結局、豊中は台風の被害も無く、
最初から今に至るまでふつうの雨の日でしたね。
ただ、関東にいる卒業生も割といるので
引き続き心配ではあります。
台風よ・・早よ、去ってくれ!!
で、台風以前の話題として、
神戸の小学校が振りまいた
オッパッピ〜な話題がありました。
これ、前から思ってるんですけど、
よく学校で問題が起こる度に
対策どうこうすると行政?
あるいは教育委員会は言うのですが、
個人的には言葉は悪いのですが
茶番の域を出ないと思ってるんですね。
学年の大半の生徒が
「担任なるのマジでやめてくれ〜」
みたいになってる先生が
1年間担任持てたりとか、
みんなから好かれてる20代の先生と
みんなから嫌われてる50代の先生で
給料が後者の方が断然多いとか、
普通にありえないですから。
ていうか犯罪犯した人が
学校で先生できるてどういうこと?と 笑
(これは塾の先生にもいるが)
ここは資本主義の国じゃないのかい?って感じです。
大手塾時代も思ってましたが、
誰もが合理的でないと感じていることを、
その責任の所在も不明なまま
みんなで納得してるっぽく
やっていくのが当たり前になってる世界で
“タイサク”を講じても
多くの人が“心の中のシラけた自分”によって
全力で取り組むことを阻まれますよね。
みんなそれぞれが外野で、かつ、
「“オレが取る球”じゃないよね。」
ってなってお見合いしてる間に
いつも問題という名の打球は
草むらの方へ転々と転がっていきますので。
神戸のニュースとかその模範じゃないかなと。
じゃあ、どないすんねん?ってことなんですが、
答えはもちろんどうしようもできないんですね。
なんとかできるとしたら
デモとか反対運動とかでなくて、
橋下さんレベルまで行かないとダメだと思うんです。
でもそれは無理です。
無理じゃ無い人はやったらいい。
だから結局、誰かが何かをしてくれるのを
期待するのではなく、自分ができることを
一生懸命やっていくしか本質的にはないワケで、、、
一生懸命全力でやる!
↓
成果はともかく経験が確実に増える!
↓
自分の立ち位置や物の見え方が変わる!
↓
以前まで見えて無かったものが見えてくる!
↓
夢や目標が見えてくる!
の流れを繰り返して
人生楽しんでいくしかないのかなというのが
個人的な見解です。
自然災害に人が無力なのと同じで、
権力、あるいは大衆にも人は無力です。
ただ、自分は変えられる。
だから自分を変えるしかないし、
自分で自分を人の顔にカレーを塗らない人間、
人から顔にカレーを塗られない人間に
育てていくしかディフェンス方法はないなと思います。
少なくとも一番おもしろくないのは
自分が変わらず、
目の前には同じ景色ばかりで
人生無変化フォーエバーになることだと思います。
最近おもんないわ・・
って思ったらそれは単純に
知識や経験値が変わっていないが故に
同じ景色しか見えない状態にあるからだと
自分では思っており、
そんなときこそが
まさに勉強するチャンスです。
大なり小なり、死なない程度の“賭け”、
つまり、結果が見えないことに
時間を割いてみることでしか
現状打破は厳しいなと私は思っています。
最近年齢的なこともあり、
こういったことを心配するようになりました。
すなわち今後どれだけ変わっていけるだろうか??
ってことです。
(勝手に心配しとけ!ですよねw)
最近では他者を評価しそうになる度に
「おいおい、お前はそんなことしてる場合か!?」と
心の中で自分を突っ込むようになりました。
シゲちゃんは自分のことだけ心配しときなさい、と。
安らかな最期を迎えたいと
死んだように生きるには人生は長過ぎますが、
いつ死んでもいいから全力で生きてやる!
っていう場合には人生は逆に短過ぎます・・・
ちょっと何言ってるか分からないですね。
究永舎生は明日も自習頑張って、
見える景色を変えていって欲しいです。
最近は日々成長する究永舎生が
生徒というよりライバルに見えてきました。
「いや、オレ、この子らより20年以上長く生きてる割には・・・」
みたいなね。笑
すでに私じゃ足元にも及ばない子も多々いますし...
まぁ、とりあえず
私の、いや、みんなの大好きなカレーを
ああいう風に使用する輩は
残りの人生を世界各国の地雷の撤去作業(専門知識がないだろうから自ら踏んで確かめて)にでも
費やしてちょっとでも人のために
なることやってから◯んだ方がいいですわ。
いやいや・・人のこと言うてる場合ではないですね。