

 

 

確かに能力の差がそのまま成績の差になっている場合もあると言えばあるのですが、それでも一番決定的なのは「宗派」の違いが一番大きい、そう感じています。

 

 


先日、北野高校の子に「中学時代、テスト前の教室で『問題出して!』って友達に言われたことない?」と聞きますと、やはり「あります。」と言います。

 

さらに私が「で、実際に問題出したりしたら勉強苦手な友達とかやったらビックリすることなかった?」と聞きますと、これまた続いて「ありました。」と。

 

 

さてさてその子は何に驚いたかと言いますと、、、、

 

曰く「社会の問題を範囲のプリントから出したら、友達が『え?そこ“(      )”なってないとこやん!』って怒られました。笑」と。。。

 

 

・・これ、、意味分かります?

 

 

要は早い話が、、、

 

北野高校に受かる中学生

→出題範囲はプリントの(     )になってないところも含めて、出る可能性が少しでも見込まれれば全部覚えるまでやる。(良い成績取るためには当たり前)

 

がんばれベアーズ

→プリントの(     )以外は覚えない。なんなら(     )の部分も自信が持てるまではやり込まない。テスト範囲を勉強できてなくても24時頃には寝て翌日テストを受ける。

 

・・・です。



つまり、、、生き様の問題なんですね。



 

そんな感じなんで、昨日の中2クラスで話したのは、

 

「みんな朝起きて、さあ学校行こ!ってなったときに制服に生クリームがべっとりついてたらそれ着て学校行く???・・・うん、さすがにそれでは行かへんやんな。笑 必死に洗い流してドライヤーかなんかで必死に乾かしてから学校に行くと思う。要は、なんでもそうなんやけど人間って自分で『それは有りえへん』って思ってることは絶対に避けようとするし、もしその“有りえへん”が起きてしまったら、もう気持ち悪くて気持ち悪くて仕方ないから必死にその状態から脱出しようとしたり、もう2度とそうならないようにするねん。つまり、学年トップで平均95下回らへんみたいな子は最低でも90切るなんてことは想像すらしてへんし、反対に、学年の平均くらい、つまりテスト当日に家出る段階で『全然ちゃんと覚えれてへんな〜・・』と思って平気で学校行ける子は範囲を全部勉強するなんて有りえへんと思ってるもんやねん。だから成績が上がるっていうのはその“有りえへん”が変わるってことやねん。今取ってる点は人間が取るもんちゃう!くらいに思えたときに点は勝手に上がるねん。」

 

みたいな話をして、その後いろいろ手を変え品を変え、中2の子がイメージし易いように、要は成績はエフィカシー次第なんだよと。。。


だから、、、


ここの塾では宿題少なくても、中3の夏休みから宿題ゼロでも、先輩たちはみんな先生が「受かる」って言ったところには受かるし、ブログで事前に予告しててもいけんねんで・・・みたいな話をしました。

 

#なお、通じたかどうかは不明な模様 微笑

 

 

結局中学生の子が「成績をあげる」だとか、高校生の子が「難関大に現役で進学する」だとかというのは、もし今現在その目指す水準にその子がいないとしたら、それはたいていの場合、一番変えなければいけないのは「勉強のやり方」や「塾・予備校」や「テキスト・参考書」などではなく、

 

 

 

生き様

 

 

 

 

です。

 

 

 

つまり生きる戒律・価値観・哲学・教義・常識全てを自分の理想の結果を出す人のそれに変えないといけません。

 

 

そこで、私の場合、これまで20年以上に渡って、各水準の受験生の生き様を、他者目線で客観的に見てきていて、ある生徒さんと接すれば、“どのグループに属するか?” が感覚的に分かるので、例えば、○大や○高に行きたい!と言っている生徒さんが、明らかにその○大や○高に受かった先輩たちと、その生き様にズレがある場合は、何とかしてそこをチューニングしないといけないわけです。


私の感覚では、授業というのは(もちろん授業外も含めてではありますが)言わばそのチューニング行為が一番の目的です。で、おまけで入試問題を解く為の話もパンパーンと教える・・・みたいな。


ちなみにもちろんチューニング必要ない子もいるのでそういう子はそういう子で、特に結果が出てないときなんかでも「ユー、受かるからそのままでオッケー牧場!」って伝えてあげられます。

 

#ジャニー&ガッツ



ただ、はっきり言ってしまうと、このチューニングは言わばその子の「宗旨替え」に近いものがあり、場合によっては阪神ファンを巨人ファンに変えるくらい程度にその難度は高いです。


#さて、その難度を測るために重本が行うこととは何でしょう?


 


先日、ツイッター上で、大学受験で2浪目に突入したという見ず知らずのアカウントの子が、5日前には「○○(2浪目に選んだ予備校)でこれから数ヶ月身を粉にして頑張るぞ!」みたいなことを呟いてるなと思ったら、2日前にはもう「なんか○○(通い出した予備校)は自分には合わないような気がしてきた・・」みたいなことを香ばしく呟いており、早くも3浪目確定演出絶賛発動中だったのですが、どこの子かは知りませんが、20年近く生きてきて、これまでいろんな塾の先生にも見てもらってきたであろうに、誰か1人くらい、せめて「性格変えろ!」って言ってあげなかったのかな??ってちょっと可哀想でした。R.I.P.

 

#いわゆる受験産業の○○

 

 

まずは誰の反応も無いようなところで呟くことがただの時間の無駄であることに気づけるセンスは要るんじゃね?と。

 

#重本がブログでこっそりネタにできたので呟きは全くの無駄にはならなかったが..

 

 

 

個人的に思ってるのは、一般に、大学受験生で、やる気の有無で言えば有る方で、予備校なんかにもマジメに通うのに成果が上がらない子って、その多くが有名講師の授業内容を過大評価&過大期待&過大依存しているところがあって、そうやって参考書までをも含めた“勉強手段”にばかり目を向けることで、肝心の自分の生き様への意識が薄くなっているような気がしています。

 

ちなみにこのブログなんかはそういう子に間違っても選ばれないように「○大対策」とか「◯ヶ月で偏差値が上がる勉強法」なんていうのは絶対書きません。笑

 

#本当は怖い重本先生

 

 

 

ちなみにエフィカシーという観点で生徒さんを見ていれば成績が上がろうが下がろうが常に泰然自若としていられるので、ご興味のある方は

 

 

 

 

をはじめとする苫米地先生の著作をオススメ致します。

 

 


 

本日は以上です。



#抹茶ドーナツ、マジ美味

 



 

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

【究永舎】

2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。

 

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究永舎 大阪 北摂 豊中市にある

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