おはようございます。

 

オッサンになったからか何なのか自分の寝言で起きることがある重本孝です。

 

ちなみに昨日の朝は「おお〜」言うて起きました。

客観的に見て我ながら普通にキモかったです。


# 41歳

 

 

生徒さんに受かってもらうためにこんなことを考えて現場でやってます。

 

私も大手に勤めていたような若い頃は

 

・カリキュラム

・教材

・いかに大量の宿題をやらせるか

・どんな授業にするか

・どうやってヤル気になってもらうか

 

・・・などなどこんなことを一生懸命考えてました。

 

 

しかしそれと並行して、毎年受験をやっていると、「この子数字的にはどう考えても厳しいけどなんか受かりそうな気がするな・・」や「この子数字だけ見たら受かるはずなんやけど、なんかイヤな予感するな・・」などと心の声がすることがあり、そしてそれがほぼほぼ当たることに対して、

 

「なんで俺は『なんかイケそう。』『なんかイヤな予感が。。』と感じたんだろう??」

 

と自分で自分に疑問を感じてきました。

 

そうしたことが積み重なるうちに、1つまた1つと「なんやかんやで受かる人にはこういう共通項があるのではないか?」、あるいは「なんやかんやで残念になってしまう人にはこういう共通項があるんじゃないか?」などと仮説ができあがります。

 

またそれと並行して「進学校に余裕で合格してその後ふつうの大学に行くことになる人の共通項は?」、「中学時代からは考えられないくらい飛躍して大学に進学する子の共通項は?」、「○○なタイプの生徒さんのお家の方の共通項は?」、「〇〇なタイプの保護者様のお子さんの共通項は?」などと、かなり細かくいろんなことが気になっていき、その都度個人的な仮説ができあがります。

 

そして毎年その精度を確認、ある仮説の範囲で拾えない事象が起これば、それはまた別のデータとして脳内に経験という名で保存し、また何年後かに同じ事例っぽい受験生が現れたら過去の記憶を呼び起こして仮説として自分の中で検証する・・・

 

かれこれそんな行為を20年くらい繰り返していく内に、いつしか、、、、結局講師が考える

 

・カリキュラム

・教材

・いかに大量の宿題をやらせるか

・どんな授業にするか

・どうやってヤル気になってもらうか

 

などはただの受験の小道具、下手したらただの時間の無駄程度にしか思えなくなりました。

 

ホントに今思うと大量の宿題とか非効率そのものです。なんで30くらいなるまで気づかなかったんだ、、、って話です。昔の生徒さんが読んだら地獄の断頭台どころじゃ済みません・・

 

#ごめん。

 

 

 

また、個人的には「勉強法」や「勉強計画」も全然重視していません。

 

特に、成績が悪い子に「勉強法」「勉強計画」なんて教えたところで意味はありません。

 

なぜなら実行しないからです。爆

 

問題はそこじゃないッス。

実行力が鼻毛な人に実行を求めても意味ないんです。



 

よく巷で「○○な人の思考法」・・・みたいなタイトルの本を見かけますが、大人の仕事・資産形成・健康・幸せなどと同じ、あるいはそれ以上に、受験もかなりその生徒さんのパーソナリティと結果には密接な関係があります。

 

 

例えば、1ヶ月ほど前、とある豊中高校の生徒さんが、自習の帰り際のビル下で、私に

 

高校生「先生・・・や、、やばいです。。。」

 

しげ「どうしたん?笑」

 

高校生「模試の英語の長文がヤバイくらいできなくて、ホントにとんでもない結果が返ってくると思います。。。先生は『○大行ける』って言って下さるんですけど、今回の結果見たら失望すると思います。。。。」

 

しげ「・・・○大合格おめでとう!」

 

高校生「いや、、、ホントにダメです、ダメです。。明日からもっと長文に時間割きます。。。」

 

 

みたいな普段の様子からでは珍しいくらい慌てていたのですが、結局先日その模試の結果が返ってきて、確かに英語は良くはなかったのですが、それでも豊中で学年100番以内には入っており、全科目でもトップ10をギリギリ逃す感じの成績でした。

 

 

結局こういった性格・・・というよりも、言葉のニュアンスとしてはその子が持つ「哲学」に成績結果は比例するので、宗教ではありませんが、その教義・ものの見方・感じ方など、いわば思考習慣を志望校に入れる人のそれ(コンフォートゾーンとエフィカシー)に調整しないといけないというのが私の考え方です。

 

 

割と多くの大人の方は、子供に何をさせるかばかり考える傾向にあるように思うのですが、結局行動を決めるのがその生徒さんの「哲学」である以上、当然の帰結として「哲学」を変えない限りは・・・“既定路線”です。

 

そしてその生徒さんの「哲学」が行動に表れるが故に、その生徒さんの現状の「哲学」を把握するために今度は行動をよく観て、どういう表現がどういう浸透スピード・堆積感で、その子を変えていくかということを日々感覚的に計算しながら接していく、、、というのが私の考え方です。

 

勇気を持って言えば、だから“他”からの影響は極力小さいのが理想です。

 

 

そうした現場での個人的で孤独な心理戦は目には見えず、自分しか分からないのですが、だからこそ自由だし、誰の目も気にせず自分の中でテーマを持っていろんな生徒さんにステルス的にアプローチできる興味深さがあります。

 

 

 

マニアックな話ですいません。

 

 

 

 

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

【究永舎】

2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。

 

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