アビデフォ、ユー、ユー、ユー♪
#熱闘甲子園
今日は究永舎という塾が目指しているものという、やや青臭いテーマでお話させて頂きます。
責任者が追いかける理想の教室像の話です。
※ホントに申し訳ないんですが野球に1ミッッッッリも興味ない方は話がガースーの話並みに全然入ってこないかと・・・(スイマセン)
個人的な理想の塾のイメージは“智弁和歌山野球部”
まずこの記事を書く際、もっと多くの人に分かりやすいイメージ、共感像はないかと一応考えたのですが、、、、やはり私の中で理想の教室としてイメージするものに完璧に合致する要件を備えたのはどう考えても智弁和歌山の野球部なので、「お前、また野球かよ・・・」とほとほと呆れられることも分かりつつも智弁和歌山野球部について述べさせて下さい。
まず、そもそも野球が好きな方はもちろんのこと、野球に詳しく無い方でも「智弁和歌山=野球の強豪校」のイメージはある方が多いのではないかと思います。(受験関係者の方なら和歌山の進学校のイメージもあるでしょう)
ただ、そのような野球強豪校はかつてのPLや現在の大阪桐蔭のようにたくさんある中でなぜ智弁和歌山なのか?というところが今回のポイントとなります。
#マジ、野球の話入ってこない!って方も頑張って頂ければ・・・
ポイント①
1学年10人しか取らない(現在は12人)
これは確実に言えるかと思うのですが、同じ指導者が教えるのであれば確実に人数は少ない方がいいです。
例えば野球の場合、打つ練習をするにしても、部員が10人いる場合と30人いる場合であれば単純に前者の方が同じ時間なら3倍打てますし、後者の野球部の場合、自分がレギュラーから漏れた場合は、レギュラーばかりが練習して補欠は練習時間が取れません。
私は典型的な後者の補欠組で、連日外野で永遠にレギュラー組が飛ばしてきた打球の球拾いをしながら、この時間を自分の練習時間に当てられれば下手は下手なりにいけるところまで行けるのにと3兆回くらい思ってました。
#どう考えても集団に馴染めない男です
近年、大阪桐蔭や履正社が格段に強くなっていますが、これも私が思うに、いずれの野球部も2000年代以降、部員の入部制限を行ったことが指導者の方や選手のみなさんの並ならぬ努力プラスアルファの非常に大きなポイントの1つになっていると思います。
私の高校は当時(1997~1999)履正社とよく練習試合を行っておりましたが、当時の履正社は監督は今の岡田先生であったものの、まず専用球場がなく(だから毎回向こうが来てくれていた)、そして何よりも部員が今と比べ物にならないくらい多かったです。(それでも1997夏に甲子園初出場!!)
欧米のスポーツ選手などは日本の部活を見て、「なんでこんなに補欠が多いんだ!!」とびっくりされると聞いたことがあるのですが、ホントそれで、私の野球部&大手塾勤務の経験から言っても大集団に属すのなら自分がレギュラー格の扱いを受けられる立場にない限り十二分な成長は難しいと思います。
以上より、現在は中学生が1クラス10名前後、高校生で1学年20名弱くらいがちょうどいい(給料も大手勤務より十分とった上で経営も十分成り立つ)な〜と思っております。
実際、ここ数日は連日高3(今のペースでよい!とは言えない子)と河合の全統の結果が出たのを本人に言い逃れさせない論拠として今後の戦略&戦術を話しています。(大学受験はホンっっっっっっマにここは死ぬほど大事ッス!)
