このタイトルが歌の歌詞であることを即座に見抜けるのは、白井先生をはじめとしたある程度の大人の人だろうと思います。
私は野球野郎でしたが、この歌(ていうかユーミン)が好きで、いまでも高校スポーツの全国大会などを見ていると、自然とこの歌が頭に流れてきます。
私が言うまでもありませんが、シンプルに天才アーティストというのはユーミンみたいな人のことを言うのだと、この歌を初めて聴いた中学生のときから今にいたるまでずっと思っています。
この歌の何が良いって、それはやはりこの歌が本ーーーーーーーーーーーーっっっっっ当に学生の最後の大会の最後の試合で負けた瞬間を完璧に切り取っているところにあると思います。
人がそのとき抱いた感情を励ましたり、共感したり、分かりやすく美化したりする歌は世に星の数ほどありますが、感情を改めて噛み締めさせるような歌(端的に申して名曲)ってあんまりないです。
私は1999年7月28日万博公園野球場の5回戦第一試合の北陽戦で野球生活が終わったのですが、最後の北陽の校歌の「われら〜が〜ホ〜ク〜ヨ〜♪」のくだりは今でも耳に残っています。
そして今でも、当時、3塁側に整列して北陽の校歌を聴いた情景をありありと思い浮かべられるのは、私の場合は間違いなくこのユーミンの「彼はもう2度と かぐことのない風 深く吸った」の歌詞を知っていたためです。
「ああ・・・ホントにこれで終わりなのか・・・」と思いつつも、どこか冷静にふと歌詞が思い出され、「確かに『2度とかぐことのない風』だな〜・・・もう2度と・・・」と20年以上前に思ったのは間違いありません。
意外とそのときは泣けなかったのですが、その後学校に戻っての最後のミーティング、そして夜通しのみんなとの宴(いろいろユルい時代だった・・・)を終え、明け方フラフラになって始発で家に着くと郵便受けに朝日新聞・・・
「ああ・・・記事になってるんかな・・・見たら現実突きつけられるな・・・」と思いながら、手にとって家の中に入ると当然まだ家族はみんな眠っています。
電気もつけずほんのり差し込む陽光をたよりに、チラッと高校野球のところを広げると、そこには数時間前まで一緒に上半身裸でマイク片手にみんなとはっちゃけていたエースが、まさに鬼の形相とばかりに相手打者に向かって投げ込んでいる写真(とうてい同一人物だとは思えない・・)とともにその上には「5回戦で散る」の文字、そして写真の脇には主将の「まさかこんなところで終わると思っていなかった・・・」という記事もあり、「あ、ああ、ああ・・・」と1人思っているところへ襖の奥から、、、、
父親「お疲れさん。よう頑張ったな。」
息子「・・・。」
初めて与えられたグローブ。
原点とも言える浜寺公園(幼少期は東羽衣に住んでいた)でのキャッチボールとその後の少年野球。
その全てがバーーーーーっと蘇ってきてもう人生でこんな泣くことないやろぐらい泣きました。(その後間もなく母親から「終わったことに男がいつまでもしつこいぞ」と怒られた。)
今だにあのときほど泣いたことはありませんし、家族はいないし、また、幸か不幸かその後これまでに泣くを一気に通り越すような出来事が公私ともにポツポツあったんで、たぶんもう今後2度とあのときほど泣くことはないと思います。。。
2番の歌詞には
同じゼッケン 誰かがつけて
また次のシーズンをかけてゆく
とあります。
1999年当時、背番号16番をつけるグラウンドの私をそれ以前に16番をつけてこられた方の何人かが見守って下さっていたかもしれませんし、私もたまに夏の大会に限らず豊中ローズの試合でチームが来て、こっそり見に行ったときはどうしても「16番」は気になってしまいます。
いやはやユーミン天才過ぎ。。。。
人間誰しも10代の“あのとき”にかいだ“2度とかぐことのない風”とそれにまつわる経験はその後の人生において大なり小なり“ダシ”となってその根底にしっかりを味を利かせるものです。
そういったいわば“人生のダシ”の出所をふとしたときに思い出させてくれるこのユーミンの歌を今後もこれまたふとした瞬間に聴き続けることになると思います。
究永舎生諸氏ももしよろしければご視聴あれ。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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