おはようございます。

 

交友関係の狭さ偏差値200を越えると言われて久しいのですが、冷静に考えるとこの2年間でプライベートで卒業生以外で一緒に食事したのが究永舎の初代理系講師の光博くんだけ・・ということに気づいた重本孝ことただの陸の孤島です。

 

そんな私がなんと昨日はいつもの豊高近くのフレンチ

 

ラ・メゾンブランシュさん

 

に・・・・・・・・結局、光博くんと行ってきました。爆

 

 

#ヒント: 平日の昼間

#個人塾万歳

 

 

 

そんな光博氏と話すといっても、結局お互い仕事や自分の教室が好き過ぎるので9割方は授業や受験、教室運営の話であったり、3児の父である彼に私が親としての心理をたずねたりという・・・・字面にすると「真面目か!」な感じなのですが、これって結局、猛虎会の人たちが阪神タイガースの話をする、クラスのゲーム好きのチーム陰キャ帝国の男子たちがゲームの話で盛り上がるのとなんら変わらないレベルだと思ってます。

 

#病名:個人塾講師

 

今日はそのときに考えたことや、また別のタイミングで最近考えたりしたことをあてもなくただつらつらと書いていきます。

 

なんかこんなことを自分は思ったりするんですが、もし読者様の中でもひっかかるトピックがあれば、それに対してみなさんはどう思われますか?的な・・・

 

あと実は、、、、

 

初めに申し上げておくと、対生徒さんについて途中厳しい話も出てくるのですが、ここのコンセンサス(同意)を得てないと、今後校内生の方と、どこかで無駄に齟齬が生じてもよくないな、と思い書かせて頂きました。

 

 

 

教室とか受験とかあまり関係なく最近思考にひっかかったいくつかのこと。

 

 

①幸福感は「人生を自分でコントロールしている」という感覚の強さに比例する。

 

個人的にはこんなドンピシャな幸福感に出会ったのはだいぶ久しぶりなのかなと。

 

光博くんも首モゲるんちゃうかいうくらいうなずいてました。うなずきながらパンお代わりしてました。

 

生徒さんには、「いい学校」に入るためではなく、自由を手に入れるためにお互い頑張ろうよ!って感じです。

 

#超抽象的・・

 

 

 

②学校は自分の強みと弱みを把握するために行く場所。

 

かの有名な少年革命家こと“ゆたぼんくん”に対して、彼の言動態度とかとは関係なく、なんか違和感を感じていたのですが、その違和感の正体がなんなのか自分でもよく分かっていませんでした。

 

なぜなら私も「学校なんて嫌なら行かなくてよいのでは?」派だからです。

 

ただ上記の言葉を耳にして、「なるほどソレやな。」と思いました。

 

違う言い方をすれば「学校とは自分がどんなヤツかを把握するために行く場所」なのだと。

 

基本、努力というのは自分の強みと弱みが把握できてはじめて正しく取り組めるものです。

 

ですから「これでいいですか系」や「何したらいいですか系」の受験生というのはその時点で黄色かすでに赤信号だなと思います。

 

自分の弱さをとらえられるのが客観性であり、メンタルの強さであって、やっぱりそこの課題を受験や部活(人によっては恋愛やバイトなど)を通して磨いていく意識は何歳になっても大事だなと考えています。「自分、、、、これで大丈夫か???」みたいな感覚です。

 

 

話はやや逸れますが・・・

 

上記の理由から、あまりに低学年の頃から、同じ塾→同じ学校→同じ塾→同じ学校(ついでに学校や塾の先生も同じ路線を歩んだ大人)路線というのは1人の人間の可能性を狭める危険性もあることを考慮には入れるべきなんじゃないかとちょっと思わないこともないのかなと。。。

 

 

③学力テストは誰でも受けられるが、その後学生生活が終わって1回就職してしまえばテストではなくチャンスを活かせるか否かになり、そのチャンスの数はぶっちゃけその人間の能力というより、“信用残高”に依存することが圧倒的に多い。

 

私の未熟さ故に、昨日の高2の授業で繰り返し遅刻し、しかも毎回呑気に歩いて来て「遅れてすいません」の一言すら発することができない子(わざわざこっちから「いい加減なんか言うことないんかい!」と言ったら「お茶買ってました。」と言い出した。白目)に耐えきれず、正直に告白致しますと、あろうことか授業中(冒頭)に怒ってしまいました。