君は空軍として戦うんだよね・・・みたいな子がホフク前進の練習を必死にしているみたいな悲劇って世間ではよく起こってるみたいなんで・・・
ポイント②
レギュラーはほぼ地元の選手(県外からは2名)
※私が高校生だった1997~1999頃の話です
これも智弁和歌山のヤヴェーところで、私が高校生の頃は智弁和歌山は地元の中学の軟式野球部出身の選手も珍しくなく、確か大阪からは1人(2人だったか??)だけ取るみたいな方針でやっていて、和歌山のシニアやボーイズ(外部野球チーム)の有力な選手ってほぼPLや他の強豪校に取られていたと思います。
高嶋元監督もYouTubeの番組で笑いながら「たまに西川遥輝(日本ハムのスター選手)のような選手が間違って入ってくることがある程度(苦笑)」と仰っていたように、基本、中学時代はほぼ無名の地元の和歌山の選手を叩き上げてチームを作られます。
で、それで1997年、2000年なんかではサクッと夏に全国制覇すると。
個人塾なんかも基本地元中学のトップ層なんかはみんな大手に行く(究永舎にもなぜかちょいちょい“西川遥輝”が入ってくるのですが・・)ので、私なぞは智弁和歌山、並びに高嶋元監督の姿からはすごいインスパイアされるものがあります。
ポイント③
アホみたいな練習量
野球好きな塾の先生見てみて下さい。
もう笑うしかないです。。。。
私も前回のお休みが3月14日で次回のお休みが3月13日ですけれども、、、、このお話聞いたら自分のショボさに辟易します。。
こういうユーチューブでの話って盛られることが多いですけど、動画のコメント欄にもありますが、私自身が智弁和歌山出身の人から聞いた話の印象のだいたいその通りですw
ブログでもよくチラ見せするように、究永舎の生徒さんも毎年アホみたいに自習されます。
中3の子たちもよくこの盆の1週間休みや、年末年始の休みなど「そこはゆっくり休んでエエで!」言うてるのに、今週も連日、そして今日も雨降り荒ぶ中、朝っぱらから自習室入って晩の22時過ぎまで自習されています。
究永舎ってチラシとかHPには生徒さんが何人いてどこに何人受かったというのは載せますが、(特に個人塾などに)有りがちなそれぞれの生徒さんの成績がこれだけ伸びました!みたいなのってほぼないじゃないですか。
それって理由は単純で、不遜を承知で言わせて頂きますと、そういうのを安易に連発しちゃうと「安易な発想の人」(典型的な養分発想の人)が今度は残念な意味で間違って来ちゃったりするからなんですね。
究永舎の場合、最近ではもはやそういう人は皆無なので、もし私が判断を間違って入塾して頂いても他の生徒さんの空気感になじまないですし、何よりもそもそも志望校合格のその裏にあるのは、このブログで垣間見て頂く絶望的なまでの泥臭い努力なので、今まで自分の本質的な弱点(死ぬほど怠惰で粘りがない)から、世話焼きの親や塾の先生という大人の手によって目を背けてもらってきたタイプのお子さんによっては下手したら努力できない自分がツライだけになっちゃうんですね・・・
ですのでこちらのブログなんかも読まれて、「ウチの子もそういう受験生になって欲しい」「そういう先輩たちの姿を目に焼き付けてほしい」という方にはすごいイイと思うのですが、残念ながら以前のブログにも書きましたように、少なくとも生徒さんの“怠惰”を“先生が再テストやなんやで埋め合わせる発想”は私には1ミリもありません。
#昔それ死ぬほどやってたんで
#はっきり言います
#マジで無駄ッス
ポイント④
やたら土俵際に強い
個人的には智辯の選手で印象的なのが“顔つきの強さ”なんですね。
先述のような部員集めの理由もあり、ぶっち切りのドラフト1位候補みたいな選手は例年いないチームですが、和歌山県予選においては決勝で負けたことは1度しかないとか、いざ甲子園に出た際の全員が一致団結して豪打で相手ピッチャーに襲いかかる様子は圧巻で、特に2000年のPL戦や柳川戦、2006年の帝京戦などは、そもそも相手がめちゃくちゃ強いにも関わらず、そこへ集団で襲いかかる様は、もはや相手チームに同情を禁じ得ないレベルです。。。
受験でもそうで、いい学年、顔つきの強い(顔が怖いとかそういうのとは違って笑)受験生って本番に近づく、つまり追い込まれたタイミングでグググググググググーーーーーーーーーーーーーーって来るんですね。
#私に「見えてきた!」と言わせてくれる
#結局根底にあるのは絶望的な努力
元々は高校野球の監督になりたかった私ですが気づけば塾の先生に・・・(あれあれあれ????)
それでもやはり智弁和歌山のようなチームは個人塾の1つの学年という切り口で見たときにとても理想的だな〜、と今でも思っています。
毎年2月頃は生徒さんが帰ったあと、深夜の自習室を掃除しながらアフリカンシンフォニーやジョックロックを教室中に響かせています。
#もはや「高校野球」という病気
ではまた。
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春から開講の中2講座
現在2名の生徒さんに
ご利用頂いております。
豊中7中 女子1名
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高校受験を通じて、大学受験生として必要な資質を磨き上げる講座です。
私、重本孝が責任を持って担当させて頂きます。
好きなだけできる体験授業ご希望の方は以下のHPの「お問い合わせ」よりご連絡頂きたく思います。
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【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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究永舎 大阪 北摂 豊中市にある高校受験・大学受験で連勝を目指す教室