先ほど麺哲さんで店内のラジオからながれてきた山口百恵さんの『秋桜』を聴きながら私の娘もいつかこういう時期がくるのだろうと想いを馳せていた今日この頃です。
#NO WIFE NO DAUGHTER
さて、今日はまずこちらのニュースです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fd6a9892845f72b7339a489f7c03869ca2e4150f
この女性は困り果てた末に道を誤りましたが(最悪の誤りではありませんでしたが)、自分が同じ立場(生まれ)なら真っ当に人生を歩めたか・・・と考えると自信をもって答えるのは私は難しいです。
一方、たぶんお金には困ってないんじゃないかと思われる同志社の学生が給付金詐欺で検挙されているという・・・
これ、どっちもホンマに切ないんですよね。。。
前者はまともな教育環境がなかったが故に・・・、とどうしても思ってしまうし、後者はまともな教育環境があったと思われるのに・・・、と思わざるを得ないですし。
ていうかそもそも教育って何かね?っていう話で、受験勉強がその人間の品格やモラルを育成、伸長し、また、卑しさみたいなものを更生しないことは各種おエライさんや受験講師たちブログやSNSを見れば明らかです。(え?)
記事の中でこの女性は
「私は(福祉に頼るのは)健康だし恥ずかしい。」
と述べていたとのことですが、一方の大学生は羞恥心も何もないという感じで、君らは難関大に通わせてもらっておきながら、まるで実績誤魔化しまくりボンバーの進学塾の先生たちか?と言いたくなるくらい恥を恥とも思わぬてい、、、って感じです。
#卑しい
ダサいのは私も得意ですが、卑しさみたいなところのせいで自分に胸張れないのはちょっと嫌やな〜・・・と思います。
39まで不自由なく過ごさせてもらうと、自分の運に感謝せざるを得ないし、一人勝ち(自分だけ得する)みたいなのもよくなくて、自分のもってるもので、人の幸せや勝利みたいなのに貢献してこそ生きてる楽しさがあると感じます。まだまだたいしたことできてないけど。
また、やや話は変わりますが、やはりシンプルに知識って大事で、今回のニュースのこの女性も(ニュース記事を読む範囲から推察するに)もう少しまともに教育を受けられていたら、福祉というものに対しても恥ずかしがることなく受けられていたのではないかとその点が個人的には一番残念です。
#1ヶ月の休みを決定後、事業化給付金申し込み開始と同時に申請し1週間後には150万を何の臆面もなく受け取った男
まあ、変な話、詐欺った学生は、ある意味では皮肉な話で教育があったからこそ、詐欺のスキームを実行できたとも思えるわけで、そんなこんなをボンヤリ考えていると、やっぱり「教育って何かね?」と思わざるを得ませんな〜、ちょっと思いました。
私に何ができるってワケじゃないですけど。
自分が大学生の頃、ミスチルの『優しい歌』がリリースされました。
歌い出しがこうです。
誰かが救いの手を君に差し出してる
だけど今はそれに気づけずにいるんだろう
この歌が流れていた当時、私に塾講師としてのまともなスキルなんて何1つなくて、毎日当時の生徒さんと私を雇っている会社には「申し訳ないな〜・・」と思うと同時に、そんな自分が本当に情けなかったです。
ただ当時、この歌の自分なりの解釈として、「救いの手を差し出してる」のは「未来の生徒」だととらえて、なんとか将来人の役に立てる先生になろう、その存在を必要とされる先生になろうという気持ちで、将来のアウトプットを前提として日々様々なことをインプットしてきました。
日記にも毎日そんなことばかり書いてなんとか自分の精神状態を支えてました。笑
あれから20年近く経って、いまだにこの好きな仕事ができているのは本当にありがたいことだし、塾生・卒業生諸氏にも10年後、20年後の“誰か”が救いの手を君に差し出してる、と私は思うので、受験の前後に関わらずアウトプット前提のインプットを机上・机上外関わらず継続した方が人生楽しくなると思います。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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