こんちくは。
連日朝から晩まで鬼のように勉強する生徒さんを尻目に、もはやその存在意義を失いつつあるシゲちゃんです。
#オレいる?
さてもさても美味い酒・・ならぬ、本日は思ひ出ぽろぽろ回です。
#オマエとは握手してやんねーよ
ブログ繋がりで知り合った他塾の先生とのやりとりで話題になったのでそのまま今日のブログネタにさせて頂きます。
私は過去10年間ほど、理系講師を探すために毎年100〜200万を突っ込んでいた過去があり、結果、それはそれは相当な“勉強代”となったわけですが、その過程で良かったことのうちの1つに、関西を中心に、様々な大手塾や個人塾の先生方とお話しする機会や学力試験や模擬授業などを通じて、その水準を垣間見ることができたというのがあります。
また、各塾の勤務形態やモラル水準を耳にして自分の元の勤務先がいかに恵まれた環境であったかも実感しました。笑
で、これから書くことは読む人が読めば異論を唱えたい内容かもしれませんが、前述のプロセスで一番成績が良かったのが、都会の激戦区地域の売れてる個人塾(1教室100人弱〜2、3教室数百人規模)で働いていた先生方です。(模擬授業は緊張すると思って録画していませんが、筆記試験の方は全て残してあります)
その最たる例がゴリさんだったりします。(知らない人ごめんなさい)
逆にぶっちぎりでセームシュルトのボディで全砕け状態の順でいけば、、、
勤務先の個人塾が閉校になる(または近所に馬渕進出以降サッパリ生徒さんが来なくなった)ため、次の勤務先をということでやってきた先生
大手でクビを切られた、あるいは居心地が悪くなった(会社の勤務体系に愚痴る)先生
中堅校受験の生徒さんをターゲットとした塾でしか勤務したことのない先生
学校の先生
・・・でした。
今後人材採用する気はないので、明確に記すと、当時は高校受験の先生には大阪府公立高校2012年の前期B問題(円周角の定理の逆使うやつ)をやってもらってました。
これは120点満点で、過去最高がゴリさんの111点。これは究永舎生の子が北野で聞いてくれた範囲では数学で一番点をとっていた子と同じ得点です。
過去最低は大手塾と個人塾の先生で27点。
ちなみに私の知る範囲では、その後茨木や豊中から現役で阪大や神大に受かった子でも中3の受験当時40点前後で受かった子もいるので、まぁ、2017年C問題と並んで受験生にとっては鬼回だったのは間違いないと思います。
実際事前の面談で「これまで通算で北野に○名受からせた!」とイキリマクリスティだった先生方も軒並み50〜70点前後で、試験後にみんな「す、す、すいません、ちょ、ちょっとお腹が・・・」ということを皆さん仰ってたので、不運な面もあったのかもしれません。(「・・・。」)
ただ中でもとりわけ度肝を抜かれたのが、究永舎の近所の塾の高校数学の先生で、東進のセンター本番レベル模試をやってもらったところ、まずセンターの問題が選択制だということを分かっていなかったのと、結果60点弱程度というのにはびっくりしました。(しかもコイツは究永舎の卒業生で桜塚からそこの塾に通っていた2人を「数学センスは全く無くて伸びなかった」などと事前にディスっていた)
#勤務先の面白い話をいっぱい教えてくれたのは良かったけど
まぁ、それでもここまで散々書いてきても、私のバイト講師時代をダメな意味で凌ぐ人はいませんでした・・・、ええ・・・・(遠い目
#詳しくは究永舎開校までの話
これらの話はあくまで究永舎に関心を持って下さった200人弱程度のいろんな地域の先生方に関して私が体験した事実だけに基づく話であることはご留意下さいませ。
ここまで読まれた方はもはやこの記事のタイトルはお忘れかと思いますが、実際私が大手塾勤務で一番嫌・・、というか恐れていたのはこのように会社の看板頼みで過ごすうちに自分の力量を見誤ってしまうことでした。
確かに社員になって以降、大手塾勤務当時は灘、甲陽、神戸、附属池田、関学など、いわゆる難関校を目指すクラスを担当させて頂いていましたが、そもそもそういった生徒さんは私の力量を見込んで集まって下さったのではなく、あくまで諸先輩方が築いてこられた看板の信頼によって集まって下さっていて、私はたまたまそこにいたというだけに過ぎませんでした。
私が大手塾勤務時代に一番嫌だったこととは、つまり、自分の力量が分かりづらいことでした。
実際、自分自身がしっかりしている人であれば勘違いもせずに済むのかもしれませんが、私はどう考えても看板の信頼・力を自分への信頼・力と勘違いし、先輩方がいるから成立しているものを、自分がいないとダメだと勘違いするタイプです。
#思い込み偏差値80越の男
これまで2兆回くらい、社会人になった卒業生や保護者様、他塾の先生方から「なぜ自分でやろうと思ったんですか?」と聞かれてきましたが、
自分の力量が把握できる環境で仕事をしたかった
というのが一番最大の理由です。
誰かが生徒さんを集めてくれるでもなければ、どのみちどこかの校舎の誰かが受かってくれるなんていうのも私には無い方がいいです。
こういった教育を!!とか、○○な子どもを育てたい!!みたいな志なんて1ミリもなくて、単に自分の力量を知りたいというエゴしかありません。
開校した2008年当初は40くらいまでできたらいいかな・・・程度にボンヤリ考えてやってきましたが、おかげさまでもうその40が来年になります。
最近ではそんなに片意地はらずにとりあえずぶっ倒れるまで淡々とやるか〜・・などと独り身なのをいいことに呑気に考えてやっております、ええ。苦笑
これもおかげさまで、毎年毎年受験生が今みたいな連休の日でも連日朝から晩まで自習に励んでるのを見せつけられるのでやりがいは一向に衰えないのもありがたい限りです。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
ご興味のある方はコチラ。
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究永舎 大阪 北摂 豊中市にある高校受験・大学受験で連勝を目指す教室