小腹を満たすグッズを求めて立ち寄ったコンビニ前で卒業生とそのお友だち集団(阪大軍団?)に出くわし、男女仲良くワイワイする姿を見て、生まれ変わったら自分も阪大に入って男女のさわやか仲良しグループを絶対結成!と心に誓った今日この頃です。
さて、本題です。
【38歳で感じた後悔】
私が愛読しているブログ(課金制なのでリンクは貼れません)に誹謗中傷問題について、本質的には“量”が問題なのではないか?という切り口で書かれた記事がありました。
確かにそれはダルビッシュ選手もTwitterで指摘されていましたし、著名人の方からすれば確かにそうなんだと想像できます。
で、また再び頭の中がそのテーマに・・・
しつこいのですが、私がとにかく関心があるのは、なぜそういう誹謗中傷匿名係長になる輩と「何の得もないのに絶対にやるわけねーだろ!」という輩とに分かれるのか?ということです。正直、事件からいまにいたるまで、私の中でその関心たるや非常に高いものを維持しています。こんなこと今までほぼ無かったです。
ただ、理由としては、教え子の子たちに絶対にそんな輩にはなって欲しくないからだと思います。なって欲しくない理由はシンプルにそんなんじゃ幸せになれないからです。
で、せめてこのブログを読んでくれている校内生および卒業生に向けて書くと、以下のことを意識すれば絶対に匿名係長にはならない、ていうかだいぶ幸せ寄りに行くので知っておいて欲しいです。
行動理由が「みんながやるから」の金太郎飴にならない。
まあ、日本の大学生の8割方は卒業する頃にはみんな金太郎飴で似たような人生を嗜好するようになります。理由はみんながそれがいい人生なんだと言っているからなんじゃないかと思います。心から自分が欲するのなら問題はないのですが、そうでない場合、“規格サイズの幸せ”を追えば追うほどしんどくて不幸になります。
ものごとは好き嫌いで判断する。
「嫌いなことも我慢して!」を押し付けてくる人間の本音は「私も嫌いなこと我慢してるんだからあなたも我慢するべきだ!」です。いわゆる“我が道を行く”を現世ではあきらめた大人の同調圧力です。
「好き」は簡単で誰でも言えるのですが、「嫌い」を言うことは難しいです。が、しかし悲しきかな「嫌い」を言わない人畜無害な“イイ人”よりも、「嫌い」や「やらない」をはっきり言う人の方がフォロワー・信用はついてきます。ポイントダウンを恐れ、小賢しく立ち回るやつは自分が「自由」を失っていることに気づかないままです。
たぶん幸せとは当たり前のことが当たり前じゃないと想像できる能力。たぶんやけど。
朝目が覚めた。立ち上がれた。歩けた。部屋の電気がついた。オシッコがちゃんと出た。歯磨きするのに腕が動いた、シャワーから温かいお湯が出た、シャンプーをしてスッキリした、体重計に乗ると急激に痩せこけたりしてなかった・・・
こういったこと(いつかは全てできなくなる日がくるし、今日できなかった人がどこかにいる)がすごい幸せなことなんだと理由はよく分からないが気づけた人が幸せな人なのかもしれないです。たぶんやけど。
こういうのって若いときは意味不明ですが、逆にいい年こいてものごとのありがたみに気づかず街中でブチ切れてる爺さんなどを見ると、自分もああなってしまったらと恐ろしく感じると思うので、究永舎生諸氏にはそうならないためにも心の隅にできれば留めておいて頂きたいです。
私は38まで気づかなかったことを今頃後悔してます。
【幸せは義務】
最近授業中に話したクラスもありましたが、私の大好きな著者である斎藤一人さんの本にはよく「幸せは義務」みたいな表現が出てきます。
20代の頃から何度となくこの表現に出くわすものの、私には「義務・・って、そりゃ幸せに誰だってなりたいけど、それが簡単じゃないわけで・・。義務とか言われても・・・。」という捉え方しかできてませんでした。本当に素直じゃないやつです。。。
でも今はちょっと違ってきてます。確かに義務と呼ぶべきものかもしれないと思います。
誹謗中傷問題が起こったとき、ネット上では「これだからバカはダメだ。」的な意見も散見されましたが、申し訳ないがそれは違うと思います。
バカとかカシコとかそんなのは関係ないです。
学校にまともに通ったことがない人、会社で仕事が全くできない人・・・そういった人の中でもまた匿名で誹謗中傷をする人と絶対しない人がいるはずです。
要は、幸せと感じているか否かが分かれ目なのではないかと予想します。
規格サイズの幸せを手に入れられなかったことを幸せになれなかったと誤解してる人、または幸せが環境だと思い込んでる人が、勝手に不幸感を背負って、下手したら、親切心や的を射た指摘のつもりで、無意識的に他者にも同じ感覚を喰らえ!とやってるのが誹謗中傷匿名係長の正体なのかもしれないと思います。
少なくともなんらかの理由で明らかに幸せを感じてる人間が匿名で改心の罵詈雑言はぶっ放しはしないでしょう。
そう考えるとやっぱり「幸せは義務なのかも・・・」と思えます。(基本、人は幸せな人が好きなわけだし)
やはり先生たるもの教え子の幸せは誰だって願うものです。でないと先生は浮かばれません。
そのためには口だけでなく、まずは自分は幸せなの?っていうところが大事だと私は思ってます。
入試問題ができない塾講師が的外れな指導、授業・宿題内容を北斗百裂拳するように、やはり幸せでない講師は下手したら幸せにはなれない思考をコロナウイルスばりに飛沫感染させる可能性があります。しかもそれにはマスクやフェイスシールドなどなんの役にも立ちませんし。
そう考えるとまずは講師から幸せを積極的に哲学(疑う余地のないものを疑う)していこうというテンションで私は毎日過ごしてます。
今日のブログをここまでたどりついて下さったみなさんに、私が10代の頃におじいちゃんから譲り受けた『世界の名言集』から見つけて、その後も大きな人生の指針になったココ・シャネルの言葉を勝手に紹介します。
私は退屈よりも大失敗を選んだ。
会社を辞めたときは特に毎日この言葉を支えに80円のレトルトカレーを2日に1回ほうばりながら、まだ見ぬ塾生を想像して「やるぞ!」と萌えて、燃えてました。
あれから10年以上経ち、やはり生まれ変わっても、阪大生になれるかはさておき、退屈よりも大失敗を選ぶ方にはいきたいと思います。
それではみなさん良い週末を〜。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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