おはようございます。
昨日、4年前に卒業した子から4年ぶりに(電話で)連絡がありまして・・
シゲ「おおおおお!!!!!!!めっちゃ久しぶりやーーーーんーーーーー!!!!!!どうしたん???」
卒業生「春から社会人になるんで、その〜・・節目なのでご挨拶をと。。」
シゲ「こんなたかだか塾のオッチャンにめっちゃ律儀やん。。うう・・(涙)」
シゲ「いや〜もう・・社会人か・・・。で、何するん?」
卒業生「豊中で小学校の先生します。」
シゲ「!!!!!!???????????(そういや・・やりたい言うてたな・・)」
結局後日教室に来てくれることになったんですが、いやはやその子は中2の頭くらいから5年くらい通ってくれたんですけれども、その子が大学4年通ってもうこの春から小学校の先生ですか・・・。
要は初めて出会ったのが9年前ですよね。。
いや〜・・30代は「人」で死に過ぎてて記憶ないんですわ・・・爆
#オレ、ホントに30歳〜39歳あった?
#とりあえず『兎の眼』はいらん言うても渡す
他の社会人のみんなも頑張ろな〜
どんな勉強法か?ではなく、どんな人間か?が難関大学合格へのカギ 〜みんなこの動画を見ておこう〜
昨日は初めて新高1の授業だったのですが、初めて集まったメンバーにしては雰囲気は良かったなと思いました。
体験授業の外部性の子たちもすでに、今日以前もそうですし、今日の授業前後にも誰かしら自習室にこもって勉強されており、わりと大学受験に挑む学年としての空気の醸成は早めに為されるのではないかと思いました。
そんな高1もそうですし、他の学年もそうなのですが、とかく受験でも仕事でもサクセスするのに大事なのは「どういう人間か?」というところだと私は思います。
上記のクリリンさんの動画は他にもそうした「どういう人間であれば受験でサクセスするか?」というヒントが目白押しです。
というか現役の京大医学部生の学生さん(しかも公立高校から!!!!)が、自分の受験体験談を語ってくれている話をこれだけ聞けるなんて、本当に一昔前では考えられない時代になりました。
とにかく塾生諸氏には受験界のこうした超1流の人の忖度のない思考哲学をよく聞いておいて欲しいと思います。
ちょっとここで教室の話になりますし、もうすでに教室ではよく喋ってる内容ではあるのですが、今年の受験生の中でも、京大に受かった女の子と、豊中高校に受かった女の子(英検なし)は、受かった今だから言えるのですが、実はそれぞれ共通テストの失敗具合や、公立高校受験の過去問ランキングの数字だけを見れば、本来、合否以前にそもそもの出願すらためらわれるレベルでありました。
#あの共通テストはアカンて...
ただ彼女たちの努力を知っている身としては、「安全にいこうよ。。」どころか、むしろ「なんとかして受けさせてあげたい」という思考回路になっておりました。(ちなみに当のご本人たちは何があっても受ける!という感じでした)
正直、あの努力を見たら身につけた力を全部発揮せずに終わらせる方が落ちる以上に可哀想だと思いました。
とにかくすごかった・・
2月頃、そんな2人をそれぞれの自習部屋で眺めながらしょっちゅう私が思っていたのは
「数字的には相当厳しいというのは理解できるけど、この取り組みで落ちるってあんのかな〜・・。オレの知ってる範囲ではこの取り組みで落ちた人はいないよな・・・。でも、これで2人それぞれが落ちたりしたら、講師としてホントに『これだけやっても落ちるときは落ちるんや・・・』という初めての体験になるな〜・・」
みたいなことで、どこか客観的な捉え方をしていたと思います。
で、結果はやはり合格。
報告を受けたときは、事前の数字的なものを知ってる自分としては本来驚くはずなのですが、頭の中では「やっぱこの子は受かるんやな・・」という、自分に対して「いや、お前、もっと驚けよ!」みたいな不思議な感覚でした。
自分の限界(未知の領域)に挑むというのは人生の楽しみ方の一つで、みんなの空気感に合わせて既知の領域からハミ出ないという高校生活はいろいろやっているようで「結局3年間何やってたんだろう・・」状態になり兼ねません。
自分は高校生の頃にコレに全てを賭けた!みたいなのも結構イイですよ!
大学受験において、“過剰は正義”です。
#生まれ変わったらチャラい高校生をやりたい
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
ご興味のある方はコチラ。
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