ブログ名を
豊中の塾講師のブログ
改め、
豊中のJKのブログに
変更したらよりアクセスが伸びるかな?と検討中の今日この頃です。
今日は最近ず〜〜〜っと思ってることを書きます。
それは16歳〜22歳の間の勝負のかけ方ってこれでいいの?ということです。
本記事はややサイコパス重本を発動する回になってしまうのですが、どうか春の風に吹かれて舞い上がるタンポポの綿毛のような軽〜いお気持ちでお読み頂けますと幸いでございます。(甘えてしまってすいません。。。)
私はここ数年毎年、日々を大学受験生と接しておるワケですが、まずご自身もそうだった保護者様はお分かりだと思うのですが、国公立大学、しかもこの豊中から通える範囲のセンター75%前後帯以上の大学に現役で入るのってむちゃくちゃ大変です。
一番大変なのは暗記量です。
世の中の多くの受験生が「覚えられない!」とか「理解できない!」などなど、とどのつまり「必要な学力が身につけられない〜〜!」となってるかと思うのですが、はっきり言って99%、いや、100%は残念ながらシンプルに努力不足です。
頭が悪いとかそんなのじゃなくて、シンプルに受験に必要な学力を身につけるのにかかる時間を甘く見積もり過ぎっていうだけの話です。
例えるなら、私が、今より10kg痩せたら石原さとみと結婚できるんじゃないか?と考えるのと同じで、根本的にいろいろ間違ってます。
厳しいことを言ってしまって申し訳ないのですが、ここのポイントを否定しちゃうと人生全体を通して思い知らされることになると思います。
で、本当に言いたのはここからなのですが、多くの人(特に浪人生)が、いや、これは受験に限らずかと思うのですが、誤解しているのが、自分は努力できるって思ってることです。
もちろん物理的にはできるのですが、最近私が特に強く思うのは、そもそもその人が努力できる量っていうのがその人の才能(その分野に向いているということ)なんじゃないか?ってことです。
例えば、大阪桐蔭の野球部員に夏休みを毎日1日12時間以上勉強する生活をしよう!ってなっても多くの子はたぶんできません。決め付けてしまって申し訳ないのですが、私自身そっち系の知り合いは多いのでよく分かるのですが、強豪私学で甲子園に出るような部員に高3時点で上記のようなことができる高校生はほぼいないと思います。
これは逆もまた然りで、灘の子に大阪桐蔭の野球部員と同じ夏休みの練習メニューをこなせ!となってもおそらくほぼ全員は脱落すると予想します。まず骨格が違い過ぎます。
ではここで、それぞれ12時間以上勉強できないから、あるいは、炎天下における猛練習についてこれないから根性無しか?ってなったらそれは違うとみなさん仰ると思います。
ただ、大阪桐蔭の野球部の子に東大行く才能あるか?や灘の子に甲子園行く才能あるか?ってなったらそれは“無い”のかもしれません。
これは以前も書いたことがあるかもしれませんが、私自身が高校野球をやっていた頃、雨が降ってグラウンドが使えず、今日は室内練習(要は早く終わってラク)だとなると、私などは昇竜拳連発に竜巻旋風脚状態でしたが、プロ野球選手になった友人だけは部室で本気で悔しがっておりました。
私はその姿を見て、“一般的に言われる才能”や恵まれた体格などとは異なる、決定的な自分との差異を感じました。感じざるを得ませんでした。
なんとか自分も負けじと頑張って少しでも距離を詰めよう!的な感じで、“目標とすること”すら許されないと思いました。
しかし時は流れ、私が独立してから3、4年経った頃、大阪に来ていた彼と久しぶりに梅田で食事をすることになりました。
そのとき「自分で会社やるてどんな感じなん?」、「ていうか、よう受験生とか教えられるな〜笑」と言うので、私の日常を伝えると、彼は「マジか・・・、俺、そんなん絶対無理やわ・・・」と言っていました。
ただこれははっきり言って(すいませんイキリます...)、塾講師でも私と同じ生活は無理だと思います。
1年前もEXIT事件があって、私は急遽理系科目を指導することになったわけですが、そのときも(あんまり言いたくないが)深夜遅くまで教室で数学や理科の勉強をすることは楽しかったし、今でも毎日します。
でもこれは努力か?と言われるとそうではなくて、好きだからやってるに過ぎません。
悲しきかな今から27年前の12歳頃に、母親から「アンタ、お母さんの見立てでは野球の才能はないけど、アホではないから勉強やった方が伸びシロある思うで。野球辞めたら?」と言われたのは正解だったってことだと思います。涙
こんな感じで人にはそれぞれ各ジャンルそれぞれに努力できる量みたいなのがあって、それがその人のそのジャンルにおける才能だと思うのです。
最近、改めて何回キャンディーズの山ちゃんの
や、オリラジのあっちゃんの
を読んだのですが、やっぱり売れる芸人さんてそもそものベースとなる(側から見て言うところの)努力が全然違います。
以前、NHKのミスチル特集で桜井さんがボーカル録音を12時間されているのも放映されてましたが、みんなそれって“やらなアカンから・・”じゃなくてやりたいからやってると思うんです。
こちらの動画の後半のくだりで、
高3当時、文系科目の勉強に疲れてきたから理系科目をやる。勉強の気分転換が勉強だ。
・・・という話があるのですが、この動画の主のくりりんさんも仰っているように、難関大に受かる生徒さんというのはそもそも知識を仕入れたり、問題を解いたりするのが好きなので、周りが見て、体壊すんちゃうか?いうくらい勉強をしていても、当の本人は「『もう1回やれ!』言われたら嫌だけど、シンドかったか?と言われたら別にそこまでシンドいとは思いません。」みたいなのを言う子は私の教え子の子たちでも非常に多いです。
本記事の締めとして、これは立場的に非常に言いヅライのですが、高3のこの時期の現状で、志望校に対してEやD判定なのに休みの日に10時間〜12時間勉強できないってことはそれはシンプルにその大学には向いてないってことなので、個人的には自分の努力量で入れる大学に確実に入るのが受験に関しては一番幸せだとと思います。
もっと努力できるんじゃないか?なんて淡い期待を抱いてはいけません。できるんならもうとっくにやれてなきゃおかしいし、それは経験上からも言えます。
16歳〜22歳という人間として一番伸び盛りかつ、残りの人生を左右する大事な時期に、多くの若者が向いてない受験に苦しみ、時間を無駄にし、それが終わって大学に入ったら入ったで「自分が向いてるかもしれない(明らかに人より努力できる)仕事ジャンルは何だ?」などと考えもせずに、社会人になって以降を休みの日を楽しみに過ごすというのは、本人の人生はもとより、国にとっても非常にもったいない気がします。
多くの人の不幸の原因は最終的には“高望み”、要は“期待し過ぎ”に起因するような気がしていて、そういう状況に陥らずに幸せに生きるためには、自分のやってることと、それに対して手にできるであろうリターンの分量を多く見積もり過ぎないこと(正解寄りの客観性)が大事になってくると、この豊中のJKは思っています。
すいません、なんだか重苦しい持論展開野郎で・・・
でもこれはあくまで自分をあり得ないくらい客観的に見た上で言うのですが、生で会う重本はリアルにすごいカワイイですので、実際は暑苦しいやつではなく、野に咲く花のような感じのヤツだということは分かって欲しいです。
以上です。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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