おはようございます。
生徒さんたちは明日から学校があるのですが、大人の方々はお休みの方もおられるのでしょうか???
私はこの1週間99%の時間を室内に閉じ込もってますのでたぶん君島十和子さんの次くらいに紫外線はカットできてると思います。
#打倒
#鈴木その子
#小梅太夫
勉強する理由を説いてくる大人はすべからく無視でオッケー牧場。
昔からそこかしこで「子どもには勉強する理由を教えてあげないといけない。」とか「子どもに『なぜ勉強しないといけないの?』と聞かれたときの正しい返し方。」などの大喜利が“雨後タケ”状態です。
でもこれって不遜を承知で言えば個人的にはすごいおかしな話で、勉強するというのは髪を切るのと同じレベルで、人からそうするべき理由を説かれてするものではないです。
世の中には1年くらい散髪にいかない人もいれば私のように2週間に1回行く人もいます。
スキンヘッドの方なんかは毎日お家で剃っておられるでしょう。
要は切りたければ切ればいいし、切りたくなければ切らなければいい。
1年切らないことで損をすることもあれば、毎日剃ることでコワモテに見られて知らぬうちに損をしてるなんてこともあるでしょう。
さて、なら人はどうやって髪を切る(散髪屋さん/美容室さんに行く)頻度を決めているのでしょうか?
おそらくそれは「こうなりたい」と各自が思うからではないでしょうか。
私で言えば、やはりサイドの刈り上げ部分がネズミ色でなくなってきたらやや不安になります。おそらくみなさんもそうでしょう。
#なんでやねん
# まだなんとか話に付き合って下さい
勉強もそれと同じで、理由があってするというのは後付けで、先に「こうなりたい」があって、それを叶える手段として「じゃあ、これを勉強してこれくらいのレベルになろう!」の流れになると思います。
それはある人にとっては◯大に入りたいからであったり、またある人にとってはこういう生活をしたいからであったりするでしょう。
中高生くらいになるとどうしても成績面も自身の1つのアイデンティティの一部みたいになって気にする子は多いのですが、俗に言う「やる気出ね〜」の現象を深掘りすると、要は「こういう風になりたいな」や「こういう生活をしたいな」がイメージとして持てていないというのが全員に共通して言えるのではないかと思います。
先ほどの例えで言うなれば、散髪屋さんに行かない人というのは、要は「髪型はこういう感じで・・」のイメージ(欲求ともいう)がない人だと思います。
逆に私のように結構な頻度で行く人というのは、「最低でもここはこの長さで!」のイメージがはっきりある人であると言えます。
話を戻しましょう。
現場で見ていて、結局「勉強しない子」というのは「こうなりたいな」や「こういう生活がしたいな」のイメージが乏しいことが全てだと私は思います。
こんなことを書いてしまうと、お子さんがそうでない保護者様を不安にさせてしまうかもとは思うのですが、ぶっちゃけ中1や高1の頃から一貫して1つの学校に行きたいとはっきり公言できる子や、こういう仕事をしたいというのを明確に語れる子の合格率はめちゃくちゃ高いです。
やはり「思考は現実化する」の通りで「自分はこうなりたいし、何となくなれるんじゃないか・・」というのがある子が早いうちから勉強し、そして受かります。
これは自身の経験からも言えます。
私は高3の1999年7月28日万博球場第一試合でチームが破れるまでただただ「甲子園」だけが頭のイメージにありました。
ですから勉強なんて1ミリもしません。する理由がありません。大学のダの字も考えたことはないですし、むしろ海外なんかにも興味は無かったので英語なんかも1ミリも興味ありませんでした。
結局、仕事として高校野球の監督をやりたかった私は、その後、大教大以外でも教員免許は取れるということを地元の友だちから教えてもらって、「それならどっか入れてくれるとこ〜・・・」的な感じで、当時は今とは比べ物にならないくらいハードルが低かった近大に拾ってもらうことができました。
そしてその後の顛末は
で綴ってあるので、もしご興味お有りの方はまたお時間ある際にでものぞいてみて下さい。
・・・で、言いたいのはここからなんですけれども、なんやかんやで、20歳の頃に「とりあえず塾講師で行ってみよう!」と進路を踏み外z...、進路を変更した私は、その頃からとにかく、灘を目指すような中3生にも認めてもらえて、さらに、東大京大を目指すような受験生にも頼ってもらえる先生を目指そう!ということで、当時の、すでに自分の理想イメージを先に具現化しておられる先輩の授業見学などもさせて頂き、ひたすら「こうなりたい自分」だけを追いかけました。
そのモードに入ると、あら不思議、、、、あれだけ興味のなかった英語やその後は他の科目に至るまでむしろ“勉強したい”になるではありませんか・・
そしてさらには「自分で教室を持とう!」のイメージも持つと、今度は「こういう仕事をして、こういう生活するにはどうしたらいい?」と自ずとそれに関わることを調べたり学ぼうという流れになります。
#必須科目:「税金」
私ごときがホントに申し訳ないことを言わせて頂きますと・・・・、“「子どもには勉強する理由をちゃんと教えないと」ドグマ” に取り憑かれている大人というのは、ひょっとしたらこれまでの人生で「学びたいから学ぶ」を一度も体感したことがないんじゃないかって思います。
1つを深めていくのもありだし、複数を浅く広く学んでいくのもありで、全ては「なりたい自分」「したい生活」を少しでも実現させるためです。
イメージを持ててない人に、あまり頻繁にたずねると苦しめるだけなのでそんなことはしませんが、私が実は生徒さんに一番言いたいのは「勉強しよう!」ではありません。
「どうなりたいん?」
「どうしたいん?」
これに尽きます。
#答えられない人にこの質問はその人を追い込みます
勉強する理由・・
それは本来、そもそもの「自分はこうなりたい!」があって、その後付けで発生するものです。
ですから先に“勉強する理由”を一方的に子どもに説いてくる大人っていうのはそういう感覚がない人なのかもしれません。
食べたものしか排泄できないのと同様に、経験したことでないと言葉としては吐き出せません。
なので、勉強する理由を説いてくる大人はすべからく無視でオッケー牧場・・なのかもね、と。
将来的に、仕事って、どうやったらもっと喜んでもらえるか、どうやったらもっと楽しくなるか、どうやったらもっと売上アップするか、どうやったらもっと税金をy・・などなど、それらを本来考え、調べ、学び、仮説と実験を繰り返していく中で経験値とスキルを高め、それを次の顧客に活かしていく行為なのでホントに面白いです。
#どうやったら誤解を招けるか、なども爆
だから勉強自体は永遠に続けられるし、いつ始めても、いつ止めてもよいものだと思います。
究永舎生には日々自分の人生のキャンバスにどんな絵を描くかについて思索を深めて欲しいです。
もちろんそれは決して誰かの“絵”と比べることなく、自分が一番の批評家になって。
いつも以上に長くなってごめんなさい。
良い休日を!
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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