こんな時間に教室で1人、玉置浩二を熱唱する今日この頃です。

 

 

コロナ期間を経て生活サイクル・・・マジ卍。。。

 

 

 

さて。

 

 

【「コイツええピッチャーなるな。」】

 

あれは高校を卒業して半年ほど経った頃。

 

私を含めた数人のOBで高校の野球部の後輩たちの練習を手伝いに行きました。そしてその練習後、私たちOBは監督の先生から夕食をご馳走して頂けることになりました。

 

昔話や各自の近況に花が咲く中、私はどうしても先生にお聞きしたかったことを聞くことにしたのです。

 

その聞きたかったこととは、自分たちの代のエースピッチャーで、その場にはいなかったS君についてです。

 

当時、私が所属した野球部では例年10数名の推薦による選手が入学していたのですが、後にエースとなるSくんはなんと一般入試による入学でした。

 

Sくんは地元の公立中学の軟式野球部の出身で、その存在やポテンシャルは入学段階では誰も知りません。

 

しかし、夏の新チームの練習頃から、1つ上のエースの方以外の2年生の先輩投手や同学年の推薦入学による投手たち全てを押しのけ、いきなりほぼ準エース核の扱いで監督から練習を命じられていました。

 

確かに体格はいいし、球筋もキレイなのですが、その頃はまだまだ投球の迫力では高校野球の1流の投手のそれには誰の目に見てもまだまだであったと思います。

 

しかし、一冬越えるとS君は化け、1つ上のエースピッチャーの方の隣で投げても見劣りしないほどの豪速球を投げ始め、2年生の夏の大会の頃にはすでに各強豪大学から再来年の入学に向けて声がかかるほどになったのです。

 

結果的にS君はその後に進んだ関学でもエースとなって社会人野球まで活躍を続けたワケですが、私が先生にお聞きしたかったのは、なぜ相当早い段階でS君の投手としての才能に目が止まったのか?ということです。

 

そのことをたずねると先生は間髪入れず、「1年生で入部した最初の頃はとにかく外野よう走るやろ。そのときにSが走ってんの見てコイツええピッチャーなるな、思たんや。

 

その言葉を聞いた際の自分が受けた衝撃はいまでもよく覚えています。

 

 

走ってるの見ただけ、って・・・・

 

 

私はこの話や、ジャニーさんが車ですれ違いざまに信号待ちをしていた東山紀之少年を見つけ、車を止めて自らスカウトしたという逸話などを大学生の頃に知り、塾講師としてやっていく以上、野球部の先生やジャニーさんのように、若者をパッと見て才能を見出す能力を自分も身に付けたいと思ったものでした。

 

 

時は流れ、正直私自身も、こと受験に関してはその生徒さんを一目見れば、力量はおおよそ見当はつくようになりました。

 

よく他塾の先生から聞かれる話題で、東大法学部に進んだN氏とY氏のことがあるのですが、以前のブログにも書いたように、彼らはそれぞれ、N氏は「空手と曜日がかぶらない塾が近所で究永舎しかなかった。」、Y氏は「類塾のテストを受けに行ったら教室が閉まってて、その帰りにたまたま知り合いの人から究永舎のことを聞いた。」という偶然オブ偶然による究永舎入学(2人とも中1の頭)でしたが、正直、最初から「行くな。」というのはありました。

 

走ってんの見てええ東大生なるな思いました。

 

N氏は入学試験の算数を解いてるときの目から出る集中力が(なお結果は一般的な点数だった模様w)、Y氏は最初に横断歩道の向こうからぺこりと頭を下げて挨拶してくれた際の目から出る知性みたいなものがもはや小6のそれではなかったです。

 

ウソかと思うかもしれませんが、彼らには中1の頃から終始「行ける。」ということを言っていたので、やはり前述のように自分が感じたのは間違いありません。

 

別に自分(重本)に習うべきだと言いたいわけではないのですが、ただ実際問題として、当時の彼らを見て何も感じず、普通に入学試験の結果だけを見て「かしこいやん。」という感想しか出ない人も講師の中にはまあまあいると思います。

 

で、N氏やY氏のような生徒さんがそういう先生に見てもらうとなると確実に言えるのは、全国水準の指導内容や教材はやらせてもらえず、非常にもったないと言えばもったいない展開が待っているかもしれないということです。

 

でも実際世の中のいたるところで見出してもらえていない才能はめちゃくちゃあると思います。今ここで言う才能というのは東大京大に限らず、本当は普通にやってればA高校に入れる能力があるのに、指導者がそれに気づけず、2ランクくらい下のB高校に最初から照準を合わせて、そこに向かうという状況です。

 

究永舎でも過去には大手の先生から「もうついてこられへんのちゃうか?(退塾した方がよくね?)」と言われてやってきて、結局最後は池田に進学された方もいらっしゃいました。

 

 

今これをお読みの方の中には究永舎に通いたくても通えない遠方の方もおられるでしょうし(引っ越してきて下さい)、通える範囲だが、なんか重本が気に喰わないという人もおられるかもしれません。(実際に生でお会い頂くと相当カワイイと思いますが)

 

いずれにせよ“塾に入れて終わり”ではなく、お子様の担当者にはやはり敏感になられることを強くオススメ致します。

 

もちろん私も知り合いの範囲で明らかにいい先生は何人か知っていますが、やはりいい先生に持ってもらうと、そうでない場合と比べて全然お子様のご機嫌や得るものは違います。(手島中井コンビに担当させてしまった学年の皆様本当にその節は申し訳ございませんでした。)

 

 

 

玉置浩二さんのアカペラは、玉置浩二さんを知らない若い子でも「あきらか普通のオッサンと違う!!!」というのは分かると思います。

 

 

塾講師としてその領域に挑む40代にチャレンジしたいと思って今準備しています。

 

 

おやすみなさーい!

 

 

【究永舎】

2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。

 

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究永舎 大阪 北摂 豊中市にある高校受験・大学受験で連勝を目指す教室