貸していたマンガを2年ぶりに返しに来てくれた(あげたつもりだった)大学生の子から受け取った紙袋から出てきたのが見たこともないマンガだった今日この頃です。
本人も友だちから借りたのか彼氏から借りたのかお兄ちゃんが買って実家に置いていったものなのかもはや意味不明なようです。。。
【授業に食傷気味でありながらも授業を受けさせられることの地獄】
「残念だな〜」という感想を抱かされる事柄の1つにやたら授業を受ける・受けさせられるというものがあります。
私は講師も生徒さんも保護者様も、授業というものを重要視し過ぎている傾向が一般的にある、と思っております。
誤解のないように言っておきますと、授業は超重要だし、この仕事のベースは授業であると私は思っています。ただ、なにごともそうであるように、やり過ぎはかえって有害になってよくない、と言いたいのであります。
そもそも授業の意義とは何でしょうか?
また、そもそも授業は無いとダメなのでしょうか?
よくある意味無し男ちゃんな授業の例として、先生が頑張って10伝えて、生徒さんに伝わるのが1とか2であったり、先生側が1伝えておけばいいところを10伝えたり、5の演習でいいところを10の演習をしたりという、いわば「さじ加減考えなさい」状態というのがあると思います。
結局、私の肌感覚では世の中の9割方の生徒さんは授業で提供される“ボリューム”の質と量の問題について、その是非を判断するのは難しいです。
ですから先生側が常に疑問を持たないといけないのですが、ただ、自分の例で申し訳ないのですが、中学生も高校生も究永舎で私が提供する授業時間や宿題よりも圧倒的にボリューミーなものを提供されているが、[自主規制]という生徒さんはこの教室近辺を見ても少なくないのは事実だと思います。
ただ逆に私としては前の記事でも書いたように受験とは勝敗がつく勝負だと思っているので、正直なところ、他の塾で、むちゃくちゃ宿題が多いとか、土日に特訓授業がバンバンあるとかというのを聞くと、心の中のリトル重本はよだれを垂らして喜んんでいるというのはあります。
いずれにせよ、むちゃ平凡な意見に着地することとなり申し訳ないのですが、生徒さんが授業量(ムダな“授業料”の問題もある)や課題の多さにダルさを感じているようならそれを頑張ってもコスパは悪いでしょう。
おもんない・ダルいものを「ああ・・・」と思いながら時間割くほど、頭に入らない・残らないものなんてないですからね。残念ですけどそれ時間の無駄です。
先生が授業をするというのは、料理人がお料理を提供するのと似てるところがあって、授業の提供側は、常に相手が食べたくなるような言葉の盛り付けを行い、また食傷気味にならぬよう、その情報の脳への負担、消化のし易さ、限界摂取栄養量などを考慮する必要があります。
「とりあえず成績上げるために授業やりまくるぞ!!お前ら受かりたけりゃついてこい!!!おりゃーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」
みたいなのは最悪です。
まだ半身浴などをしてノンビリしてる方がよいでしょう。
私は伝達知識においては少量で栄養満点なものを常に目指してます。中学受験の塾なんかはもう少しこういう姿勢を見習いなさいと思います。正直マジで思う...宿題多過ぎ。
駅前にも“授業の胃もたれ”おこしてダルそうな小学生がよく歩いてます。これに関してはホンマに見てて心が痛いです。
うむ、書いてたらお腹が空いてきた・・・
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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究永舎 大阪 北摂 豊中市にある高校受験・大学受験で連勝を目指す教室