 

#もちろん怒鳴るとかそんなんじゃないです

#しょせんまだこのレベルの講師です

 

 

こういう子たちに共通するのは、叱られるのがある種の“スタート地点”だと勘違いしてしまっていることです。

 

大人の職場とかにも結構いるタイプです。

 

確かに叱られてから挽回して・・・みたいなパターンもないこともないと思うのですが、一般的にその挽回っていうのは私はかなり難しいと思っています。

 

社員を雇っていた時にも特にこの点が上手く伝えられませんでした。

 

生徒さん・保護者様からの信頼って失ったら回復なんてないよ、と。

 

#塾なんていくらでもある

 

 

本質的には叱られるというのはよっぽど緩い上司、先生でなければ“スタート地点”というよりも、それはもはやすでに言わせてしまっている段階で、“ラストパス”あるいは“サヨウナラ”に近い場合がほとんどだと私は思っていて、少なくとも叱られる側は強くそう思っておかないといけないと思います。

 

なぜなら、例えば塾などで頻繁に“遅刻”や“宿題をまともにやらない”レベルなどというのは、もはやその時点で相当鈍感な方で、注意される・叱られるに至るまでに実はその子(シンプルに鈍感)の知らない間に“イエローカード”が5、6枚溜まっている場合が圧倒的に多いからです。

 

ふつうはなかなか1発目から「コラっ!」とはなりません。

 

仮にも「先生稼業」をやっていて、いやいや・・だから1発目にキツく言わないと!などというのは個人的には正直ド素人に近い発想だと思います。(生徒がその子だけだったらそれでもいいと思いますが)

 

個人的には塾とはサービス業で、広義にはスタバと同じなので、その次元の注意に授業の内外問わず1秒でも時間を割かれるというのは、部員全員が普通にキャッチボールができる野球部で、1人だけキャッチボールから指導させられるようなものなので、他のメンバーに悪いし、それは皆さんから同じように費用を頂いている身としては信用問題にも関わる話です。

 

補習塾サービスを自認する教室ならまだ仕方のない面もありますが、実際現場で究永舎にお越し下さっている生徒さんを見ると、やはりそのレベルの注意を私がするに至るまでさせてしまう生徒さんというのはちょっと、、、違くね?と。

 

ていうか周りがめちゃくちゃちゃんとする生徒さんばかりなので、たいていの子はその内「ヤヴェ..」って気づいてくれるんですが、たまにむちゃ鈍感な子っているんですよ。泣


#鈍感 = 男子

#怖い先生嫌いなんで言わせないで!


昨日その教室に居合わせた生徒さんたちには、サービス提供者として心より申し訳なく思っています。

 

また、書きながら、改めて究永舎の生徒さんには「みんなちゃんとしてくれるな〜...(涙)」と思いますし、そういった生徒さんを担当させて頂いているからこそ、受験の結果は世間にキチンとお伝えしないといけないなとも思います。(もちろん毎回同じ伝え方で)

 

 

話は逸れましたが、「失敗の挽回チャンスはまたあると勝手に立場も弁えずに自分で決定する」は誰でも受けられる模試や、誰もが選べる浪人がシステムとして確立されている受験に足をツッコミ過ぎた人が、システムが異なる一般社会に出た後でも、やらかしがちな間違いの1つだと思います。

 

チャンスはそこらに転がってるものでも自分でつかむものでもなく、世間・他人に認められて初めて与えられるものだという認識の方がいいかもしれません。

 

だから「能力や自分の権利を発揮する」の手前の、“最低限のドレスコード”の段階で“出禁”を喰らわないようにしないといけませんし、その可能性についても常々「自分は大丈夫」なんて思わない方がいいです。

 

 

 

塾生にもよく言いますが「常に臆病であれ」です。

 

#“ビビり”こそ至高

 

 

 

・・・・こんな髪型して言うのもなんなのですが。

 

 

 

最後は朝からこんな話して申し訳ございませんでした。

 

 

 

でも自分のことは毎回棚に上げつつも、①〜③ともに、正直なことは書けたかな、、という感じです。

 

 

 

 

ではまた。

 

 

 

 

【究永舎】

2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。

 

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究永舎 大阪 北摂 豊中市にある

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