文脈は分からないのですが、目の前で信号待ちをしていた不動産屋さん風のややイカつめのオッチャンが「マッチで〜す」とある意味旬なネタをつぶやいたのに対し、部下とおぼしき男の子と女の子が対応に苦慮しているのを目撃して、ギンギラギンにさりげなく一生笑ってる今日この頃です。
#アゲッチュベイビー、アニージュベイビー、アオンチュベイビー、ライオン!
それはさておき、このブログの読者様にとられては死ぬほどどうでもいい話題かと思うのですが、この面談期間中にback numberの『水平線』という曲を耳にし、シンプルに、かつ地味に泣きました。
初めて聴いた瞬間からむちゃむちゃいい曲や!と思いました。
ただ。
むちゃむちゃいい曲や!と思ったのですが、何回か聴いてもイマイチ何を言わんとする歌なのかが分かってきません。
高嶺の花子さん、世田谷ラブストリー、わたがし・・・的な「あれ?オレこんな曲いつ作詞したんだっけ?」みたいな具体性の高い(また、男子の変態性を静か〜〜に炙り出した)歌とは違って、この『水平線』は何回聞いてもどういう歌なのかがとにかくピンとこないのです。
昼間はそのことを特別気にすることもなく、授業準備などに取り掛かったのですが、その日の授業後、生徒さんが全員帰ったあと、コンビニで買ってきたレッドブル片手に一息つきながら「そういや(昼間の)あの歌ってそもそもいつリリースされたんだろう??」とYouTubeの概要欄で調べると、作詞作曲された依与吏さんのコメントががっつり書いてあるではありませんか!?
・・・で、それを読んだ上で改めてPVをじっくり見ながらこの歌を聴いたそのとき、世界涙もろい選手権で毎回徳光和夫さんと金メダルを争う私にとって涙は不可避でした。
詳細はまた改めてYouTubeの概要欄をご覧頂くとして、ここでは簡単に曲制作の趣旨を書いておくと、このコロナ下で大切なものを奪われた学生さんに向けて書かれた歌だということです。
前にも書きましたが、私はとかくピュアで美しいと感じるものに弱いです。
ストレス、下心、利己心、欲・・・こういったものが一切漂わない、何のためらいもなく心が受け入れちゃうものです。
世の中にはそんなピュアで美しいものはたくさんありますが、中でも人への「思いやり」というのはトップレベルに美しく、またそもそも生命がここまで生き延びてこられた遠因でもあると私は思います。
そんな「思いやり」にはいろいろな形があって、大人が自分より年下の人に対しては、どんな言葉を掛けて、どんなことをしてあげるかを考えるのも良いのですが、個人的には
どんな距離感を保ってあげるか?
が一番大事だと感じています。
昔、重松清さんの小説の中で、登場人物の夫婦間の会話で、お父さんが、娘を心配するお母さんに「あの歳頃(中学生)の子は心配されること自体が嫌な歳頃だから、そっとしておこう。」と諭す場面があって、その1行に衝撃を受けた記憶があるのですが、それはその後、自分自身を省みる際の1つの大きな視点となってくれております。
そんな風に日頃から思っている私からすればこの『水平線』という歌はむちゃくちゃ優しい歌で、決して若者に近づいて強く励ますでもなく、また年配にありがちな「そうするのが一番!」と言わんばかりの具体性の高い示唆(してるつもり)がプンプン臭ってくる歌でもなく、でも、かと言って理解のある大人です風(端的に言えば無関心)のズルいポジション確保がベースとなった外見だけ生暖かい視線を向けるでもない、なんとかギリギリ依与吏さんご自身はこういうことを言いたいんじゃないか?ってことが聴いてる側に伝わってくる歌(若者に対して慎重にその距離感を維持している歌)に私は感じました。
#こういうときにヘボ過ぎる文章でしか表現できない自分を恨む。
#歌の解釈をのたまわる人になってごめんなさい。
1番のサビが
水平線が光る朝に
あなたの希望が崩れ落ちて
風に飛ばされる欠片に
誰かが綺麗と呟いてる
悲しい声で歌いながら
いつしか海に流れ着いて 光って
あなたはそれを見るでしょう
また2番では
透き通るほど淡い夜に
あなたの夢がひとつ叶って
歓声と拍手の中に
誰かの悲鳴が隠れている
耐える理由を探しながら
いくつも答えを抱えながら 悩んで
あなたは自分を知るでしょう
誰かが綺麗と呟いてる
誰かの悲鳴が隠れている
の箇所に依与吏さんが言いたいことが込められてるんじゃないかと思うし、何よりいずれのサビも
あなたそれを見るでしょう
あなた自分を知るでしょう
と未来志向(これからにそっと賭けている)なのがめちゃくちゃ素敵です。
多くの大人は子どもの未来を考えていると言いますが、その実そういった大人の視点自体は今だけをとらえ、子どもの今後の無数の変数を無視しているケースが多いのではないでしょうか。
要は今の子どもを見て、「これが続く」と断じているというか・・・
私が受験講師をやりながら幾多の失敗と後悔を重ねてつくづくと感じるのは、子どもに対しては、いったんは確かに見えている今後の展開が、いつか変わる可能性に賭け、それを信じるしかない、信じざるを得ないということです。
なにより大人それ自体もどうしようもなく不完全なものですし・・・
そして、その“信じる”という部分が不十分でないときというのは少なくとも大人から近づいて何か自分の影響を与えようとしちゃいけないというのを身を持って(・・・。)痛感しています。
水平線、という言葉は否応なしに人の視線を前に向かせる何かがあるし、また、今見えている範囲(物理的にもほんの数キロ先)の向こう側を予感させる何かがあります。
本曲のPVの最後、それまで突然の雨に打たれ、ふらふらと歩きながら全てを捨て去った女の子が1人で浜辺にたどりつき、下を向き、泣き叫んで感情を爆発させるところで歌は終わるのですが、視聴者はそこで油断せずによくよく見てみると、最後の最後(4:45あたりから)、引きの画角で女の子がはじめて前(水平線)を向いている様子が見て取れます。。。
ミスチルの桜井さんが仰るように、本来、歌というのは星座のようなもので、リスナーがそれぞれに自分の想いを重ねて曲を聴いて、それぞれの受け取り方をするもので、個人的な解釈、特に私のような特別音楽への造詣もないキャラがのたまわるのは、それこそ美しい所作ではないのですが、今日は勝手にこの場で甘えさせてもらいました。
特に人の解釈に邪魔されたくない派の方には申し訳ない回となったことにはお詫び申し上げます。
ホント、プロってすごい・・・
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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